ジョーカー ブルーレイ&DVDセット (初回仕様/2枚組/ポストカード付) [Blu-ray]

監督 : トッド・フィリップス 
出演 : ホアキン・フェニックス  ロバート・デ・ニーロ  ザジー・ビーツ  フランセス・コンロイ 
  • ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
3.91
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レビュー : 34
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4548967436204

感想・レビュー・書評

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  • 主役のジョーカー役 ホアキン.フェニックス 巧すぎて…怖かったくらい。役柄の為に 体も痩せて とても絞ってましたね 演技 一つ一つの表情がすごい。
    バットマンのダークナイト(この作品も とても好きだった)バットマンの敵の悪役として(ヒース.レジャー扮するジョーカー)を想像していたが、全く違った視点から とられていたので 内容を知らずに観て 結構 衝撃的だった。
    誰が狂ってるのか?自分か?世間か?
    ピエロって とても面白くて楽しいものを提供しながら…
    とても怖い存在として よく映画に登場するけど
    ほんとに 不思議な不気味さと寂しさも混在して まるで
    人の二面性を上手く表していると思う
    狂気は潜在的なものか?環境によって出てくるのか?
    何だか 怖いけど 不思議な味わいと音楽も良かったと思う
    勿論、ホアキンの演技力も圧巻!ただ 大物の好きな俳優のデニーロが あんな場面に遭遇するとは ちょっと驚きだったが…。
    ラストの真っ白な廊下をヒタヒタと踊りながら 赤い血の足跡をつけてゆく 映像 素晴らしいと思った。

    「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。第79回ベネチア国際映画祭で、DCコミックスの映画作品としては史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞して大きな注目を集め、第92回アカデミー賞でも作品賞ほか11部門でノミネートされ、主演男優賞と作曲賞を受賞した。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。
    「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。

  • 「ハッピー…ハッピー。何がハッピーだ。
     幸せなど一度もなかった。
     ──人生は悲劇だと思ってた。
     だが今わかった。僕の人生は喜劇だ。」

    バットマンの名悪役、ジョーカーについての映画。
    彼が如何にしてスーパーヴィランとなったかの顛末。

    …なのだけど、そうとは知らず話題になってたなくらいの動機で観ました。ファンには申し訳ない。
    が、不遇な境遇の男が凶悪犯罪者となるストーリーの映画として、大変面白かった。これはかなりすごい映画なのでは。

    コメディアンを目指しながらピエロの仕事をしているアーサー。彼は老いた母と二人暮しで、本人にも持病(発作で笑いが止まらなくなる)があり、有り体に行って底辺暮らしをしている。母は彼をハッピー、と呼ぶ。
    ある日、3人の暴漢に襲われて勢いのあまり持っていた銃で殺害してしまうところから転落が始まる。

    特に中盤、彼が完全に闇落ちする、ふたりの同僚が訪ねてくるシーンがあまりにもショッキングで、痛ましいけど落ち着いた映画だなくらいに思いながら観ていたので吃驚。
    サイコパスを描くような作品はあんまり観たことがないんだけど(怖いから)、サイコパスってもっと理解不能な存在だろうという認識があった。けど彼が追い詰められて崩壊してしまった過程には理解が及ぶというかそりゃおかしくもなりたいよね、と思ってしまう。

    ところで主演の演技は迫力がありすぎて、アーサーの笑い声は夢に出てきそう。
    ひとり踊るシーンはとても印象的だった。
    彼女が妄想だったのが分かるところも。

