アンダーグラウンド (講談社文庫) [Kindle]

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  • 講談社
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感想・レビュー・書評

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  • 1995年3月20日に東京を震撼させたオウム真理教によるテロリズム、地下鉄サリン事件。
    作家の村上春樹が事件の被害者を直接訪問し、インタビューをし、その内容をまとめた膨大な著作。
    本作はオウム真理教側のテロに至った背景は追わず、生々しい、多様な被害者の声と背景を追う。
    印象に残るのは、必ずしも加害者を恨む声ばかりではないこと、そしてマスコミへの大きな不信。一連のオウム事件でマスコミが自ら招いた不信の深さがうかがえる。
    形容しがたい香り、網膜が収縮することにより暗くなる世界、どんどん悪くなる体調、警察や救急の混乱、生々しい実情に身が凍る。

    私は事件当時は幼く、家族も都心部に足を運ぶ生活ではなかったので、なんとなく知っていたけれど、”身近な事件”ではなかったし、恥ずかしながらどこでどのように起こった事件なのか、といった基本的な知識もなかった。本書を読み、改めて事件について知ると、かつて住んでいたエリアのごく近くや普段通勤で使う駅や出口が事件の現場として登場して驚いた。
    おそらく私自身の幼少期の知り合いや友人の父母でも近くに通っていた人はいたと思う。そして今自分が同様の事件に巻き込まれる蓋然性は、この事件の被害者たちと変わっていないとも強く思います。宗教による分断は変わらず日本を、そして世界を脅かしている。この本が発売当初にどのような扱われ方をしたのかはわからないけれど、少なくとも私のような人間が手に取り、30年近い歳月の後に事件への認識を改めるきっかけになったという意味で、また目を向ける意味がある一冊と思います。

    • raulreaderさん
      hibuさん、コメントありがとうございます。淡々とした記述が、東京の日常にふと現れた、他人事ではない事件と思わされました。
      オウム真理教信者...
      hibuさん、コメントありがとうございます。淡々とした記述が、東京の日常にふと現れた、他人事ではない事件と思わされました。
      オウム真理教信者側の本、少し怖さもありましたが、「オウムを生きて」などは評価も高く、読んでみようと思います。
      2023/12/31
    • hibuさん
      これでございます
      『約束された場所で (underground2)』 村上春樹 #ブクログ https://booklog.jp/item/...
      これでございます
      『約束された場所で (underground2)』 村上春樹 #ブクログ https://booklog.jp/item/1/4167502046
      2024/01/01
    • raulreaderさん
      ご丁寧にありがとうございます、ご紹介いただいた本、是非読んでみます。
      ご丁寧にありがとうございます、ご紹介いただいた本、是非読んでみます。
      2024/01/01
  • とても個人的なことで傷ついて、ここ数日本棚にあった「村上さんのところ」や「村上春樹、河合隼夫に会いに行く」という本を読んでいた。その中で、「アンダーグラウンド」という1995年の地下鉄サリン事件の被害者のインタビューをまとめた本があることを知り、いつか読まないとな、と思っていた。ただ、確実に楽しい気分になる本ではないということはわかっていたので、読むタイミングを躊躇していた。
    友人は多い方でも少ない方でもないと思うが、実際ある年齢の"いい大人"になると、個人的な抱えていることを相談できる友達というのはあまりいないのかもしれない。それに、これまでの経験で、相談しても結局は至極個人的なことであって、学生の時などとは違って長年の友人であっても人生経験は全く異なるわけで、一時的に気持ちが楽になったり気が紛れたりしても、根本的な解決にはならないことを学んだ。相手に話すとき、私は解決策ではなく私の感じていることへの同調、共感を求めているだけだった。そのためひどい時は、人に話したことで返って自分が余計に深く傷ついてしまうこともあった。たとえ相手が真摯に聞いてくれたとしても、私自身が本音を言えたとしても、その"正論"によって、自分の論を通すことによって。私はおそらく人と話すことで共感(Empathy)を求めていたが、同情(Sympathy)は得られることがあっても、共感(Empathy)を得られたと感じることはなかった、友人からも恋人からも。それは当たり前のことでもある。でもそれが私を苦しめ、孤独な気分にさせた。
    ※同情(Sympathy)は、他人の状況を思いやり、支援する能力であるのに対して、共感(Empathy)は他人の状況や感情を読み取って共有し、効果的かつ適切な方法で対応する能力

