嘘と正典 (ハヤカワ文庫JA) [Kindle]

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  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • SFらしいSFではないが、各話引っ張り込まれて一気読み。
    個人的には、最初のマジシャンの話が好み。

  • 小川哲 「嘘と正典」

    藤子・F・不二雄先生がSFを「少し不思議」と解釈したというのは有名な話。

    小川哲という人も、日本SF大賞を受賞したSFジャンルの作家の印象が強いけれど
    「サイエンス・フィクション」よりは「少し不思議」のSFを書く人だと思う。
    この作品集も、少し不思議なストーリーの短編が6つ並ぶ作品集。
    個人的には「時の流れ」という大きなテーマで繋がってる印象を受けた。

    2作目の「ひとすじの光」は競走馬の血統をモチーフにした作品で、作中にテンペストという名前の馬が登場する。
    読了したのは昨日。今日土曜日にテンペストという名の馬がデビューすることを昨日知り
    「うわうわうわうわうわ!これは買うしか無いだろ!!」と一人興奮したけれど。
    脚部不安でテンペスト、あえなく出走取り消し…

    「少し不思議」をひとりで感じていました。

  • SF、ミステリ、歴史が混ざり合うエンターテインメント短編集。なんだろう。不思議なジャンル。文章は緻密で丁寧なのに、それぞれの話に「大ボラを吹いている」感があって気持ちがいい。

    冒頭の『魔術師』でいっきに引き込まれた。いわば種明かしのないマジック小説。
    競馬の血統を追うことで父子を描く『ひとすじの光』、ヒットラーに対し自分の過去の話を語るオッペンハイムの話『時の扉』、父の残した楽曲を手に、音楽が貨幣として使われているフィリピン奥地に向かう『ムジカ・ムンダーナ』、流行のなくなった世界を描く『最後の不良』、そして、冷戦をなくすために過去を変えようとする『嘘と正典』。

    Audible

  • 特に印象に残らなかった

  • 短編集。
    「嘘と正典」がいちばん好き。

  • オーディブルは小川哲『嘘と正典』を今朝から聞き始める。

    「魔術師」は、20年近くの時間をかけて、たった一度の「過去に遡ることしかできない」一方通行のタイムマシン・マジックを完成させた稀代のマジシャン父娘の物語。長い年月をかけた執念が、クリストファー・ノーラン監督の「プレステージ」を思わせる。

    「竹村理道は天才だよ。マジシャン史上、最大の天才。こんな仕掛けを思いついて、かつそれを実行するなんて、天才かつ狂ってないと無理。もし彼が天才じゃないのなら……」
    のなら?」
    「タイムマシンが本物だった。ただそれだけ」

    オーディブルは小川哲『嘘と正典』の続き。

    「ひとすじの光」は、ある競走馬に代々受け継がれてきた血の運命に、自分と父親、その先祖たちの来し方行く末を重ね合わせて、深い結び付きを感じてしまった職業作家の物語。

    なにかの現象を見たときに、そこに親近感を感じたり、共感したり、共通点を見出したりする頭の働きは、生物としてのヒトが集団で生存競争を生き抜いてきたことで、DNAに深く刻み込まれたサバイバル本能なのだろう。他者への共感なくして、集団生活は維持できないからだ。

    そうした頭の働きは、まったく無関係な物事の中に共通点を見つけ出し、そこに意味を見出して、新しい「物語」を生み出すクリエイティビティを発達させる原動力となったが、同時に、本来無関係だったはずの2つの出来事を無理やり結びつけ、ウソや作り事をまことしやかに生み出し、それを信じてしまうという副次的な効果ももたらした。かつてそれは神話と呼ばれ、いまは陰謀論と呼ばれるようになったという違いはあるにしても、別々のものをくっつける、共通項でくくってそこから法則を導き出す、という帰納的な頭の働きは、人類の叡智とゴミ溜めを同時に生み出す強力な作用を持っている。