    彼の笑い声は泣き声、笑顔は泣き顔だったんだな、と冒頭を見返して再確認。
    繰り返し観ると発見がある映画はいい映画だ。

    冷蔵庫に入ったシーンは謎、と思ったらアドリブだとのこと。でもあのシーン好きだな。アーサーが自分を冷やしたり隠したりしたかったのかなと思いました。

    既存作品のジョーカーもちょっと見てみたいな。

  • ホアキン・フェニックスの濃さが好きかどうかが、この映画に対する向き合い方を変えるかもしれない。
     さいわい私は、好きなのです。『her』『ザ・マスター』でも、彼の狂気が滲む演技が、人間に潜む抗えない本能を表現しているようでいて惹かれてしまうのです。
    この江頭2:50にも似たホアキン・フェニックスの濃さは、映画を「現実の世界に蠢くものに目を向け、直視せよ!」という役割を果たしている。
     エンタメで表現されるその場限りのキズを舐め合い、癒し合うのは止めてもっと『深いいところで苦悩と葛藤しろ!』と言っているようである。

     「世の中は正常に機能しているのか?」「それは俺に責任があるのか?」「責任とは何だ?」「俺はなんでも引き受けてやる。」という台詞を字幕のあいまに見てしまった。

  • 2週間前に映画館で鑑賞した。
    たいてい見た夜か翌日には感想をアップするのだが、今回ばかりは、できなかった。
    思い返したり、ライムスター宇多丸や町山智浩やの音声メディアを探ったり、ポッドキャストで素人の感想を聞いたり、ネットの感想を漁ったり。
    んで改めて感想を記そうとすると、どうしても自分語りになってしまう。それだけ自分の身に引き付けざるを得ない内容だったからだ。

    私はDCにもマーベルにもアメコミにも思い入れはない。
    後追いでクリストファー・ノーランの「ダークナイト」を見てヒース・レジャーのジョーカーに心酔。
    その前後ということで見てみた「バットマンビギンズ」2005……うーん……。「ダークナイトライジング」2012にははっきりと落胆。ティム・バートンの「バットマン」1989のジャック・ニコルソンはビザール玩具として愉しめた。
    「ウォッチメン」2009は面白かったという記憶はあるが、入れ込んだわけじゃない。
    思い入れがあるのはむしろアメリカンニューシネマ前後の諸作だ。
    備忘録を兼ねているからあけすけに書いてしまうが。wikipediaによれば、

    「俺たちに明日はない」1967アーサー・ペン、ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ
    「卒業」1967マイク・ニコルズ、ダスティン・ホフマンやアン・バンクロフト、キャサリン・ロス
    「ワイルドバンチ」1968サム・ペキンパー、ウィリアム・ホールデン
    「イージー・ライダー」1969デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン
    「明日に向って撃て!」1969ジョージ・ロイ・ヒル、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス
    「真夜中のカーボーイ」1969ジョン・シュレンジャー、ジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン
    「ファイブ・イージー・ピーセス」1970ボブ・ラフェルソン、ジャック・ニコルソン
    「フレンチ・コネクション」1971ウィリアム・フリードキン、ジーン・ハックマン、ロイ・シャイダー、フェルナンド・レイ
    「ダーティハリー」1971ドン・シーゲル、クリント・イーストウッド、アンディ・ロビンソン
    「時計じかけのオレンジ」1971スタンリー・キューブリック、マルコム・マクダウェル
    「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」1972ハル・アシュビー
    「スケアクロウ」1973ジェリー・シャッツバーグ、ジーン・ハックマン、アル・パチーノ(憶えていないが見たはず……)
    「ロング・グッドバイ」1973ロバート・アルトマン、エリオット・グールド
    「ペーパー・ムーン」1973ピーター・ボグダノヴィッチ、ライアン・オニール、テイタム・オニール
    「さらば冬のかもめ」1973ハル・アシュビー、ジャック・ニコルソン、ランディ・クエイド
    「セルピコ」1973シドニー・ルメット、アル・パチーノ
    「ラストタンゴ・イン・パリ」1973ベルバルド・ベルトルッチ、マーロン・ブランド
    「チャイナタウン」1974ロマン・ポランスキー、ジャック・ニコルソン
    「カッコーの巣の上で」1975ミロス・フォアマン、ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー
    「狼たちの午後」1975シドニー・ルメット、アル・パチーノ
    「タクシードライバー」1976マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ

