誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論 [Kindle]

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  • みすず書房
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感想・レビュー・書評

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  • 精神科医による約20ページ×11編のエッセイ集。
    みずからの希望からではなく始まったアディクション(嗜癖)臨床から得た知見について、医師としての体験にかぎらず著者のプライベートな出来事も多分に交えて綴られている。

    アディクション臨床のおもな対象となるアルコール依存症と薬物依存症のふたつのうち、著者の専門は薬物依存症である。薬物依存症患者への臨床経験をとおして、病にかかる動機と背景が紐解かれる。その動機にあるのは快楽ではなく、苦しみを紛らわせるために薬物を必要とする(または相殺するためにリストカットのような身体的な痛みを求める)。そして薬物を必要とする背景には往々にして、なにかに依存せざるをえないような患者の悲惨な過去が横たわる。

    本書はこれまでの誤った認識や偏見についても多くを気付かせてくれる。薬物の作用による「廃人」「ゾンビ」といったイメージが大きな誤りであり、薬物を使っていなければ普通の人と何も変わらない程度だと初めて知る。同時にそのようなイメージが国家主導で"教育"されたものであり、その偏見から薬物依存症者をより苦しめる結果になっている現状についても教えられる。少年院が更生ではなくむしろ悪しき抑圧として悪影響を及ぼしているという認識については、『反省させると犯罪者になります』などの岡本茂樹氏の著書とも共通している。また、うつ病患者への励ましや自殺念慮への問いかけを禁止するといった"常識"についても「精神医学の神話」であるという事実に驚かされた。

    本書のもっとも大きな副産物として挙げられるのは、アルコールの危険性への認識の更新だった。薬物依存症患者にくらべて「むしろ内臓がボロボロになり、病気のデパートと化しているのは決まってアルコール依存症患者」であるだけでなく、内向きに働く薬物依存にたいして衝動性・攻撃性を解き放つアルコール依存は周囲への傷害や事故としても悪影響が甚大である。本書を読むかぎり薬物などよりはるかに危険なアルコールが公認されている理由について著者は、あくまでも歴史の長さと社会浸透度の高さによって許容されているにすぎないと分析する。

    専門的でシリアスなために精神医学の話は読み物としては重くなりがちだが、著者のプライベートな過去や一部には自虐的で卑近な話題によってバランスよく仕上がっているために読みやすい。ゲーセンでレースゲームにはまった一時期や、オンボロ・イタリア車への傾倒、コーヒー中毒といった自身の経験をアディクション臨床につなげて語ることで、依存症が読み手にとってもまったくのひとごとではないと身近に感じさせてくれる。

    もっとも深く印象に残った箇所は、依存症の自助グループのスタッフが著者に語った「人生においてもっとも悲惨なことは、ひどい目に遭うことではありません。一人で苦しむことです」という言葉だった。現代的なさまざまな問題を知るにつれ、その多くにおいて「孤独」「孤立」が底流することに気づかされる。

  • 高野秀行さんのツイートで知って読んだのだけど、評判どおり、読みものとしてすごくおもしろく、ユーモアがあるエッセイや小説みたいな感じにするする読めた。ちょっと感動してしまうような場面もあるし、読むのが苦しくなるような場面もあったけれど、とにかくなにか明るい雰囲気がよかった。そして依存症や薬物について理解が深まるすごくいい本だった。薬物について、「ダメ。ゼッタイ。」みたいな啓蒙のしかたははまちがっているし、その人がなぜ依存するのかという過去や背景を知ることが大事だし、ただ違法だからと刑務所に入れればいいってものじゃない、などということがよくわかる。
    あと、精神医療の現場の様子もうかがえて、野次馬的にも、おもしろいといっていいかわからないけど、興味深かった。

    海外ドラマや映画を見たり、小説を読んでいると、依存症や薬物の話はたくさん出てくるので興味があるというか、いろいろ知りたいと思っていて。やっぱり虐待などの過去やトラウマのせいで薬物依存になるパターンは多いし、治療は難しいものがある……。

  • https://ichikateiiryou.hatenablog.com/

    本書は、依存症治療に長く携わってきた精神科医である著者がその自身の経験を記した本である。

    薬物依存症を診た経験はないが、アルコール・ニコチン・ベンゾジアゼピン(睡眠薬)依存症は診ない日はほぼなく、興味深く拝見した。

    とはいえ、専門用語は殆ど出てこないし、対人援助職の方や、人間理解に興味のある方には、是非一読をおすすめしたい。

    著者が本書で主張したいことは、あとがきに端的に記されている。
    この世には、よい薬物も悪い薬物もない、あるのはよい使い方と悪い使い方だけ。そして、悪い使い方をする人は、何か他の困りごとがあるのだ——
    (中略)
    「困った人」は「困っている人」なのだ、と。だから、国が薬物対策としてすべきことは、法規制を増やして無用に犯罪者を作り出すことではない。薬物という「物」に耽溺せざるを得ない、痛みを抱えた「人」への支援こそが必要なのだ。 193p

