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感想・レビュー・書評
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東浩紀がTwitterで今回はいつもと違うスタイルで書いた新境地だと言っていて、値段も思想書とは思えぬ安さだったので迷わずポチった。
思想を交えて紀行文を書けるのいいなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ポストモダンの哲学は「主体」「国家」「責任」を疑ったが、世の中変えられなかった、政治につかえなかった。それはかつては思弁的な問題だった。
しかし今では国家や国民が単一でないことはあたりまえの現実として露呈し始めている。一般意志が刻一刻変化する不安定な時代に、なにかを「信じる」ことを見出せるのか。
情報を与えることと、ひとになにかを信じさせることは違う。情報は意見を変えない。そう東浩紀は指摘する。
個人の「エビデンス」が大量に残るようになった。それで一見ほんとうの過去が検証できるかに思えるが、さまざまな解釈がある以上過去はひとつに確定しない。過去の再解釈への欲望。これはアイデンティティ、主体が確定しないという問題でもある。
この状況の打破のために、プラトンの対話篇を考える。ひととひとの会話にある剰余=誤配。ふまじめさ、笑い。
國分功一郎は「ジャスティス(正義)/コレクトネス(正当性)」(デリダ)を提示する。コレクトネスは瞬間的に判断可能だが、ジャスティスはいつ実現されるかわからない。だから信じる必要がある。「信じる」とは現在の時間の外に出ることだ。
SNSが世界を覆った現代では、瞬間的なリアクションが求められる、コレクトネスが求められる。
時間を超えた主体や正義をどう立ち上げるか。