    見ていないのは
    「M★A★S★H マッシュ」(アルトマンだから見たかもしれない)
    「小さな巨人」
    「いちご白書」
    「バニシング・ポイント」
    「破壊!」
    「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」
    「ミーン・ストリート」(マーティン・スコセッシ、ハーヴェイ・カイテル、ロバート・デ・ニーロ)
    「カンバセーション…盗聴…」(コッポラ)
    「ハリーとトント」
    あたり。

    自ら言うが、堂々と「このあたり大好物!」と言えるジャンルというか作品群なのだろう。
    書き連ねるだけで陶酔してしまう。綺羅星のようだ。
    1983年生まれにとってみれば、母が少女期に出会った作品群とも見做せる。
    もう少し突っ込んで言えば、
    「ロッキー」1976はアメリカン・ニューシネマを終わらせた作品。
    「キング・オブ・コメディ」1983は見ていない(……ここが痛いところ)。

    かなり遠回りをしたが、要はアメリカンニューシネマの陰鬱さが好きなのだ。
    トッド・フィリップス監督いわく、予算をとるためにDCのジョーカーを題材にしたが、むしろ描きたかったのは70年前後のNYの雰囲気だと。
    言ってみればアメコミ好きを罠にかけてアメリカンニューシネマの沼に落とそうとする作戦らしい。
    が、そもそもアメリカンニューシネマ好きにとっては、罠とは思えず、自らゴキブリホイホイに魅せられるような……つまるところ大好きな匂いに釣られて、作品を見た。
    それでいて暴力の匂いだけは現代的というか……「ファイトクラブ」式仕掛けも相まって。
    (少し脱線するが、享楽はただひたすら弛緩的快感、快楽は緊張と弛緩の落差の快感、という精神分析的解釈に基づけば、本作は明らかに恐くて気持ちいい暴力としての快楽を推奨している……これ倫理的にいいんだろうか。)

    前情報は極力入れなかったが、それでも「ジョーカーは俺だ」と皮相的に反応するのは危うい映画なんだろうな、と予想していた。
    が、序盤も序盤、笑いながら泣く表情のアーサー……ホアキン・フェニックスの演技を見て、もう予想を前提にした構えは崩された。
    少年期からチックに悩まされた私……トゥレット症候群の須藤洋平「みちのく鉄砲店」……を思ったりして、もはや他人事じゃない。アーサーの生きづらさは、俺と同じだ、と。
    アーサーの境遇。社会派映画と表現するのは簡単だが、特定の時事ネタを指していないぶん、決して社会派とは言い切れない。
    それなのに2019年現在を、鏡だか湖の水面だかのように映して、他人事とは切り捨てられない現代性を感じる(社会派ではなく)。
    いちいち書き連ねるのは面倒だから単語だけ書くが、SNS的拡散力、白人のインセル、非モテ、陰キャ、共感の欠如、言い訳、自己欺瞞、くらいか。
    少しだけ文に起こしてみれば、分断・疲弊のせいで、連帯すべき弱者同士ですら連帯できず優しさが持てない現在。大きな物語に抵抗できた4,50年前とは違うのだ。

    監督いわくシドニー・ルメット「ネットワーク」1976(見たはずだが記憶にない……不甲斐ない)も参考にしているとか。
    さもありなん。TV生中継の感染力は、SNSの拡散力とパラレルだ。メディア・カーニバル。