    私は浄化されるものがたりを探していた。
    2022の冬、不運な事故で大怪我を負った。2回の手術を経て、来月の主治医との診察で通院(2022.2 - 2023.11)は卒業だといわれている。身体的に回復を見せる中で、私は心が全く癒されていないことをことあるごとに切々と感じていた。折に触れて、痛いというのではないが膝に違和感を感じたり、再断裂のリスクに恐怖心を感じたり、細くなった太ももを見たり触ったり、怪我前は当たり前にできた正座の練習をしたり、その度に私の中で怒りの感情が沸々と湧いてきた。普段はもちろん心の奥底にギュッと押し込んで、なるべく物事の良い面をみようと、それが自分自身の助けにもなるのだからと言い聞かせていたが、負の感情が湧いてくるたびに、心は全く納得していない、浄化できていないのだと痛切に感じた。不運な事故、具体的に言えば加害者のいる事故。私はその時静止していて、控えめにいって私の行動に落ち度があったかと振り返っても、あの日あの時にあの人と共に行動したからだというぐらいしか思いつかない。私の事故の複雑性は、仲間内で起こった事故、事故といっても交通事故ではないため無法地帯、相手が英国人で考え方の土台が全く異なっていたということにあると思う。彼は悪い人ではないと思う、ただ私の言葉が通じなかった。というより、言葉を文字通りそのまま受け取った。「大丈夫」といったらその言葉通り。「あなたはあなたの時間を楽しんでください」といったらその言葉通りに。彼と遊ぶ事故とは直接関係のない友人にも負の感情をもった。付き合っていたアメリカ人の彼は、そのことに私が憤りを感じると、「でもそれはあなたが言ったんでしょう」「自分が今できないから、人にも同じレベルまで活動の自粛を強要するのか」と。そのこと、彼自身と彼の属する文化にも失望した。日本人ならば皆が同じ考え方をするとは言っていないし思っていない。極端な例ではあるが、オウム真理教で事件を起こした犯人たちも日本人だが理解できない。本の中で理解できないから憎しみも沸いてこない、と語られた方がいたが私は感じる。自分の気持ちの理解を求めて数人に話す中で「悪気があったんじゃないしね」という言葉も引っかかった。悪気がなければ何をしてもよいのだろうか。オウム真理教の犯人たちは悪気ってあったのだろうか。【悪気】 ① 人を憎悪する気持。 また、人に害を与えようという心。 悪意。。あるな。でもこの悪気が犯人達にとっての正義だったのでしょう。その場合、悪意に対しての憎悪は悪気と呼ぶのだろうか。

    私は事故のことを考えた時に自分のことを"被害者"だと思う心、被害者意識が自分を苦しめていると思ったので、それを解消したかった。
    このアンダーグラウンドの中で事件に遭遇した駅員さんの話に、「自分を被害者だと思わず体験者だと思うようにしている」という箇所があった。それは大きな視点の転換だと思う。言葉のラベリングによって、人の意識は影響を受けると思う。"被害者"という言葉には良いも悪いもないのだろう、この本にも何度もその言葉はでてくる。でも私は体験者、経験者、当事者と置き換えて読んだ方が馴染んだ。

