科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点 (ブルーバックス) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 【印象に残った話】
    ・科学と技術の違いは以下の通り
     ・科学:自然界の成り立ちを知ること
     ・技術:人工物をつくること
    ・トランス・サイエンスとは、科学だけでは良し悪しを決められない問題や状態のことを指す
     ・福島第一原子力発電所の事故の際、専門家は一定の放射線量以下であれば「大きな健康被害リスクは少ない」と助言したが、日常生活における行動指針にはならなかった
     ・いわゆる「事故物件」を格安物件と考えるか、気持ち悪いと考えるかについて、「科学的には問題がない」が、個々人の感覚や価値観はまた別の問題である
    【アクションプラン】
    ・トランス・サイエンスの他の事例を考える

  • 「科学とはなにか」というよりも、科学だけでなく技術含めた科学技術と社会の関係についての著者の経験談や考えに関する随筆を収集した著作

  • 大風呂敷を広げた書名で、これだけでは「科学の何を述べるのだろう」という印象を受けますが、著者が力点を置いているのは、「科学と社会の距離感をどう取るべきか」という点でした。
    現代の科学の最前線は遺伝子を操る生命工学とか、核エネルギーとか、AIもそうですが使い方を間違うと人類の存亡にかかわる技術と直結しています。それを研究し、扱う科学者には「この技術(知見)がどう使われるかまでは興味なし。ただこの技術(知見)を突き詰めたい」などという姿勢は最早許されませんし、また社会を構成する一般の市民にも「最近の科学は難しくてサッパリわからない」という無関心な姿勢では立ち行かないという状況になっています。そこで、一般社会の市民が科学技術とどう関わり、また科学者が社会とどう関わるべきか、というお互いの距離感の取り方について述べた本です。
    科学者が考える「科学的知識」と、日常生活における「日常的な知識」が必ずしも一致しないという構図が挙げられています。『美しい夕日を眺め「夕日が沈む」と感じたとき、科学的には”夕日が沈む”のではなくて”地球が自転している”というのが正解ですが、その科学的知識だけをシチュエーションも考えずに振りかざしていては生活が成り立たない』という例が挙げられています。
    また、普段の生活では何かの科学的な判断が必要な時(例えば栄養の採り方とか)に、科学者でない限りは詳細な前提条件などはあまり考慮されませんが、科学者はあくまでもその知見が成立する条件に拘ったりします。
    そのあたりの行き違いを、お互い歩み寄って理解を深めるべきというのが著者が一貫して主張している点です。ただ、テーマが大きすぎるためその具体的な方法論については、新しい視点や着想を得た印象は受けませんでしたが、本書が採り上げているのは非常に重要な論点だと思いますし、今後ますます重要になっていくテーマだと思うので、今後も誰もが関わっていく必要があると感じます。

  • 科学技術と社会との関わりを歴史的に俯瞰しつつ、本邦における科学技術の飼い慣らし方について述べている。

    本邦では、東北震災での原発事故、コロナ禍での専門家や擬似専門家の問題、日本学術会議の任命における問題など、科学技術研究の当事者と世間との不幸な関わり方が目立っていると思う。その様な中で筆者は、科学技術の研究当事者と世間との協調、それによる科学の社会化にについての意見を述べており、著者の縁側の議論については大いに賛成する。

    社会学者の宮台真司氏は社会学や政治の分野で、政治社会における現象を大衆に解説し啓蒙していく『ミドル』の存在の必要性に言及しているけれども、科学技術においても同様の『ミドル』の存在が『縁側』として必要なのだと思う。

    これからのグリーン化してく社会、パンデミックが繰り返されていく社会では、世間と医学を含む科学技術の専門家とのコミュニケーションやそれを通した社会の知識化なくしては上手くいくわけが無い。本書はそれに向けた道標となる一冊だと思う。

  • 科学(科学技術)はいかなる歴史的過程を得て成立し、発展してきたのか。科学と社会との関係は歴史的過程でどのように変化してきたか(科学と社会がそのような相互作用を受け合い、影響し合ってきたか)。
    人間社会では科学は社会を良くするためにあるというのが大元の前提にある。しかし、歴史的段階により誰にとって良きものなのかは大きく変わってきた。古代から中世においては科学は権力者の権力維持に貢献するものであった。そして、啓蒙主義の時代を経て、価値判断よりも事実を重視する科学は哲学から独立する傾向を示し、科学者が誕生した。その後、国家としては後発のドイツ(やはり後発の日本はそれをお手本に)後進性を挽回するための手段として国家が科学を囲い込むようになる。だが、国家権力による科学の囲い込みがもたらした最大の悲劇は第一次世界大戦である。その苦い経験を経て、科学を人間社会にとって有益なものとなるように社会が科学との適切な関係を築くこと、そのあり方を考えることが重視される。ただ、第二次大戦も国家間の総力を上げた戦いであり、軍事技術の向上を目的に科学技術の進歩が目指される軍学協同と第二次大戦後はアメリカでこれに産業界も加わることで軍産学協同の傾向が一層強まることに。
    しかし、21世紀の現在、医学や生物学の大いなる進展により、市民と科学との関係が重要視されるようになる。科学の成果が社会や市民生活に大きく影響を与えるからであり、人間社会や市民生活を便利にするための科学とそのための方法がより重視されるのである。
    科学は生態系のようなものであり、さまざまな事が複雑に絡み合って成り立っている。また生物の進化のようにその発展の歴史的過程も複雑である。安易な部分的改善のために科学の知識を取り入れるとかえって人間社会に悪影響をおよぼすことも考えられる。生態系を人間ために役立てることができるかは生態系に対する人間の関わり方の姿勢にかかっているのであり、科学も同じである。進歩する科学技術をどのように使いこなせば社会がより良くなるか、価値判断は人間が行うものであり、科学はその素材を提供するものにすぎない。科学に価値判断を求めてはいけないのだ。

  • ユーモアのある文体。

  • 台湾やニュージーランドで新型コロナ対応がうまくいったのは専門的知見があったからではなく、活用できたから。今後AIのような先端科学技術についても同様。反科学や疑似科学が力を持つのは人が陰謀説を信じ易いから。自分に都合の良い情報だけ集まるインターネットのフィルターバブル現象や、成績の悪い人ほど自分は出来が良いと考えるダニング=クルーガー効果がこれを加速する。今、世界中で政治的イデオロギーや価値観の分断が広がっているのもこのメカニズムが原因のひとつではないか。

  • 科学知を社会に活かす。
    COVID-19の現在に考える指針として読むべき一冊。

  •  日本経済新聞で竹内薫さんが推薦していたので手に取ってみました。
     現在の「科学の意味づけ」を論じた興味深い論考です。著者の佐倉統さんは私とほぼ同年齢なので、解説に登場する一般人向けのエピソードはとても親近感があり、それだけでも読みやすく感じました。
     改めて「科学のあり方」についてあれこれ考えてみるには、手ごろなヒントが満載の著作でしたね。

  • p.133 「市民のための科学」の時代
    (小見出し)
    p.169 菅豊「新しい野の学問」
    p.171-172 シチズンサイエンス、市民科学
    月1回講談社のウェブサイトに掲載

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著者プロフィール

東京大学大学院情報学環教授、理化学研究所革新知能統合研究センター・チームリーダー。もともとの専攻は霊長類学だが、現在は科学技術と社会の関係についての研究考察が専門領域。人類進化の観点から人類の科学技術を定位することが根本の関心。著書に『科学とはなにか』(講談社)など。

「2024年 『抑圧のアルゴリズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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