    誤解も曲解も勝手な意味づけも、ウソもデマも陰謀論も、発明も発見もイノベーションも、こうなってほしいという願望も、ありえたかもしれない未来への渇望も、全部、なにかとなにかを結びつけて関係があると思い込む人間の知の営みそのものなわけで、人間を表す言葉に「ヒトとヒトのあいだ(=関係性)」という文字をあてた先人の先見の明にはおどろくほかない。あるとき、突然、関係が見えてしまう。その歓と興奮が、ヒトをしてホモサピエンス(考える人)たらしめたのではないかということだ。この「ひとすじの光」という作品から、まったく関係なさそうなこうした感想を引き出してしまうのも、考える人間の性(さが)みたいなものなので、許してほしい。

    ところで、スランプに陥って書けなくなった作家のもとから次々と編集者が姿を消していく記述を読むと、感情が泡立つ。売れるときだけチヤホヤして、書けなくなったとたん、潮が引くように距離をおきはじめる連中に対する憤り、こちらの事情を知りもしないでという理解されない苦しみ、信頼していた相手がそうでもないと知ったときの悲しみ、価値あるものを生み出しているのはこちらのはずなのに、どういうわけか上から目線で見下される屈辱感、他人の行動はコントロールできないというあきらめ、いまに見てろ、いつか見返してやるという反発心、毎月の給料が保証されてるやつらにこの苦しみがわかってたまるかというルサンチマン……。味わったものにしかわからない複雑な感情が呼び覚まされて息ができなくなる。苦しい。だが、その苦しみや孤独と友だちにならないと、次の作品を生み出すことはできないのだ。なんとも因果な商売だ。

    オーディブルは小川哲『嘘と正典』の続き。

    「ムジカ・ムンダーナ」は古代ローマの哲学者ボエティウスの用語で「世界の調和としての音楽」のこと。

    「ルテア族は島民それぞれが「音楽」を所有している。彼らが所有している「音楽」は、自分で作ったものや、親からゆずってもらったもの、別の「音楽」や、土地や家畜などと交換して手に入れたものだ。彼らにとって「裕福である」というのは、「優れた音楽を所有している」ことと同義だ。どれだけ大きな家を建てても、どれだけの船を持っていても、「裕福である」と見なされることはないし、豊かな生活を送ることもできないという。
     ルテア族は、音楽を「貨幣」と「財産」の二つにわけて管理している。「貨幣」としての音楽は、所有している曲をその場で一度限り演奏することによって使用される。演奏は楽器を使うこともあれば、単に口ずさむだけのこともある。普段はこの演奏を対価として、食料や日用品などを取引する。聞き手が演奏に納得すれば、手持ちの品を譲るというわけだ。
    「財産」としての音楽は、それを所有する人間のステータスにもなるし、「貨幣」の価値にも関わる。優れた音楽を所有している者は、その曲を演奏することにより、「貨幣」として有利に取引をすることができるからだ。その一方で、あまりにも頻繁に演奏しすぎると「財産」としての価値が下がってしまう。それゆえ、ルテア族の間では、価値の高い音楽ほど滅多に演奏されない、という事態が起こってしまう。ある民族音楽研究家は、ルテア族でもっとも裕福な男が所有している、部族の歴史上で最高の価値を持つ「音楽」は、これまで一度も演奏されたことがない、と述べている」

    頻繁に使うと価値が落ちるということは、希少性がその音楽の価値に直結していることになるが、価値を維持するために、滅多に演奏されない=誰も聞いたことがない音楽が「優れている」という判断は、いつ誰がどこでどんな基準で、するのだろう? ロブが疑うのももっともだ。

    「俺は祖父ちゃんが所有しているという音楽が、実は存在しないと思ってるんだ」
    「その曲は一度も演奏されたことがない。一度も演奏されたことがないのに、その価値が信じられているっていうのもおかしな話だ。島のみんなは気にしてないけど、俺は自分の耳で聴いてみない限り、存在しているとは思えないね」

    「最後の不良」は、「流行をやめよう」をスローガンに急速に会員を増やしたミニマムライフスタイル(MLS)社をめぐる物語。あらゆるものが、きれいに清潔に、無菌室のように混じり気がなく、こざっぱりして、透明でオープンな「相互監視」状態におかれた社会。

    「流行を気にすること、オシャレをしようとすること、自己主張をすること――それ自体がダサいという風潮が広がり、人々のライフスタイルは無駄のない、洗練されたものに均一化し、「流行そのもの」が消滅した」
    「MLSの流行は、自分たちから無駄を、数値化できない豊かさを奪った。若者が背伸びする機会を奪った。人々の生活から、かけがえのない部分を奪った」