    この1年半の間に代償にしたものは、お金、時間、身体的健康。イギリス人の友人は2022.2-2022.12まで医療費を負担したが、そのあとこちらが請求をやめたら(もう関わりたくなかったのだ)連絡も途絶えた。実際、お金でしか賠償することはできないと思うが、当事者となるとお金はあまり問題ではなかった、それよりも失った機会、仕事との両立、リハビリに費やした時間、身体が不自由なことによる精神的苦痛が苦しかった。精神的に健康でいるために身体を動かしなさい、というのは私が信じている心が疲れたときの対処法だが、絶対安静化の中では不可能だった。
    ある月5万円を医療費として請求したことがあった。「今月は高いな」という言葉と共にお金が渡された。むなしかった。これは彼なりのジョークなのだと言われた。私を笑わせ、愉快な気分にしようとしたのだと。理解できなかったし、したくなかった。ある時は金閣寺に旅行にいったからと、無病息災のお守りをお土産だと渡された。私は病気ではないし、災いをもたらしたのはあなたでしょう、と怒りが湧いた。他人事としたら笑えるのだろうか、心が広く度量が大きければ笑えるのだろうか。2022.9は医療費を連絡すると、今月は支払いを待ってほしいと返ってきた、イギリスの家族にお金を工面する必要があるからと。詳細は語られず、家族といっても母親なのか犬なのかと訝るぐらいに私の中で彼への信頼度はなくなっていたので(半年も経ってもう飽きたのだろうと思った)。その気持ちを率直にアメリカ人の彼に打ち明けたら「あなたが患っているのはたかが前十字靭帯断裂だ、命に関わる怪我、病気ではない。あなたは彼の母親が病気になっても気にしないのですか?想像力がないのはあなたの方だと」と。私は少し自己嫌悪に陥った。自分が平和ボケしているのかもしれない、自分だけが大変なわけじゃない。でも今冷静に振り返っても腑に落ちない。話が嚙み合っていない、ちぐはぐだ。

    過ぎてしまえば1年半の通院期間、短いのか長いのかわからない、が、その渦中にいるときは不安だった。いつまで続くのだろうと。本の中でも後遺症が残っている方が未来への不安を口にされるが、現在進行形の時は終わりが見えず不安だ。

    アメリカ人の彼は術後のサポートを献身的に行ってくれ、私が逆の立場だったら同様のことができたか自信がないくらいに、今できることにフォーカスし、よい面をみれるように色々な場所に連れ出したりしてくれた。とても感謝している。ただ、彼に私の心の奥底の浄化されていない思いを理解してもらうことは簡単ではなかった。彼は見ないようにすること忘れることで、私を楽にしようとしたが、私はたとえその時つらくても心のわだかまりを直視したかった。この本の中でももう思い出したくない、忘れたいんですと答えている人も多かった。その気持ちも言葉としてはわかる。ただ私はそれでは浄化されない。ここに書くことは、書くことが手助けになるかまだ確信はないが一つの試みだ。心に浮かんだことをぽつぽつ書くような、何の脈絡も技術もない文章を書くことが癒すことに役立つのかわからない。個人としての日記として残すかとも考えたが、よい意味で人の目に触れる前提で書いた方が、物事をできる限り客観的に書ける気がした。誰の目にも触れないと思って心の赴くままに書きなぐった文章は、これまで試したところ役に立ったとは思えなかった。

    2023/10/09

  • 95年に起きた地下鉄サリン事件の被害者の方々、そのご家族の方々62名からのインタビューを村上春樹が書籍化したもの。かなりのボリュームだけど食い入るようにして読んだ。当時自分は幼稚園生、だけどこの事件の異様さは覚えてる。ニュースで防護服を着た人たちが映る異様さ。その下で何があったのか、この本読むと多少なりとも思い浮かべられる。坂本弁護士の件でオウムに関わった同僚弁護士や聖路加病院の精神科医、救急治療にあたった医師や松本サリンの件で関わった信州大病院の病院長など、専門家のインタビューもある。警察の中央や国がもっと真剣に動いてたらオウムの事件は防げたのではないか、そんな声は以前からあったが間違いではないのかも。日本初のテロ事件、新興宗教の恐ろしさだけで片付けてはいけない事件。ページ後半、村上氏のコラムがあるが興味深い。なぜオウムは巨大組織となって強行に走ったのか、なぜ事前に防げなかったのか、一人ひとりが考える必要があると思った。