    以下、本書を読んで感じたことを
    ・痛みをもって痛みを制す
    ・共感性の欠如と、その構造的理解について
    ・その他
    の3点に分けて書いてみる。

    ー-----------------------------
    痛みをもって痛みを制す
    ともあれ、世の中には、生きるためには不健康さや痛みを必要とする人がいる――。 53p
    薬物・アルコール・タバコなど、なぜ自ら毒を取り入れ不健康になろうとするのか。
    それは、一時的に心の辛さが和らぐからである。
    特に薬物依存症患者の多くは、虐待など過去に過酷な経験をしていることが多い。

    ただ、「生きるために痛みが必要」なのは依存症者に限ったことではないと思う。
    「暇と退屈の倫理学」では、このようなことが書かれている。
    あらゆる経験は刺激(サリエンシー)であり、記憶の傷痕として脳に刻まれる。外的なサリエンシーが減ると、記憶の傷跡が活性化して、痛む。その痛みこそが、退屈である。 *ブログ作者要約
    https://bc-liber.com/blogs/fd3bb7513954

    リベログ

    「人生なんてつまらない」と嘯く、冷めたあなたへ。【暇と退屈の...

    こば
    12/08 18:32


    退屈をごまかすためには気晴らしや仕事が必要であり、ある意味で僕らはそれらに依存している。
    (進撃の巨人 17巻)
    何度となく引用しているが、この進撃の巨人のセリフは、真理だと思う。

    *リストカットも同じような背景があると考えられる。
    「リストカットする子どもが切っているのは皮膚だけではない——彼らは、皮膚とともに意識のなかでつらい出来事の記憶、つらい感情の記憶を切り離している」 66p

    ー-----------------------------
    共感性の欠如と、その構造的理解について
    少年鑑別所や少年院の子どもたちの多くが、自身の話をすると無視され、問答無用の暴力によって制圧され、嘘つきと疑われる経験をしていた。彼らの立場に寄り添って理解しようとすれば、そのような環境を生きのびるには、リストカットや薬物の乱用によって自身の心の痛みを麻痺させるしかなかったような気がする。しかし、そのようにして自身の心の痛みに鈍感になるなかで、いつしか他人の痛みにも鈍感となり、共感性が損なわれていってしまうようにも思われた。 65p 下線はブログ作者

    ”過酷な環境→薬物などで心の痛みを麻痺させる→他人の痛みにも鈍感に→共感性欠如→反社会的行動”という流れ。
    実在した連続殺人鬼も、不遇な生育環境で育ってきたものが多いらしい。
    https://bc-liber.com/blogs/c50db43c4c5b

    【死刑にいたる病】「邪悪」を節制する自制心

    こば
    07/30 15:16


    この構図は、人間という種において、再現性のある現象なのかもしれない。


    ー-----------------------------
    その他
    既にブログが長くなってしまったので、あとは印象的だった部分を幾つかピックアップして終えようと思う。

    中学時代、シンナーを吸引していた同級生の大半は、卒業までにはシンナーをやめていて、その後も薬物とは縁のない人生を送っている。 21p
    薬物は「ダメ。ゼッタイ。」の標語でよく知られるように、一度でも暴露すると二度と元には戻れないというような言説で脅迫的に語られがちだが、事実はそうではない、と。
    過剰な規制・脅しは、かえって逆効果になってしまう。本書で繰り返し語られているポイントの一つである。

    絶望をあえて誰かに伝える、という矛盾した行為そのものが、「人とのつながり」を求める気持ちの表れとはいえまいか? それが仄見えるからこそ、一部の人間は善意から手を差し伸べるわけだが、アディクションという病には一筋縄ではいかないところがある。気づくと、嵐に巻き込まれ、蟻地獄に引きずりこまれているのだ。 22p
    「患者と近しすぎるのは良くない。適切な距離感を保たなければならない。」と昔の指導医から習ったことを思い出した。納得できる部分もある反面、医師患者関係も突き詰めれば人間関係なのだから接していれば様々な感情は生じるし、多かれ少なかれ蟻地獄に足を踏み入れているんじゃないかとも思う。ただ、そこに対して自覚的に俯瞰的に観る姿勢は大事であり、それも人間関係全般に言えることなのでは。