    豊かさというのは、そもそも、ボリュームのあるもので、そのボリュームも、同じものが大量にあるだけでは「豊か」とはいえず、いろんなものがごっちゃになって大量にあるから「豊か」なのだ。そこには無駄や異物や余計なものもたくさん含まれているが、それを「余計だから」という理由で全部排除してしまうと、均質化された似たようなものばかりが残り、もはや「豊か」とはいえなくなってしまう。つまり、豊かさとは無駄そのものであり、多様性そのものでもあるわけだ。

    「学生時代、背伸びをしてブルデューの本を買った。フランス人しの社会学者だ。支配階級は、自分たちが特別であること自己規定するために、生活様式、料理、調度品、芸術にこだわる。非支配階級との間に差異があるという事実によって、自らを正当化するのだ――というようなことがその本には書いてある、とウィキペディアに書いてあった。桃山はブルデューの本を購入したが、難しかったので最初の数十ページを読んだだけで積んでいた。
     おそらくファッションもそうだろう。オシャレ支配階級の人々は、非支配階級と差異化をすべく服を選んでいる。音楽も映画も文学もアートも、そういう側面があったはずだ。そこには「差異」という主題があった。人々は、誰でもない誰かになりたがった。
     だが、たとえばノームコア――究極の普通――の流行は、差異自体を奪い去った。普通であることが、自然体であることが、機能的であることが魅力的だとされた。
     もちろん、流行を作っていたのは「差異」だ。支配階級に加わろうと、非支配階級は彼らの真似をする。真似をされた支配階級は、別のファッションで新たな差異を作る。その繰り返しが、たとえばパンツの太さや眉の太さの流行になった。
     そして最後にMLSは差異の価値を奪い、流行を消滅させた」

    階級闘争という古臭い言葉が陳腐に聞こえるが、これは、集団生活を営む人類とは切っても切れない、いわるゆスクールカースト問題だ。別の言葉でパレートの法則とか、2:6:2の法則とか言ってもいいのだけど、人間が集団でいるかぎり、階層性はなくならない。問題は、ただの違い=差異を、格差と誤解するところにある。好みが違うのは、単なる差異であって、どちらが上とか下とかは関係ない。はずなんだけど、差異を格差と誤認する人たちは、違うことをあげつらってマウントをしかけてくる。そいつがイヤで、格差反対、みんな平等になれ!というのも筋違いな話で、違いを認め、共存すればいいだけなのに、違いそのものを解消しようとするから無理が生じるのだ。それが他者に対する強制を生み、どれだけ多くの人達を苦しめてきたか。

    流行を追うのはくだらない。たしかにそのとおりかもしれないが、流行を追うのも追わないのもその人の自由だし、それが「違いを認める」ということだ。他者の存在をなきものにしようと考える人は、「違いを認められない」人、心の狭いみじめな人というだけだ。

    オーディブルは小川哲『嘘と正典』の続き。

    「嘘と正典」は、合理的思考が通用しないソ連の体制に愛想をつかしてCIAに母国を売ったエンジニアが過去に情報を送れることを発見する。この先おそらく、歴史に「if」を持ちこんだ歴史改変SFになる予感。

    「現在の共産主義思想は、マルクスとエンゲルスが共同で書いた『共産党宣言』が元になっています。マルクスとエンゲルスのどちらかがいなかったとして、共産主義は存在していたでしょうか?」
    「『オリバー・ツイストだと思っています。それも、『オリバー・ツイスト』よりもはるかに高度な歴史的偶然です。もちろん、共産主義という言葉自体はマルクスやエンゲルスと関係なく存在していましたが、いわゆる『共産主義』、つまりソビエトが採用したマルクス主義的な共産主義は、二人が出会わなければ誕生しませんでした。ヘーゲルの系譜を継いで極端な無神論者だったマルクスと、産業革命後のイギリスでチャーティスト運動に触れ、労働者の階級問題に深い関心を持っていたエンゲルス。この二人が偶然出会ったことによって誕生した思想だと思っています」

