●位置: 601
た作家の村上春樹は、読者の質問に答える企画『村上さんのところ』(新潮社)で、カルト教団に向かった若者たちについて問われて、こう答えています。 「オウム真理教の信者・元信者の人たちをインタビューしてきて、ひとつ思ったのは「ノストラダムスの予言」に影響された人がけっこう多かったということでした。その世代の人たちがいちばん感じやすい十代のころに、「ノストラダムスの予言」についての本が大ベストセラーになりました。そしてテレビなんかでも盛んに取り上げられました。1999年に世界は破滅するという例の予言です。そのおかげで「終末」という観念が、彼らの意識に強くすり込まれてしまった。 つまり彼らには「世界には終末があり、それはそれほど遠くない将来に訪れるだろう」という、世界のあり方についての「物語性」が自然に植え付けられてしまったということです。(中略)だから麻原彰晃の説く終末論(ハルマゲドン)がすんなりと抵抗なく受け入れられたのでしょう。そこにはまた「スプーン曲げ」に代表される、「超能力」に対する憧れ・信仰のようなものもありました(そこにもまたテレビの影響が見られます)。
●位置: 627
人は誰かのために役に立ちたい、という気持ちが大なり小なりあります。信者たちは、自らが「解脱悟り」を得るだけでなく、多くの人々を救うための教祖の「救済計画」を手伝うことになると信じて、修行や活動に打ち込みました。「救済」は自分の生きがいを求め、生き方に迷う若者たちを教団に吸い寄せる力にもなったのです。
●位置: 866
セミナーに参加している人の大部分は、セミナー中に何らかの「神秘体験」をしたい、あるいは自分の身体に起こった変化を「神秘体験」と言ってもらいたい、という願望を胸に抱えています。このような人たちは、あまり意味のない体験をしたとしても、「それはアストラルの体験ですね」とか「クンダリニーの上昇ですね」など、自分が求めている答えが得られるまで質問し続けるのです。こうして、意味のない体験が、いつの間にか意味のある「神秘体験」として認識され、自分は貴重な「神秘体験」をしたと思い込む自己満足の世界に浸っていくことになるのでした
●位置: 1,091
それにしても、当時の私は、麻原に対して疑念や疑問をいだきながらも、オウムに留まり、犯罪まで実行してしまったのはなぜでしょうか。 一番大きな理由は、私が自分のアタマで考えることを放棄してしまったことだと思います。当時の私は、グルからの命令はどんなことでも無条件で受け入れ、グルに絶対服従することこそが真のグルと弟子の関係であると信じ込んでいた、というより、信じ込まされていたのです。これこそ、究極の、そして最悪の思考放棄なのだと思います
●位置: 1,100
本来、このようなものにはかかわらないのが一番です。しかし、彼らの手口が巧妙であるために、全く気づくことなく、いつのまにかかかわってしまうこともあるかもしれません。 その場合、どうすれば問題のある集団だと見分けられるのでしょうか。 重要なことは、彼らが本来は断定したり断言したりできないことを断定・断言していないかどうか、注意することです。自分の主張や自分が尊敬する人の思想や認識が絶対正しいかのように断言し、ほかの人の主張や思想、認識などをすべて否定するなどしていないかどうか。真理や正義などのキーワードを巧みに使いながら、自分の宗教思想や世界観がどんなに素晴らしいかを語り、皆さんに同調させようとしていないかどうか。そうしたことに注意してください
●位置: 1,107
そして、最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。その感覚を大切にしてほしいのです。そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみてほしいのです。 違和感の正体が明確にはならない場合もあるでしょう。そうであったとしても、疑念・疑問を感じたというその事実こそが、とても重要で大切なことだと思います。たとえ明確な答えを導き出せなくとも、違和感や疑念・疑問について自分のアタマで考えることを行っていれば、皆さんが私のような過ちを犯す可能性はなくなるはずです。 ぜひとも疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にしてください
●位置: 1,550
こんな風に疑問や違和感を自分自身で抑えつけ、教義の世界だけでモノを考えてしまうのが、オウムのようなカルトの心の支配の特徴です。
●位置: 1,697
こんな風に、最初は比較的ハードルの低い行為で犯罪に手を染めさせ、だんだん不正に慣れさせ、違法性の高い行為へとハードルを引き上げていくやり方を、林は後に「「踏み絵」と「慣らし」」と呼びました
●位置: 1,809
人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません
●位置: 1,899
サリン製造に携わっていた時、誰からも何を作っているのかはっきりと教えられてはいませんでしたが、断片的な情報から、サリンであることはなんとなく分かっていました。 そういう仕事をする時、どのように心の中で折り合いをつけるのでしょうか。この質問に、C子はこう答えました。 「その時は、これが自分に与えられている仕事で、それさえすればよい、と思っていました。後のことは、自分がもっていない、計り知れない能力や知恵をもっている人(つまり教祖)が考えることだ、と」 サリンは、人を殺害する以外に用途はありません。そのような物質を作ることに、C子は罪悪感や負い目のようなものは感じなかったのでしょうか。 「当時は、そういう気持ちをもっておらず、とにかく言われたことをすればいいとしか考えていませんでした
●位置: 1,994
オウムの取材をしていてつくづく思ったのは、この教団がやることが、あまりに場当たり的、直情的で、 杜撰 だということです。そこには、教祖の人格が投影されていました。 一つ間違えば、警察の捜査対象となり、教団存立の危機にも瀕しかねない、凶悪事件の場合も、そのほとんどに教祖の思いつきが反映し、計画は実におおざっぱでした
●位置: 2,034
それでも、一つひとつの失敗の原因をきちんと究明することはなく、次々に新たな指示が出されます。教祖の欲求と思いつきを、弟子たちは短期間のうちにバタバタと実行する。その繰り返しでした
●位置: 2,071