    説教や叱責といったものは、それこそ彼の周囲にいる素人の人たちが無償でやっていることだ。それと同じものを、いやしくも国家資格を持つ専門家が有償で提供してはいけない。 28p
    依存症患者に対して説教叱責はしたことがないし、できるだけ陰性感情には気を付けている。丁寧にお話を聞くだけで「説教されなかったのは初めてです」と言われることすらある。
    それを無償・素人/有償・プロという軸で語る視点は新鮮だった。

    ミーティングでは過去の自分と出会い直すことができるのです。 34p
    以前調べたことがあるが、残念ながら僕が臨床しているところでは、近くにアルコールアノニマス、断酒会などの自助グループは存在しなかった。医療従事者がどんなにフラットに接しようと思っても、仲間と語りあい励まし合う場の方が何倍も有効であるというのは、肌感覚としてはよくわかる気がする。
    自助グループが機能的である理由を「新メンバーで過去の自分と出会い直し、古参メンバーで未来の自分と出会う」ことである、という説明は非常に腑に落ちた。

    薬物依存症者にとって、薬物を手放すことは一種の喪失体験—長年連れ添った伴侶との別離にも似ています—でもあるのです。 35p
    薬物は、ある意味で苦楽を共にした伴侶である。

    ご婦人の「手のかからなさ」とは、実は、援助希求性の乏しさや、人間一般に対する信頼感、期待感のなさと表裏一体のものであった、ということだった。 169p
    手のかからない人は、「人に依存できない」人。
    そして「人に依存できない」人は、物に依存する。

    何も処方しないと、「薬を出してもらえないのですか」と、不服そうな顔をされることもまれではない。その顔にはしばしば、特効薬という魔術的なものへの期待が見え隠れする。 171p
    全ての医師が激しく同意しそう。でも、「特効薬幻想」は自分の中にもある気がしていて、現在漢方に傾倒している。

    しらふは縮め、分離し、そして否(ノー) という機能があり、一方、酩酊には広げ、統合し、そして諾(イエス) という機能がある。アルコールは人間の応諾機能の大きな推進力なのである。 186p
    著者も「あらゆる薬物のなかでもっとも心身の健康被害が深刻なのは、まちがいなくアルコールである(109p)」と語っているが、そのアルコールがなぜここまで人類に普及したのか?という説明の一つがコレ。
    私はアルコールをほぼ飲まないので、「酒造会社の利益の犠牲者なんだろうな・・・タバコみたいに酒税も上がれば犠牲者は減るのだろうか?」とアルコール依存症を見るたびに思っていたが、この説明を見て人類はアルコール依存症と決別することはできないんだろうなと思った。

  • 思っていたのとまったく違ったけれど(医師としての使命とか、提言とか、そういう話だと思っていた)、面白かった。いや、使命?とか、提言?とかは出てくるのだけれど、それが相当、思っていたのと違うという意味で。

    いきなり「アディクション」という言葉が出てて面食らったが、依存症のことなんだそうだ。つまり著者は薬物やアルコールなどの依存症を治療する、精神科の医師なのだ。吾妻ひでおが本人がアル中で入院した経験を「失踪日記2-アル中病棟」という漫画に描いているけれど、あれに出てくるお医者さんの立場で書いた本だ。吾妻ひでおも通っていた患者の自助組織の話なんかも出てきて、興味深い。著者はアルコールより、覚醒剤とか薬物を中心に手がけているようだが。
    いろいろ本を読んでいて思うけれど、精神科の医療というのは他の分野の医療とずいぶん異なる感じがする。患者がいて、医師がいて、投薬を含む治療がある、という点では変わりはないけれど、その手法がまだ確立されておらず、あるいはまだまだ手探りの部分が大きく残っているようだ。著者も最初はほとんど手探りで、そのあたりのことも正直に書いている。しまいに患者に叱られたそうだ。

    ただ、本書の半分くらいを占めているのが、著者個人がここに至る著者の経験だ。中学時代に知り合ったシンナーをやっていた友人の記憶、出会った患者たち、本人がのめり込んだイタリア車やレゲエなどの趣味の話。趣味にのめり込むのも依存症の一種、みたいなステレオタイプな結論を導いているわけではない。医療と関係のない、自分の経験として淡々と書いているだけなのだが、それが不思議と「なんでそんな話?」という気分にならない。ふと思ったのだが、患者にとっての医師は単なる医療技術者ではない。持っている知識を決まった時間内で分けてもらうコンサルタントでもない。医師という職業をもった一人の人間として、病気に立ち向かう覚悟、みたいなものが必要なのだろうと思った。特に精神医療に関してはそうした部分が大きいのかもしれない。

    依存症の現場に立ち会う医師としての著者の主張や提言は、なるほどと思わせるものも、そうとう「標準的」ではないものもあって、それぞれ読者が考えればよいと思う。ぼく自身は、薬物やアルコールの依存「症」が「病気」なのかどうかは個人的には相変わらずピンと来ない。どっちもやらない(ぼくは体質的に酒が飲めない)せいもあるのだろうが。
    ただ、もし依存症が病気なら、覚醒剤をやらかして捕まるのは、コロナに感染したら捕まるようなもので変だと思うし、その一方で酒乱が酒を飲むだけでは捕まることはなく、その結果として暴れたり人に迷惑をかけたりすると捕まる、というのは矛盾している。このあたりの法の解釈はどうなっているんだろう?

