ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書) [Kindle]

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  • amazonのおすすめの書籍の中に、ポツンと現れた一冊。

    「答えの出ない事態に耐えうる力」という言葉は、今の自分に力強く響いた。

    「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、いわゆる「宙吊り状態」のことであって、すなわち、答えがわからないことに対して、じっと耐え抜くことであると、本書の冒頭で解説されている。

    この本では、著者がこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方にどのようにして出会ったか、そして、専門分野である精神医学から芸術、教育に至るまで、この考え方がどのようにして繋がっていくのかが、書かれている。

    「ネガティブ・ケイパビリティ」の対極にあるのが、「ポジティブ・ケイパビリティ」であり、これはすなわち、「問題解決能力」のことだ。

    解決するスピードが求められている時代に合わせ、仕事だけでなく、私生活においても、悩みや不安を一般的なケースに当てはめて、解決できることを前提に取り組んでいる。

    もちろん、解決できないことがあることは「知っている」。

    しかしながら、いずれ解決できるだろう、と考えたり、解決できずにどうしようと振り回されたりして、頭の隅に置いておきながら、頭の隅ばかり気にしている。

    短期戦での「宙吊り状態」には耐えられても、これが長く続くことに、どうも居心地を悪く感じてしまう自分がいる。

    この能力は決して「身につけるための能力」ではない。能力とは多くの場合、「できること」すなわち「する能力」であることが多いが、「しない能力」であると本書では述べられている。

    印象に残った場面は、精神科教授の「治療はできないが、トリートメントはできる。」と述べたところ。

    『美容院では、決して傷んだ髪を治しません。あくまで傷んだ髪をケアして、それ以上傷まないようにしてあげるだけなのです。』

    解決に向かわせることではなく、それ以上悪くならないようにすることも、立派な治療行為なのだということを、改めて感じることができ、ちょうど窓の隙間から、心地よい風が吹くような、そんな気持ちになった。

  • 例えば誰かから悩みの相談を受けた場合に、どのような対応をするか?

    例えば自身のこれまでの習性として、内容を聞いて、幾つか思い当たる解決策の中から、もっとも良いと思った策を提案してみるというようなことをする。

    果たしてこれがよいのか悪いのか。本書を読んで、そういう疑問にぶち当たる。

    本書のタイトルとなっている「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」と定義されている。別の表現では、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」とされている。

    自分のように、人の話を聞いてすぐに(=性急に)答えを出そうとする姿勢や、すぐに薬を出そうとする精神科医は、明らかに「ネガティブ・ケイパビリティ」が欠落していると思える。

    著者は現在精神科医であり作家でもある。精神科医として、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に着目し、それが治療に不可欠であると思えるに至った経緯が本書で明かされている。

    著者は、偶然読んだ学術雑誌の論文の中でこのキーワードと出会うが、その言葉のルーツがイギリスの詩人ジョン・キーツにあり、そのキーツの発想を、イギリスの精神科医として影響力のある地位にあったビオンがその分野で発展させたことを知る。

    ビオンは「ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、非存在の存在である。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行きつけるものだ」と結論づける。少々理解が難しい。

    このことを著者は、次のように解釈している。
    若い分析家たちはその学習と理論の応用ばかりかまけて、目の前の患者との生身の対話をおろそかにしがち。患者の言葉で自分を豊かにするのではなく、精神分析学の知識で患者を診、理論をあてはめて患者を理解しようとするが、これは本末転倒である。

    確かに、悩みの相談への対応の経験則からみても、相談の相手は解決策の提案を欲しているのではなく、ただ自分の側に立って話を聞いてほしいという場合が多い。それだけで自分から解決策を見つけることができる場合が多い。

    これまで読んだ、心理療法家の河合先生は、クライアントの話をただひたすら聞くに徹し、本人の治癒力を引き出すというようなことを言われていた。

    振り返って考えてみると、悩みの相談に即座に提案したくなるのは、対処しようのない状態に耐えられないとか、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることに不快感を感じそこから逃げ出したいからであると思える。自分がスッキリしたいがゆえに、勝手な思い込みで拙速に提案してしまうのではないか。