    個人的ルサンチマンや、自らの血統に関する誇大妄想(精神分析的な)は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」スメルジャコフを思い出す。
    またアーサーがする行為は、ラスコーリニコフそのものだ。
    斎藤孝がドストの登場人物を評して「過剰な人」と言うが、過剰な人はヒーローになりうる。過剰に持たざる者は、陰が陽に転じ反転すれば過剰なヒーローだ、そんな人をメディアが見つけないはずがない。
    作中のテレビ番組……デ・ニーロはアーサーの滑りを面白がる。
    何度も夢想でデ・ニーロと会話していたアーサーは、侮られていると感じるやルサンチマンをぶつける相手に、デ・ニーロを見做す。
    銃撃。スタッフ逃走。無法地帯が放送に乗る。アーサーは担ぎ上げられる、ジョーカーとして。
    (近年、ひろゆきのいう「無敵の人」という概念があるが、まさにそれ)
    内心の父殺しが、テレビを通じてテロリズムへと変換されて大衆を扇動する。
    テレビの向こうの、「少々しか欠乏していない人」は、アーサーが提示した鋳型に自分を当てはめる。鏡、仮面、妄想の産物に身を委ねる。この時点で、騒ぐパリピ=この映画を見て共感する視聴者、になるのだ。
    担ぎ上げられたアーサーは、狂騒に半ば困惑しながらも我を浸す……イエスが次のキリスト=救世主への繋ぎ役に過ぎなかったのと同じく(大江健三郎史観)、アーサーもアンチクライストとして完璧じゃなく、ただヴィランとして仕方なく担ぎ上げられただけと言える。

    終盤、アーサーは現実的ではない水準の真っ白いリノリムの病室に入れられている。
    事件後に収容されたのか、何も事件を起こさないうちにアーサーが妄想したのがこの映画の話だったのか、がわからないままに、EDへ。陰鬱さを離れ、真っ白な病院の廊下でチャップリン的な追いかけっこが繰り広げられるので、夢落ちか否か、解釈は半々なのだ。
    見る者を、アーサーは俺だ/俺はアーサーだ/俺こそがジョーカーだ、と叩き込んだ映画は、しかし「面白いジョークを思い付いたんだ」女医「教えて」「言ってもわからないよ」(共感するんじゃねえ)、と突っぱね、真偽不明の水準に落とし込む。
    中上健次が著作のあとがきで「わかってくれと、ひくひく震える肉を差し出して、わからられてたまるかと思っている」と言っているのと同じ。
    真島昌利が「俺の話を聞いてくれ、笑い飛ばしてもいいから」と「チェインギャング」にて歌うのに、しかし聞く気はない、という。
    思い返すだに、この映画に、悪い人はいない。なのに状況がアンチクライストを生む、というボトムダウンの状況そのものが、恐い、そして予言的だ。

  • 悲しくも、アーサーが悪のカリスマジョーカーとなった物語。
    ホアキンフェニックスが、亡きリバーフェニックスの話を初めてしたことに感銘を受けた。
    きっと今まで葛藤があったのだろうと想像してしまう。

  • 階級間闘争の話かと思い楽しみに見始めたのだけれど、そうひとくちには語れないなんども不気味な映画だった。自己愛性障害の人間の話を一時期読み込んだ時があったが、そういった人間の狂気の側面を見たような気がする。人間の暗部を描いた作品だとの意見もネットで見かけたが、私はそう信じたくない。彼のような人間をダークヒーローだとは認めたくはない。

  • 観終わった後に必ず色んな考察を考えたり読んだりして、ずっと楽しめる作品です。
    ダークナイトを観てからの方がより楽しめるかと。

    私の考察は。やっぱりジョーカーは実体の見えないカリスマであった。というものでした。
    お前さん楽しかろうに。お前さんは何モンなんだ。
    これに尽きます。それに惚れます。

    好きなシーンは階段でのダンス。

    ホアキンは前評判通り素敵すごいやばい。

  • アメリカで社会現象を巻き起こした、名悪役ジョーカーの誕生を描くスピンオフ。
    ……なのだが、正直期待値が高すぎた。
    視聴前に我慢しきれずネタバレを読むという邪道な行いをしたので自業自得なのだが、あちこちのレビューで絶賛されているから、もっと物凄いのを想像していた。
    ざっとレビューを見ると過剰反応してる人もいるが、映画と現実は別物。虚構と現実を混同するのはださい。
    社会風刺のメッセージも勿論含んでいるが、コレはエンタメとして作られている。
    エンタメの本質は面白いかツマラないかシビアな二択。正しいか正しくないか、主観でしか正解の出ない道徳問答にすり替えるのはナンセンス。
    その審査基準で言ったら世の中に正しいエンタメ作品など存在しない。