  •  被害者のインタビューを通じて、地下鉄サリン事件を考察した1冊。事件の考察はもとより、被害者のインタビューを通じて、事件の全容が具体的に語られている。
     発災の様子だけではなく、現場での救護所展開、市民による病院搬送、サリンによる症状、入院後の様子、退院後の症状やPTSDの経緯など、医療関係者が読んでも当時の様子がよくわかる。地下鉄サリンを調べる人にも必要な一冊である。

  • 地下鉄サリン事件にかかわらず、あらゆる事件にこういった犯罪被害者の方がいらっしゃるということ。日々溢れるニュースの中では見過ごしてしまいます。
    本書には、よく知った地名がたくさん出てきて、ごく一般的な人々、隣人であっても自分であってもおかしくない人々が事件当日のこと、そしてその日以降のことをご自身のことばで語られています。この凄惨な事件に巻き込まれたのが、単なる偶然だということが、当たり前だけど、本当になんの因果もないのだということが、はっきりとわかりました。

    この事件は本当に恐ろしい。決して許されることではない。しかし、許すか許さないかということは、被害者の方々にとって、まして犠牲者の方にとってはほとんど救済にならない。あまりにも理不尽な事件です。
    最後に紹介される、若い男性のご両親、その男性の配偶者の方。読んでいて本当に辛くなります。

    事件から長い年月が経っています。こういうことが二度と起こらない社会をつくれているのか。どうも私には、かの時代よりももっと社会は酷くなっているんじゃないかと思えてなりません。孤独と貧困がはびこって分断が進み、兵器の製造に必要な情報も材料もたやすく手に入るようになっています。
    せめて、報道の在り方だけはもっとまともになってほしいと思います。

  • 何度目かの再読。

    いつになっても色褪せない。いや色褪せてしまっては、風化してしまっては行けないのだ、この未曾有の事件は。

    春先とはいえ、まだ少し肌寒く、でも、気持ちよく晴れ渡った青空のことを、自分もよく覚えている。

    それは、本当に、日曜日と祝日に挟まれた、何でもない平日の始まりに過ぎなかった。
    あの時間までは…。






    「個人的に。そしてかくのごとき二重の激しい傷を生み出す我々の社会の成り立ちについて、より深く事実を知りたいと思うようになった。」

    「結局みんなスキャンダルが大好きなんですよ。「大変でしたね」と言いながら、それを楽しんでいるんだ。」

    「せっかく豊かで平和な日本というものを、前の世代の方々の手で作ってもらったわけですから、我々ががんばってそれを守ってまた次の世代に引き渡さなくちゃならないんだと」

    「今の日本にとっていちばん大事なのは、心の豊かさを追求していくことだと私は思うんです。」

    「差し迫った危機感がないと、いろんなことって見過ごしてしまうものなのですね。」

    「ただね、マスメディアというのは怖いなと、それは思いました。情報、とくにテレビなんかは、かなり限られた範囲のことしか映し出しません。そういうのが報道されると、事実にかなりバイアスがかかって、その一部が全体であるかのような錯覚が生み出されます。それが非常に怖いと、私は思うんです。


    「殴られた人は痛いけれど、本当に心が痛むのは殴った人の方だということですね。」

    「人間というのは予見の材料を与えられていないことには、一瞬の判断というのはなかなかできないものなんですね。」

    「一九九五年三月二〇日の朝に、東京の地下でほんとうに何が起こったのか?」

    「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか?」

    「私が経験したこのような閉塞的、責任回避型の社会体質は、実のところ当時の帝国陸軍の体質とたいして変わっていないのだ。  」

    (『アンダーグラウンド (講談社文庫)』(村上春樹 著)より)

  • 地下鉄サリン事件の被害を受けた方々へのインタビュー集。かなり大きなダメージを受けた方、軽傷だった方、遺族の方と、事件との関わり方はさまざま。著者が注記している通り、本人が語ったままに記されているので、事実かどうかはわからない。しかし、その人にとってはそれが事件の記憶である、と。

    かなり生々しい事件の描写があり、気分が悪くなることもあった。途中で止めようかとも思ったけれど、半分ほどまで進んでからは一気に読んでしまった。事件のことだけではなく、その人の生い立ちや仕事内容にも触れているので、「無差別テロ」の恐ろしさがよくわかる。彼らは特別な人ではなかった。ただ、電車に乗っただけだ。私や、私の家族ではなかったのはたまたまだ。