    著者は、「ネガティブ・ケイパビリティ」とは共感力であるとも言っているが、この共感力に欠けるが故に、宙ぶらりん状態を持ちこたえられないのだと思えた。

    著者は作家でもあり、キースの詩はもちろんのこと、シェークスピアや日本では紫式部がこのネガティブ・ケイパビリティを備えた代表者であると述べている。著者のペンネームが「帚木蓬生」と、源氏物語の二つの章タイトルの組み合わせであるように、本書の中での源氏物語の解説への力の入れようは、相当であった。

    こういう文学に接すればネガティブ・ケイパビリティが鍛えられるのか、あるいはそういう能力があるとそういう文学を楽しめるのか、この部分の記述の本当の理解はまだできていない。

    脳が「わかりたがる」という性質の記述や、それに加え「希望を付加したがる」という性質の記述も興味深かった。つまりは脳そのものが、拙速に希望的観測で答えを出しがちであるということだ。

    医療におけるプラセボの効果の説明部分も非常に興味深かった。著者の主張は、自己治癒力を引き出すことの大切さであると思う。拙速に答えを与えるように、拙速に薬を処方することよりも、心の働きの力の信頼性を述べているものと思われる。

    また、教育の視点にも気づきがあった。確かに我々が受けてきた教育では、表面的な答えを出すことばかりのトレーニングを受けてきている。ネガティブ・ケイパビリティが育たない教育環境にあったということだ。

    「解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際にはこの人生態度には大きなパワーが秘められている」と著者は言う。

    現在の世の中が、迅速に分かりやすい答えを出す方を評価する傾向にあり、世の中自体が拙速に進む傾向があるように感じる。かといって複雑な問題に、簡単に答えが見いだせず、臭いものにフタ的に、歪んだ社会が増長されているようにも感じる。そういった中で、この「ネガティブ・ケイパビリティ」は重要な発想ではないかと感じた。

  • 精神科医であり小説家の著者が「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」である、「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)」の概念を提示する。約240ページ、全10章。

    著者によれば「ネガティブ・ケイパビリティ」は早世した詩人・キーツがシェイクスピアのもつ能力を指して用いた言葉であり、20世紀になって精神科医ビオンによって再発見された概念である。それを本書によって本格的に日本に広めたのが著者ということになるのだろう。

    「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念は著者による次のような言葉でイメージできるだろう。

    「不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力」
    「性急な到達を求めず、不確実さと懐疑とともに存在する」
    「記憶もなく、理解もなく、欲望もない」状態
    「拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力」
    「ネガティブ・ケイパビリティが最も自戒するのは、性急な結論づけ」

    このように、性急に答えを取り出そうとするのではなく、理解できない状況をそのまま受け止めて、中途半端な状態を耐える力がネガティブ・ケイパビリティとして説明されている。この能力を有したとされる具体的な人物の例としては、先に触れられた詩人・キーツ、シェイクスピア、そして日本の紫式部が、彼らの作品とともに紹介される。とくに紫式部とキーツについては来歴についても触れられる。また、複雑な現実を理解するという点では、創作者に限らずこのような能力は本来、一般の多くの人にとっても必要とされるものだろう。

    なぜこの著者がこの概念を切実に提示するのかといえば、現代の私たちを取り巻く環境が「ネガティブ・ケイパビリティ」を評価せず、毀損されやすい状況にあるからだ。この点は本書終盤、第九章の教育問題や、終章・第十章での現代の為政者の代表例などによって、人々から「ネガティブ・ケイパビリティ」の能力を奪うことが社会的にいかに危険かについてを含めて、危機感をにじませながら、失われつつある能力の重要性を説く。

    「ネガティブ・ケイパビリティ」はある種の忍耐力と、終章で提示される「寛容」を組み合わせた能力とも言い換えられるだろう。ただ、仮に単純に「現代人には忍耐力と寛容さが足りない」と言ったところで、老人の小言と捉えられて敬遠されてしまうのが関の山ではないだろうか。その点、本書は「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念を経由することで、改めて「寛容」とそのために必要な一種の忍耐力の必要性を無理なく納得させてくれる。ことに、「ネガティブ・ケイパビリティ」の欠如が社会的にどのような結末をもたらすかについての著者の仮想には、恐怖を感じさせられる。