    印象に残ったのは階段のシーン。
    作中、アーサーが何度も階段を上り下りするシーンがでてくる。事務所の入り口の階段、帰り道にある階段、駅のホームの階段、劇場の大階段……この世に夢も希望もない態で、足取り重く上っていく時とは対照的に、下りるシーンは意気揚々と痛快。
    天国の階段という慣用句があるが、この作品では階段を下りる、即ち自ら地獄へ下りていく方が断然楽しげな演出。
    ホラー映画ではないが冒頭から陰鬱な音楽がかかり、「セブン」さながら指紋の付いたフィルムを思わすダークな画面作りで、ゴミが散らばる荒廃した街並みを見せていく。
    ソフィ―との関係だが、勘のよい人なら「尾行してたのね」の時点で気付くのでは?
    どうかするとエレベーター内から妄想だった可能性もあるが(去り際完全に愛想笑いだったし)さして親しくもない近所の独身男性にストーキングされたらフツーに気持ち悪いし、百歩譲って好感を持ってたとしてもマイナスに転じる。
    マレーの番組で脚光を浴びる妄想が唐突に始まるので、その流れで「あ……」と察するひとは多い。
    カットバックは蛇足と言う向きもあるが、自分は支持する。冗長な撮り方ならともかく、テンポよく巻き戻してるのでアーサーの妄想オチと絶望感がより伝わりやすい。

    ホアキン・フェニックスの背骨や肋骨が浮き出た極端に痩せた体はすごい。裸の場面がやけに多いので、痛々しさ倍増。どうしてもブリーフのもっこりに目が行く……。
    アーサーは社会の犠牲者だと思うが、マレーの「最低なものばかりじゃない」もまた正しい(マレー自身が最悪というアーサーの意見には全面的に同意だが)
    実際部屋の中を見れば、ソフィ―は貧しい中娘に愛情を注いで育ててたし、同僚のゲイリーは本心からアーサーを心配してたし、事務員がカルテの貸し出しを拒んだのはアーサーに同情したからかもしれない。
    「俺はただの事務、他の人にちゃんと診てもらったほうがいい」も、あの場では最大限良心的なアドバイス。
    そしてアーサーは底辺の声を代弁する社会への復讐者かもしれないが、本当にイノセントな者には手を下してない。唯一優しくしてくれたゲイリーは見逃してるし、就寝中のジジもおそらく殺してない。部屋を訪ねた際、壁に貼られた絵やおもちゃを優しく触るシーンからもそれはわかる。原作のジョーカーも子供には優しい男である。まあ殺す時は殺すけど、すごいレア。

    ゲイリーとアーサーの関係性も興味深い。
    ゲイリーは本作における数少ない善良な人物だが、小人症を周囲に馬鹿にされ、アーサーもまたそんなゲイリーを嗤っており、陰湿ないじめに加担してると言えなくもない。
    彼は被害者であると同時に加害者でもある。
    けっして「可哀想な善人」じゃない、損なわれた自尊心を癒す為に劣る人間を嘲り、蹴落とし、辱める意地悪さも隠し持っている。
    ランドルを殺した直後の行動が実に象徴的で、逃げろとゲイリーを脅かし急かすものの、鍵に手が届かない彼はすごすご戻ってくる。
    それを見越した上で生かし、「君だけが唯一優しかった」と感謝したのなら……底辺の人間がさらに弱い人間で憂さを晴らす、歪みが怖い。
    それでいくと一番イヤ~~~なのは上司だが……どの職場にもいるよな、あーゆー「俺は君のことよくやってるしいい奴だと思ってるんだがまわりがうんぬん」って、自分だけはいい人ぶってねちねち精神攻撃するいやらしいヤツ……。

    本作のずるいところはジョーカーのスピンオフという建前を借りてる点。
    雑にあらすじをまとめれば「虐げられた貧困層の男の復讐劇」に尽きるのだが、「あのジョーカーにこんな生い立ちがあったなんて」という衝撃のバイアスが、ニュートラルな評価を困難にしている。
    ぶっちゃけジョーカースピンオフじゃなければ、ここまでヒットはしなかった。