    内容とはまったく関係がないけれど、インタビュー集とはいえ、やはり文章というのは端々に書き手が表れるんだな。「村上春樹っぽさ」を感じながら読んだ。

  • インタビュー記事なので脚色なく事実をしっかりしれて良かった。
    ひとつ鼻についたのが(笑)村上春樹の自分が英語が出来るということをアイリッシュ訛りというところで遠回しにアピールしていたところ。

  • 地下鉄サリン事件の被害者側のインタビュー集の形をとりつつも、ムラカミの小説創作の重要なターニングポイントとなった。特に長編群にその影響が色濃くうかがえる。以降描かれる物語は不条理性を内包し、深度を増し、より重層的に織りなされるようになったと思う。

  • 村上作品は大抵のものは読んできたつもりだったけど、この本だけはどうしても手が伸びなかった。本屋で何度か手に取っては棚に戻しの繰り返し。小説ではないし、サリン事件自体掘り下げて考えたいような題材でもなかった。

    今回改めて手に取り読み始めてみたが‥やっぱりダメ。被害者には被害者の人生がある、のは当たり前のことで、ほとんどの人の人生にはそれなりの物語があるが、小説になるほどの波瀾万丈があるわけではない。今回62人の被害者の方々にインタビューし、一冊の本にまとめられたことはご苦労があったことと思う。でも被害者は一般ピープルであり、彼らは不幸な目に遭ってしまったけど、私たちと同じ線上にいるいわゆる春樹氏がいうところの「こちら側」の人間である限り、そこから驚くべき話を引き出せるわけはない。ましてやサリンが撒かれたのは朝の通勤時間帯、丸の内線、日比谷線、千代田線とまさに働く人達のための電車だ。働く場所は違っても話は似通ってくる。(植物人間になるほどの重症を負われた方の話は胸が詰まるが)‥これ以上読んでもなぁと思い途中で本を閉じた。

    救われるのは時々出てくる春樹的比喩。重症患者の女性に「もしよかったら、僕の手を握って見せてくれますか?」とお願いし、彼女の手のひらの中に自分の四本の指の先を置いてみる。彼女の指がまるで眠りにつく花の花びらのように、静かに閉じられていく。‥その感触は私の手にずっと長く泣く残っていた。まるで冬の午後の、日溜まりの温かみの記憶みたいに。‥悲しいけれど美しい表現。

  • 何度めかの再読。
    地下鉄サリン事件から28年。
    友人宅でテレビを延々と見ていた。

    現在の自分の年齢とインタビューを受ける被害者の当時の年齢が近いと色々と考えるところがあった。
    こうやって書籍にしてくれたおかげで定期的に読み返すことが出来る。

  • 小説ではないし、かなり毛色は違うけど、村上節や独特の視点、感覚、思考は健在。

  • 地下鉄サリン事件の被害者やその関係者に、村上春樹さん自身がインタビューを行ったものをまとめた作品。実を言うと村上春樹さんは「ノルウェイの森」がどうにも僕の好みでは無かったので食わず嫌いでしたが、この本を読む事が出来てすごく良かったです。

    事件当時、僕は18歳でしたが、正直言って僕の印象では、「あれだけ大規模なテロだったのに死者は13人と意外と少なかったな」という印象が強く、また、当時のテレビ報道の影響もあって、オウム真理教自体が「一部の頭がおかしい人たちを野放しにした警察の怠慢が原因の犯罪」みたいな印象しか僕の記憶には残っていませんでした。しかし実際には、亡くなった方だけが被害者なのではなくあの事件に関わったほぼ全ての人に対して大きな二次災害を引き起こしてたという事を知り、今さらながら自分の無知に対して反省させられました…。その中でも特に印象的だったのが、少し離れた場所に居る人の無関心。もちろん、目の前で人が倒れているのであれば多くの人が手を差し出すと思いますが、一つ道路を隔てた先では普通の日常が繰り広げられていたり、後遺症に悩まされながらもそれを隠して頑張っている人に対し、面白がって「きみ、サリンに逢ったんだって?」「幸い無事だったし貴重な体験したよな」みたいな事を言ってしまう人たちの悪気無き無神経さにもいろいろと思うところがありました。

