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感想・レビュー・書評
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清水幾太郎 (1907-1988) の『論文の書き方』 (1959)
文章を書く人々にとっての必読書である。また同時に、書くことによって、真の理解を得る事ができると説く。
「読む人間から書く人間へ変るというのは、言ってみれば、受動性から能動性へ人間が身を翻すことである。書こうと身構えた時、精神の緊張は急に大きくなる。この大きな緊張の中で、人間は書物に記されている対象の奥へ深く突き進むことが出来る。しかも、同時に、自分の精神の奥へ深く入って行くことが出来る。対象と精神とがそれぞれの深いところで触れ合う。書くことを通して、私たちは本当に読むことが出来る。表現があって初めて本当の理解がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
論文の書き方という本書のテーマにしては、全体的にまとまりがなく、論理的にしっかりと構成されておらず、だらだらと書いている部分が多いという印象を受ける。これは、時代が違いためなのだろうか。本書の書かれた時代には、日本人が論理的な文章を書くのにもっと苦労していた時代だったのかも知れない。例えば、古典の模倣がよいとされた美文主義の時代から、論理的な散文を書く時代への移行期の人々の苦労が書かれている。この移行は、集団から個人が出てくる過程だったのかも知れない。このように、本題と外れて、過去をふりかえることで、現在の文章を相対化して眺めることができるところに、面白さを感じた。
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今さら読んでいて間に合うのかという気もしなくもありませんが、少しでも気休めになるのならという思いで読んでみました。
この手の本にありがちな、いわゆるハウツーものではありません。生涯文章を書くことを生業としてきた著者が、その経験から思うことを、つらつらと書いてまとめたという印象の本です。
そういう意味で奥が深いのですが、私のような若造にはすぐには役に立ちそうもありません。(それほど文章を書く機会もないしねえ。)
面白いのは、「が」を警戒しようというくだり。私自身も「が」の使用には気をつけておりますが(あっ、がを使った)、もともと新聞は「が」が多いという指摘が新鮮でした。文字数の関係やら〆切の関係やらで、仕方ないんでしょうね。
それから、日本語を外国語として取り扱おうというのも面白いですね。日本語の持っているマイナス面を意識しろということでしょうか。多くの人に読んでもらう文章を書くのであれば、大切な視点だと思いました。
最後に、引用についての指摘が笑えました。つまり、講演会で、誰かの言葉を引用すると、みんながメモを取るという話です。そう言われてみると、私もそうだなあと思いました。権威に弱い。あと、数字とかを話すと、メモを取る人が多いというのもあるかも知れません。
さあ、そろそろ私も書かないと。 -
書くことが難しいことを知る本。会話と文章との違いに自分に今までなかった視点が得られたのがよかった。あと、意見の表現が独特で読み解きにくかった。