それにしても、なぜ、当時の日本社会はオウムの暴走を止めることができなかったのでしょうか。 一つは、警察や行政が果たすべき役割を果たせていなかったこと。加えて、知識人やメディアの問題を考えなくてはなりません
●位置: 2,101
動かなかったのは警察だけではありません。教団は、生物兵器や化学兵器を作ろうとして、何度か悪臭を発生する事件を引き起こしています。近隣の住民が保健所などの行政機関に通報したこともありましたが、立ち入り調査などは行われていません。 警察や行政が消極的だったのは、教団がなにかと「信教の自由」を持ち出し、「宗教弾圧をやめろ」と叫んでいたことや、各都道府県の警察の間での連携が十分でなかった点などもありますが、果たしてそれだけでしょうか。同じような失敗を繰り返さないために、しっかりと検証して欲しいと思います
●位置: 2,126
こうしたメディアや知識人は、人々のオウムに対する警戒心を解き、広める役割を果たしてしまったと言えます。 一方、オウムが起こしている様々なトラブルや事件については、一部の週刊誌を除いて、なかなか報じませんでした。その理由の一つは、オウムのクレームや訴訟、激しい抗議などを恐れたからです。
●位置: 2,155
日本国憲法は「思想・良心の自由」(一九条)、「信教の自由」(二〇条)を保障しています。 問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考え方を敵視したりして、人権を害する行為があるかどうかです。一人静かに、時折鰯の頭を拝んでいるだけなら、「カルト」とされるいわれはないでしょう。けれども、勉強や仕事をしなくなって四六時中拝み続け、他人の悩みや弱味につけ込んで仲間に引き入れたり、「これを拝まないと地獄に 堕ちるぞ」などと脅してお金をとったりすれば、これは「カルト」と批判されても仕方がありません
●位置: 2,204
西田教授は、マインド・コントロールの仕組みを、人の頭の中にある「ビリーフ・システム」と、外側からもたらされる「情報」に分けて、図のように説明しています。「ビリーフ・システム」とは、意思決定装置、いわば思考回路です。誰もが、自分の頭の中に、これまで学んだ知識や道徳、理想などを使って物事を考えたり判断したりする思考回路を持っています。ところがカルトに入ると、新たな知識や道徳、理想などを植えつけられ、従来とは異なるカルトのビリーフ・システムが埋め込まれます。信者となって、カルトの思考回路ばかり使っているうちに、従来の回路は 錆びついていきます。元信者がカルトにいた頃を振り返って、よく「カルトにいた時には自分のアタマで考えていなかった」と言いますが、それは、本来の自分の思考回路が錆びついて機能しなくなっていたから
●位置: 2,212
そのうえ、カルトは入ってくる情報を制限します。「マスコミ情報は魂が汚れる」などと教え込んで、色々な情報に触れさせないようにします。あるいは教団の施設の中で生活する信者には、外からの情報を遮断し、教団の情報のみを与えるようにします。 このようにしてアタマの中の意思決定装置と入ってくる情報の両方が巧みにコントロールされているのですが、信者はそれに気づかず、あたかも自発的に判断しているような気持ちで、カルトが期待する行動をとります
●位置: 2,229
ですから、カルトから身を守るうえでは、特定の団体を「カルトか、カルトでないか」という二分法で考え、その結論を待って判断するというのは、得策ではありません。それより、一つの価値観に固執し、それまでの人間関係を壊したり、社会の規範から逸脱する行動をとったり、人の権利を損なうような傾向のある場合は、マインド・コントロールを疑い、カルト性が高いのではないかと、よくよく注意し、距離を置いた方がいいと思います
●位置: 2,304
カルトから身を守るには そんなカルトから、身を守るにはどうしたらいいでしょうか。 紀藤弁護士は「それでも、よく注意していれば、カルトのサインが見えてくることがあります」と言います。いったい、どんなことに注意すればいいのでしょう。 「第一に、お金の話が出たら要注意です」と紀藤弁護士。途中で会費やセミナー代などを求められたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。 「第二に、話が最初と違っていたり、何らかの?が含まれている場合も注意すべきです」 たとえば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人は、実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって、人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑 にして勧誘活動をしていました。 「第三に、「これは誰にも言っちゃいけない」などと秘密を守らせようとしている場合も気をつけてください」 若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当にいい教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです。こういう場合は、むしろ大人に相談してみることにしましょう
●位置: 2,336
ダライ・ラマ法王はこう言いました。 「studyとlearnの違いです」 studyには「研究する」という意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語や表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。 「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」 一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です。
●位置: 2,352
疑問を持つ。考え続ける。それが、あなたがカルトから身を守るうえで、一番大事なことだと思います。 紀藤弁護士は、最近の日本では、オウムのように一定の規模を持ったカルトが登場しにくくなる一方で、霊能者や占い師と称する人が、個人や家族、あるいはせいぜい二〇~三〇人程度の人をマインド・コントロールし、小集団を作るというケースが増えている、と言います。カルトの小粒化です。中には、一対一の〝一人カルト〟現象も出ています。 これは、カルト性のある集団が、そうとは分かりにくい状態で、私たちに近づいてくる可能性が高まっていることを示している、とも言えるでしょう