    自分とは違う考え方・価値観を持った人を否定するのは簡単ですが、むしろその異なった考え方や価値観が生まれた背景を世の中の人たちが理解しない事には、また同じような事件が発生してしまうと思います。2作目の方は地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者8人によるインタビュー記事のようなので、こちらの方も読んでみたいと思います。

  • その日、何が起きたのかーー。

  • 最近ずっと村上春樹さんの本を読んでいて、かつてから気になっていたけど、どうしても手が付けられなかったノンフィクションである「アンダーグラウンド」を読みたくなりました。今なぜ地下鉄サリン事件のこの本を読むのか判らないけど、恐らくコロナと関係あるんじゃないかなと自分では考えている。そして、小説家である村上春樹さんがなぜノンフィクションのこの作品を作ったのか?やはりそこのところを知りたくなったということがあります。

    インタビューは62人に行われて、うち2人は最終的に掲載を拒否されたというような記述があったような気がする。インタビューされた人の体験はある意味途中から予想できるような内容でもあったけど、不思議と飽きることが無かった。それは、その人その人に人生とその時間があって、全く理不尽な暴力に出会って、信じられない被害を被ったという体験とあとは村上春樹さんの筆の力なのかな。インタビューは基本的に手を加えていないということだけど、最初にその人がどういう人で、どういう状況で事件に遭遇したかが書かれている。通勤時間の地下鉄だから、都内で働く人がほとんどなんだけど同じ時間に同じ場所を通過する人たちの様々な人生が簡潔に語られていて、そういう人が事件に遭遇してしまったんだなと、改めて考えさせられた。

    この地下鉄サリン事件は大きな事件だったけど、そして毎日マスコミで騒がれていた割には、実は事件自体についての知識は意外に乏しい。記憶しているのは、当日は確か霞が関に資料を借りに行く予定だったけど、朝から慎平君が熱を出して、小児科に連れて行くとかで出遅れてしまったので、予定を夕方にした記憶がある。どっぷりと出遅れて、ずいぶん遅くの出社になったけど、池袋で丸ノ内線は結構混乱していて、「あ~あ」とか思った記憶が。多分池袋に着くまで事件のことは知らなかった気がする。その後テレビでオウム真理教の話は嫌というほど見たけど、地下鉄サリン事件そのものについては、概要しか知らない。

    さて、この本を執筆するに至った、村上春樹さんの動機はどこにあったのか?少し引用したい。

    ・この事件を報道するにあたってのマスメディアの基本姿勢は、〈被害者=無垢なるもの=正義〉という「こちら側」と、〈加害者=汚されたもの=悪〉という「あちら側」を対立させることだった。そして「こちら側」のポジションを前提条件として固定させ、それをいわば梃子の支点として使い、「あちら側」の行為と論理の歪みを徹底的に細分化し分析していくことだった。

    ・「システム(高度管理社会)は、適合しない人間は苦痛を感じるように改造する。システムに適合しないことは『病気』であり、適合させることは『治療』になる。こうして個人は、自律的に目標を達成できるパワープロセスを破壊され、システムが押しつける他律的パワープロセスに組み込まれた。自律的パワープロセスを求めることは、『病気』とみなされるのだ」

    ・マインド・コントロールとは求められるだけのものではないし、与えられるだけのものではない。それは「求められて、与えられる」相互的なものなのだ。

    ・自我より大きな力を持ったもの、たとえば歴史、あるいは神、無意識といったものに身を委ねるとき、人はいともたやすく目の前の出来事の脈絡を失ってしまう。人生が物語としての流れを失ってしまう