  • 薬物依存を専門とする精神科医の本だが、この問題が社会の縮図であると感じさせる良書だった

    クスリや依存症、はたまた精神医療の杓子定規の議論とは対極で、非常にナラティブで心に響いた

    岸政彦の本を読んでいる感覚に似ていた

  • 薬物依存症治療第一人者である松本先生を最近知り、手にしてみた著書。

    日本では、薬物依存が犯罪として扱われ、治療的観点が手薄であることが問題であることは耳にしていたが、本書を読んでその理由がよく分かった。また薬物依存患者のイメージが作られたものであり、私もその罠に嵌っており、すっかり誤解していたことにも気づかされた。せっかくこのような素晴らしい治療者が存在するのだから、社会がもっと真摯に耳を傾けるようになればよいと思うが、誤解や偏見を正していくのは大変なことであろう。

    先生の文章力も素晴らしく、読み物としても興味深く読み進められる。

  • P202 “危険ドラッグとは、違法薬物の化学構造式を少しだけ改変することで、違法薬物と同様の薬理作用を保ちつつ法規制の網の目をかいくぐった、いわば「脱法的」な薬物を指す。国がそうした薬物を規制すれば、さらに化学構造式を改変した新たな脱法的薬物が登場し、なぜかそれは以前のものよりも 危険な成分を含有しているのがお決まりだった。そして、そのような、規制側と開発者側とのイタチごっこの末に、モンスターのような危険きわまりない薬物が誕生し、国内各地で多くの中毒死と交通事故を発生させたのだ。最終的には販売店舗の撤退によってこの一禍は表面上鎮静したものの、あの数年間は、やみくもな規制がいかに使用者個人と社会を危険に曝すのかを証明する、一つの壮大な社会実験だったと思う”

    →やみくもな規制が逆効果なの興味深い。ゴールを見据えた方法の重要性。規制は目的ではなく手段。

    P218 “現在のわが国は、覚せい剤依存症という病気が重篤な人ほど、病院ではなく、刑務所に収容されな ければならない状況にある。思えば、一八世紀の終わり、フランスの医師フィリップ・ピネルは、そ れまで犯罪者と一緒に刑務所に収容され、「刑罰による治療」を受けていた精神障害者たちの足枷を外し、教科書には、それが近代精神科医療の端緒として記述されている。しかし、二一世紀のわが国 では、本来治療や支援を受けるべき人たちがいまだに刑務所に収容されているのだ”

    →イタリアの精神病院廃止よりだいぶ古い話なのすご。

  • ふむ

  • ご自身についての語りを織り交ぜながら、依存症について、それを糾弾するのではなく、優しい目線で語られる穏やかな一冊。
    依存症は、個人の弱さや自己責任で語られがちなところ、その背景にある痛みに目を向けておられ、また、学校教育や法的規制の在り方にも、信念をもって語られておられて、私自身の考え方もアップデートされた。
    「私はあなたと共にいます」そんな気持ち。

  • 精神科医の松本俊彦先生のご著書。松本先生が精神科医、とくに薬物依存症治療の専門を目指すまでの背景だったり、依存症患者の物語だったりが、とても読みやすく面白く(といってよいかわからないが)書かれていて、サクサク読み進めてしまった。薬物やアルコールなどの依存症に陥ってしまう人たちにもそれぞれの物語があり、そこに目を向けないまま、ただ薬物などを取りあげればよい、というのは違うということがよくわかったが、薬物依存症者に対する社会の差別や偏見が悲しい。「困った人は困っている人」という言葉もとても良いとおもった。

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著者プロフィール

医師、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所依存症研究部長。
主な著作に『自分を傷つけずにはいられない―自傷から回復するためのヒント』二〇一五年、講談社。『誰がために医師はいる―クスリとヒトの現代論』二〇二一年、みすず書房。『世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (一四 歳の世渡り術)』二〇二一年、河出書房新社。『依存症と人類―われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』C・E・フィッシャー著、翻訳、二〇二三年、みすず書房。ほか。

「2023年 『弱さの情報公開―つなぐー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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