    本書の提示する「ネガティブ・ケイパビリティ」の能力は、完全に自分事ととしても、その能力の欠如について強く思い至らされて、感銘を受けた。あとがきで記されている、「精神科医として一番大切なもの」を問われた際のある精神科医の回答の爽やかさと相まって、自分自身にある性急さを見直したいと思わせられた。

  • 「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)とは、『どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。
     あるいは、『性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力』を意味します」

    「私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての制作行為も、ずいぶん楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています」

    (「はじめに」より)

    精神科医であり、作家である著者が、その根底の哲学を縦横無尽に語り尽くす。

    すぐに結論を求められる社会。

    白か黒かを決めたがる安易な態度。

    問題の解決ばかりに目を向けて、その奥底にある真実に向き合うことのできない薄っぺらさ。

    未知のウィルスとの闘いに右往左往する2021年。

    先の見えない闘いの中で、誰かを攻撃することで憂さを晴らす浅はかな態度。

    そういう現代だからこそ、不確かな状況に耐えうる力。

    相手の苦しみに簡単な答えを出すのではなく、寄り添い、同苦し、共感していく姿勢。

    人間の善性、無限の可能性を引き出す哲学。

    読む前と読む後で、物事への取り組み、考え方を大きく、そして深く、強くしていける渾身の書。

  • ネガティブケイパビリティについてサクッと概要を知りたいのであれば、ググったり、その他の類書啓発本を読めば十分です。それば、つまり、ポジティブケイパビリティの精神ですね。だから、本書でネガティブケイパビリティを学ぼうとするのであれば、ネガティブケイパビリティが必要です。

  • ネガティブ・ケイパビリティ…「答えが出ない自体に耐える力」。

    緩和ケア医の西智弘さんがオススメしていたので読んでみました。

    精神科の医療に「ネガティブ・ケイパビリティ」の概念が持ち込まれた経緯を、最初にその言葉を使った詩人・キーツの生い立ちやそれを医療に取り込んだビオンやその後継者の話を紹介してから、現代におけるネガティブ・ケイパビリティの実際を綴ってありました。

    途中、シェイクスピアや紫式部について解説した章や、戦争の話の部分などは、ざっと斜め読みさせてもらっちゃったし、すべてを理解するには難しい概念ではあったけれど、今の自分に大切だと思える言葉を得ることができました。

    〈日薬〉と〈目薬〉

    日薬と目薬というのは、解決できない状況に耐えるための薬。「時間」(日薬)と「見守り」(目薬)。例えば鬱になった人に必要なのは、時間と見守っているということを感じてもらうこと。

    この言葉を知ることができたことが収穫でした。


    たぶん、もうちょっと心に余裕があるときに読めば、もっといろいろなことを取り込むことができる本だと思う。いつか読み返そう。

  • 答えの出ない事態に耐える力、今の世の中にこそ必要な
    力ではないだろうか。
    本書に出てくる 「日薬と目薬」
    この先の人生において大切なワードとなった。
    なぜ、私が帚木作品が好きだったのか
    この本を読んで腑に落ちた。
    答えを求めて結果を出す事だけが
    評価に値する事ではない。
    耐える力、それをもっているだけで大したモノなのだ。

  • すぐに答えを出さず、曖昧なまま向き合い続ける能力がネガティブ・ケイパビリティ。すぐに答えを出すポジティブ・ケイパビリティとは対極にある。著者はこの能力を、芸術のみならず精神医療や教育においても必要だと主張する。

    結論をすぐには出さず棚上げできる能力は、人間相手だと共感能力につながる。また、問題に対する深い理解に到達できるとしている。逆に、ネガティブケイパビリティの欠如のもたらすデメリットとして、共感の欠如とともに、マニュアルへの過度なあてはめや、問題設定の現実からの乖離(簡単に解ける問題への落とし込み)、問題の深い理解への未達を著者は挙げる。