    ・しかしそれに対して、「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
    ・あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか? 私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?
    ・あなたが今持っている物語は、 本当に あなたの物語なのだろうか? あなたの見ている夢は 本当に あなたの夢なのだろうか? それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?
    ・自分の中の感情的な算盤を一度すっかり ちゃら にして、しかるのちに日本という「場のありかた」についてより深く知りたかったし、日本人という「意識のありかた」について知りたかったのだと思う。私たちはいったい何ものであり、これからいったいどこに行こうとしているのか?
    ・自分の感じている怒りや憎しみをいったいどこに持ち込めばいいのか、どちらの方向に向ければいいのか、その確証をうまくつかめないのだ。何故ならその暴力がはたしてどこからやってきたのかという正確な「出所(マグマの位置)」がいまだに明確に把握できていないからだ。そういう意味では──怒りや憎しみの向けようがもうひとつはっきりしていないという点においては──地下鉄サリン事件と阪神大震災は形態的に相似している。
    ・全体的に言えば、現場における営団地下鉄職員の規律ある仕事ぶりと、そのモラルの高さは賞賛に値いする。これらの事実を前にしていると、私たち個人個人が本来的に持っているはずの自然な「正しい力」というものを信じられる気持ちになってくる。またこうした力を顕在化させ、結集することによって、私たちはこれからも、様々な種類の危機的な事態をうまく回避していけるのではないかと思う。そのような自然な信頼感で結ばれたソフトで自発的で包括的なネットワークを、私たちは社会の中に日常的なレベルで築き上げていかなくてはならないだろう。
    ・私たちの社会システムが用意していた危機管理の体制そのものが、かなり杜撰で不十分なものであった
    ・当日に発生した数多くの過失の原因や責任や、それに至った経緯や、またそれらの過失によって引き起こされた 結果 の実態が、いまだに情報として一般に向けて充分に公開されていないという事実である。言い換えれば「過失を外に向かって明確にしたがらない」日本の組織の体質である。「身内の恥はさらさない」というわけだ。
    ・(ノモンハン事件を調べた際に)現場の鉄砲を持った兵隊がいちばん苦しみ、報われず、酷い目にあわされる、ということだ。後方にいる幕僚や参謀は一切その責任をとらない。彼らは面子を重んじ、敗北という事実を認めず、システム言語を駆使したレトリックで失策を糊塗する。

  • ものすごい手間のかかった、資料としてもものすごい貴重な本。正直興味をそそられるのは加害者側の背景だけど、この本は被害者側をみているから価値がある。

  •  

  • 負傷者の苦しみがここまで長く、深く、酷いとは感じていなかった。

  • 村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをした結果をまとめたノンフィクション。

    報道では見えてこない事実が実際の被害者の口から語られている。
    とくに報道では都合の良いところを意図的に編集しているが、筆者は意識的にそれを避けており実際の被害者のインタビューを文字に書き起こし、ほぼ原文のまま紙面に起こしている。
    被害の大小ではなく、集められるだけ集めたという印象が強いが、その分いろいろな人(性別、年齢、被害の程度、事件が発生した時にどこにいたのか、どこの電車にいたのか、何両目にいたのか)の経験が収録されており興味深い。

    本書のタイトル「アンダーグランド」とは、そのまま地下と解釈すると読み間違う。
    たしかに、オウム真理教という日常からかい離した普通の人間には理解しがたいある種のアンダーグランドには違いなのだが、これは誰しもが持つ心の負の部分、影の部分という意味合いの方が強いのではないかと思う。

  • 村上春樹による地下鉄サリン事件被害者60人のインタビュー集。被害者の出自、サリン事件に遭うまでの経緯、遭ったときの様子と見たもの、臭い、そのときに思ったこと。被害後の手当て、現況、そしてオウムへの思い。といったことが、ひたすら連なっていく。路線別に分けられており、最後は遺族の証言という構成。本一冊で起承転結があるわけではなく、証言をあますことなく集めたという本。最後には春樹節ともいえるエッセイでしめられており、その部分についてはやっぱりこれは春樹の作品なんだと思わせてくれたが、そこに至るまでは、春樹の本である事を忘れて読んでいた。誠実なアプローチの本ではあるが、この長さ、この構成で果たして良かったのかというと正直わからなかった。読んでは良かったとは思ったが。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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