    「エンゲルスは二十代のとき、父が経営する紡績工場のマンチェスター支店で働くことになりました。そこでイギリスの工場労働者の実態を知って、階級問題について考えたのです。エンゲルスがイギリスで書いた論文は、無神論者で革命思想を持っていたマルクスに影響を与えます。こうして共産主義が誕生したのです」
    「もちろん、思想だけで共産主義国家は誕生しません。革命には『活動』が必要なんです。二人は組織の中で革命のために奔走しますが、そこで大きな問題が浮かび上がってきます」
    「マルクスそのものです。マルクスは天才でしたが、気難しい人間でした。気に食わない人間がいると徹底的に排除しようとしました。仲間内に数多くの敵を作り、組織から疎まれていきます。それに加えて、マルクスには生活力もありませんでした。常にお金に困っていた上に浪費癖があり、借金ばかりしていました。そんなマルクスを支えたのがエンゲルスだったのです。エンゲルスは党の活動を始めてから絶縁関係だった父に頭を下げ、イギリスで工場経営の仕事を再開します。そこで紡績工場の業績を劇的に上昇させ、十分な資産を得ると、毎月多額の金をマルクスに送るようになったんです」
    「皮肉な話だな。共産主義の母には、並外れた資本家の才能があった、と」
    「そういうことです。僕が好きなエピソードが一つあります。一八六三年、エンゲルスと二十年間連れ添ったメアリー・バーンズという女性が亡くなりました。エンゲルスは宗教を否定していて結婚はしていなかったのですが、実際には妻のような女性でした。エンゲルスは絶望の中、そのことをマルクス宛ての手紙で報告しました。その手紙に対して、マルクスはなんて返事をしたと思いますか?」
    「そんなことより金をくれ、ですよ。ひどい男ですよね。さすがのエンゲルスもこの返事には起こったそうですが、その後も結局、送金を続けているんです。友情のために、そしてマルクスの才能のために」
    「まさに『母』だね」

    「まだ『共産党宣言』が書かれる前、つまりマルクスと本格的に共同作業をする前、エンゲルスはマンチェスターで裁判にかけられていたんです。経営者の搾取と長時間労働に怒った労働者が蜂起して工場を襲う事件があって、犯行グループと密接な関係にあったエンゲルスも逮捕されたそうです。当時のイギリスでは機会を壊す行為は重罪で、暴動の罪状と合わせて実行犯の多くが死刑や流罪になったんです。エンゲルスも有罪になりかけていたのですが、弁護人がぎりぎりのところで事件当夜にエンゲルスを見たという証人を見つけ、エンゲルスの無罪が証明されました。エンゲルスは事件当夜、当時最新だった電信装置の価格交渉をするために、ソルフォードのデフォー研究所に向かったんですが、その日は研究所の創立記念日で従業員はおらず無駄足を踏んだわけです。不幸中の幸いだったのは、一人の電信技師が偶然出勤していたことです。彼が研究所の前に立っていたエンゲルスを見かけたそうです」
    「エンゲルスが有罪判決を受けていたら、彼はオーストラリアへ島流しにされていたんです。そして、彼は実際に有罪判決を受ける寸前でした」
    「なるほど、そういうことか」「たった一人の証人がエンゲルスを助けなかったら、共産主義は誕生せず、ソ連も存在しなかった」
    「そうなんですよ。共産主義の『母』はオーストラリアで一生を終えていたのですから。冷戦は生まれず、大がかりな盗聴も、長時間の尾行も、危険な潜入捜査も、全部存在しなかったんです。そう考えると、どこか感慨深くないですか?」
    「たしかに感慨深いね」と言ってから、「エンゲルスを掬った証人の技師は、地獄に落ちてもまだ足りないほどの重罪人だ」という言葉を飲みこんだ」

    最後に口にされなかったセリフが伏線なら歴史改変SFになりそうだが、それ以前に、この話をCIAのケースワーカー、ホワイトにした、モスクワ在住のドイツ人留学生クラインというのがむちゃくちゃあやしい。まるでホワイトの正体を知っているかのような話しぶりじゃないか。

    組織の目的がいつのまにか自己保存になってしまったときに陥りがちな罠。組織全体の利益(国益)や正しさよりも、組織の維持が優先される部分最適の落とし穴は、絶対失敗できないというプレッシャーが強ければ強いほど、はまるようにできている。