    ネガティブケイパビリティが精神医学の現場で結果的に治療につながりうるメカニズムは何か。著者はその仕組みとして、時間が解決する「日薬」と見守られてるということ自体の効能を表す「目薬」を挙げる。さらに、プラセボや祈祷師の効能についても紹介する。

  • ~印象に残った3つのポイント~
    ①プラセボ効果 偽薬でも効果があると信じると実際に効果がでることの実験結果を教えてくれる。効果を生じさせる必要条件は「意味づけ」と「期待」
    ②教育 答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄である。でも現状は親として、学校の課題をこなすことが教育になってしまっている。世の中にはもっと学ぶべきことがたくさんある。→新たな問い。学校の課題ではなく、人が学ぶべきものとは何か?
    ③共感が成熟していく過程に、常に寄り添っている伴走者こそが、ネガティブ・ケイパビリティ。ネガティブ・ケイパビリティがないところに、共感は育たない。

    ~感想~
    脳は常に正解を求めたがっている。それはなぜか、わからないままでいることが気持ちが悪くて不安であるか。でも性急に正解を求めることには弊害が大きいことを教えてくれる一冊。「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味をいだいたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力」であり、耐えた先には「発展的な深い理解」が待ち受けているからそのために耐えることが重要と説いている。

  • 『閉鎖病棟』などで有名な精神科医の帚木蓬生による半分エッセイ形式の啓発書(?;カテゴリがわからない)。ネガティブ・ケイパビリティとは(私の解釈では)生身の人間や複雑な現実を安易にフレーミングしない力ことであり、言い換えれば「金槌を持ったからといって何もかも釘だと思わない自制心」である。著者の言葉では「不確実性の中で性急な結論を持ち込まず、神秘さと不思議の中で、宙吊り状態を耐えていく」ことである。本書の面白さは、著者の文学的素養の深さから、さまざまな文学紹介にあると思う。たとえばシェイクスピアのマクベスやリア王、紫式部の源氏物語の分析では、それぞれの作者が物語に解釈の余地を大幅に残し、作者自身によるフレーミングをしなかったことで、かえって生身の人間の複雑さを描き出すことに成功し、のちの読者に多様に受け止められ感動を与える深みを描き出した、と分析している。

    私がコンサルタントとして、短期間で何か答えを出すことを仕事にしているほか、自分自身がとにかくはっきりしないことを嫌う性格があるため、そのカウンターアーギュメントとして、どう働き、どう考えるべきか、再考させられる本だった。
    また、コンサルティングの領域がリスクマネジメントなので、なおさら、「不確実性による宙吊り状態」の中でどう動くべきか、の考え方が参考になる。ただ、難しい話ではなく、要は、「これまで事故が起きなかったから、今後も大丈夫だ」とか「(本当ははっきりしているわけではないのに)これは〇〇だから××するので良いに違いない」とか決めてかかってしまうことを戒めて、「そんな簡単に結論出せないよね」「何度も何度も現実を確かめていく必要があるよね」と気づかせてくれる本だと思う。いわゆるVUCAの時代にあって、アジャイル的な考え方で何度も現実を認識し直し、行動修正を繰り返していくことが、このネガティブケイパビリティの延長にあると思う。

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著者プロフィール

1947年、福岡県小郡市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、TBSに勤務。退職後、九州大学医学部に学び、精神科医に。’93年に『三たびの海峡』(新潮社)で第14回吉川英治文学新人賞、’95年『閉鎖病棟』(新潮社)で第8回山本周五郎賞、’97年『逃亡』(新潮社)で第10回柴田錬三郎賞、’10年『水神』(新潮社)で第29回新田次郎文学賞、’11年『ソルハ』(あかね書房)で第60回小学館児童出版文化賞、12年『蠅の帝国』『蛍の航跡』(ともに新潮社)で第1回日本医療小説大賞、13年『日御子』(講談社)で第2回歴史時代作家クラブ賞作品賞、2018年『守教』(新潮社)で第52回吉川英治文学賞および第24回中山義秀文学賞を受賞。近著に『天に星 地に花』(集英社)、『悲素』(新潮社)、『受難』(KADOKAWA)など。

「2020年 『襲来 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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