    新聞の写真を丁寧に切り取ってブルースの顔に触れるなど、彼が求めていたのは家族の愛情。
    塀越しにブルースに構ったのは弟の関心を引きたかったからだし、にゅーっと口角を上げせたのは、感動の対面をした弟に笑ってほしかったから。
    そんな彼が劇場のトイレで「僕が求めてるのは温もりとハグだよパパ!」と叫ぶのが辛い……
    妄想を逞しくすれば、ブルースもアーサーと同じ(心理的な?)「笑えない」病気だったのではないか。
    執事の「笑えない」は「(そのジョークは)笑えない」にあらず、「(ブルース様は)笑えない」の意味では?
    あの年齢の子供にしては不自然なほど無表情だし、両親が惨殺された時もぴくりとも表情が変化しないのは異常。
    スピンオフとしての問題点は、アルフレッドを憎まれ役として描いてしまったこと。
    原点のバットマンではブルースの育て親にして忠実な執事なのだが、本作では好感なんて持てない傲慢な人物であり、アーサーに「お前の母親はイカレ女だ!」と罵声を浴びせる。いわば原作キャラの株を下げてスピンオフのジョーカー株を上げてしまったので、ちょっといただけない。
    映画単体として見たらよくできてるけど、主要人物のキャラ崩壊とか捏造とか原作ファンには地雷だよ……。

    アーサーの障害は母親の虐待が原因だと後に判明するが、若い頃の母親が登場するフラッシュバックも彼の妄想。本人も暴行を受けていたのを考えれば、ペニーは主犯ではなくネグレクト+恋人の虐待を放置した従犯なのだろうが、息子をハッピーと呼ぶのは罪悪感の解消と願望に起因する。
    幼い頃のアーサーが殴られても泣かずに笑っていたとは考えにくく、それもまた心を病んだ彼女の「そうあってほしかった」後付けの妄想だとすれば、恋人の虐待を止められなかった罪の意識を「ハッピー」の愛称で中和してる可能性がある。
    冷蔵庫に入るシーンは、なにもかも嫌になって雑音を遮断できる場所に閉じこもったと単純に受け取った。閉所嗜好症という心理学的病理もある。

    テレビを見ながら予行演習していた時点では、アーサーは自殺を企てていた。
    自分にはそれしかできないと思い、マレーや観客の前で頭を吹っ飛ばすことで笑いをとろうと考えていたが、実際話してる中で抑圧された怒りがあらわれ、計画を変更した。
    自殺が内部に怒りを向けること、他殺が外部へ怒りを放つことなら、ベクトルが違うだけで二つはよく似ている。

    最初の面談でアーサーが過去に監禁されてたと言及されたが、それがラストシーンに繋がるとループする。
    ラストに出てくる福祉係は、アーサーの脳内に存在する故人だと解釈した。
    時系列がばらばらなのでややこしいが、アーサーが監禁されていた理由=福祉係を殺したからで、あのカウンセリングは過去の記憶を継ぎ接ぎした彼の脳内で行われていた。なので時計も11:11分でずっと止まっている。11:11分は殺害時刻。
    彼女が「聞いてないわ」と困惑したのは本当で、リアルタイムで随時更新されるアーサーの体験を、永遠に時間停止した死者に語っているから起きたズレ。

    真実が判明することはもうないのだろうが、考察がはかどる映画だった。

  • たった一人、いればいい。
    たった一人も、いなかった。

  • 画がキツいのでもう2度と観たくないけど、
    社会が悪魔を作り上げていくシナリオが見事に描かれてた。

    現実のあらゆる側面で同じことが起きてるんだろうな。

    社会が異端者を爪弾きに排斥していく社会病理。
    見えないけど、そこに確実に存在しているもの。
    アーサーはそのシンボルだよ。

    とにかくずっと、映画『タクシードライバー』が思い出された。
    鬱々とした主人公の孤独感と怒りの復讐心が重なっているように感じた。

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