    「創設以来、CIAは常に後手に回ってきた。例外的にうまくいった一部の作戦を除き、ほとんどが失敗に終わった。朝鮮で、キューバで、ベトナムで、CIAは失敗を繰り返した。CIAによる軍備や技術の推定はことごとく外れた。CIAが手にすることのできた(ごくわずかな)正しく価値のある情報は、作戦を通じて自らの手で掴みとったものではなく、対立国を裏切った軍人や民間人によってもたらされたものだった。
     ホワイトはこれら「失敗の連続」が上層部に病を引き起こしたのではないかと考えていた。立案した作戦がことごとく失敗し、価値のある情報は座して待つだけで手に入れられるなら、CIAがという存在そのものが必要なくなってしまう。それだと困るので、CIAはソ連の「基本計画(マスタープラン)」という幻想を作り上げた。KGBは情報戦略で合衆国のはるか先を行っている。彼らは壮大な計画を実行するために偽のエージェントを送りこみ、偽の情報を流布させ、合衆国を混乱させている、というものだ。
     モスクワ支局の工作担当員(ケースワーカー)として様々なエージェントと話をして確信したのは、ソ連には「マスタープラン」など存在しないということだ。彼らは合衆国と同じレベルで行き当たりばったりの行動をしている。合衆国と違うのは、誰であれ、そしてどんなレベルの行為であれ、国家に対して背を向ければ彼らは処刑されるという点にあり、合衆国側と何らかの交渉を試みる時点でエージェントたちは命がけだった。そのため、合衆国に協力する者たちは、大きくわけて二つの特徴を持っているとホワイトは感じていた。一つは祖国から命を狙われており、合衆国に逃げこまなければどちらにせよ死ぬ、という人物。もう一つは、命を賭して背信行為をしたいと思うほど祖国に恨みを持つ人物。《エメラルド》の手紙は、後者の可能性を強く示唆していた」

    オーディブルは小川哲『嘘と正典』が今朝でおしまい。

    この手のタイムトラベル物は、より大きなメタ視点を持ち込めば、いくらでも、何度でも、大どんでん返しができるわけで、歴史を改変したい勢力と、それを阻止したい勢力の争いというメタ視点が出てきた時点で「してやられる」のは既定路線というか、気持ちよく「してやられてあげる」のが読者の正しい姿というものだろう(笑)。CIAに接触してきたエンゲルスの研究学生クラインがあやしいというのはまさにそのとおりで、彼はオリジナルの歴史を守る「正典の守護者」の1人だった。歴史改変SFと見せかけて、歴史改変を起こさせない勢力が歴史修正主義者から歴史を守るという話だったのは、なるほど〜と思ってしまった。よくできた話だ。

  • 時間をテーマにしたSF短編集。久しぶりに面白い小説を読んだ!
    最後の歴史改変スパイSF短編「嘘と正典」は圧巻。
    それぞれの短編の余韻も深く、読後、もし○○だったら、と考えてしまう。
    面白かった。

  • もっと読みたい話ばかりで、良い短編集だけど、物足りなさも感じました。
    ・魔術師
    これはうまい。マジックショーでも見させられたかのような読後感
    ・時の扉
    なんか、王と地下室と銃でそれかなぁと思ったらそれだった。
    ・最後の不良
    私はおしゃれとは対極にいて、ジーンズと白シャツとかジーンズとパーカーという作中に出てきた人たちのような恰好をしているので、そこまで見た目で自分を表現したいという感覚自体が良くわからん。でもなんとなく理解できてしまう話ではある。
    ・嘘と正典
    最近「Steins Gate;」をクリアしたので、まさにこれはDメールとか思った。因果の詰まりとか、分岐した世界のせいで計算量が増加し、時空が不安定にって辺りが急にSFでよかった。

  • SF短編集?ふむ、なるほど

  • ジャンルとしてはSFなのか?ファンタジーでも無い。読み始めたら読み終えるまで目が離せない。

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著者プロフィール

1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年『ユートロニカのこちら側』で、「ハヤカワSFコンテスト大賞」を受賞し、デビュー。17年『ゲームの王国』で、「山本周五郎賞」「日本SF大賞」を受賞。22年『君のクイズ』で、「日本推理作家協会賞」長編および連作短編集部門を受賞。23年『地図と拳』で、「直木賞」を受賞する。

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