光のとこにいてね (文春e-book) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • オーディブルで聴いた。
    感動したとか切ないとか、他の方の評価が高いことが、理解できなかった。
    途中までは惹き込まれて早く次が聴きたい!と思って聴いていたけど、最後の終わり方で「はぁ〜?」ってなった。これって同性愛の話なのか?友情の話でよくない?なぜキスとか出てくるのかわからない。
    ぜぜちゃんがかわいそう過ぎる。母親からの愛情が得られなかったカノンなのに、ぜぜちゃんを同じ目に合わせるなんて。ぜぜは母さんがもう帰ってこないかもしれないと思って東京へ迎えに行こうとして行方不明になったというのに、最後に会って抱きしめることもせず捨てる?「友達がいなくてもお父さんと母さんがいるから平気!」と言っていた子を。「愛情をかけてあげるのは産んだ人でなくても構わない、あの子を私の存在なんて忘れるくらい幸せにしてあげてください」なんて、何言ってるんだコイツって感じ。許せん!ぜぜは、母さんも、ゆず先生も、直くんもいなくなってしまった世界でどう生きていくんだろう…。
    みなとがなぜ離婚を言い出したのかわからない。最後の優しさから手を離してくれたってどういう事?
    ゆずの夫もなぜ「家で待ってるから」って言ったんだろう?ゆずがカノンと生きていくことをなぜ予感したのだろう?そう思わせる何か兆候あったか?そもそもカノンがいる土地だとわかっていて引っ越してきたのはどうして?
    境遇の全く違う2人が、出会い、別れを繰り返し、お互いを強く思い合っているっていう設定はとても興味深かった。実写化するなら女優さん誰がいいかなーと思いながら聴いた。小学生、高校生、29歳、それぞれの2人に合う女優さんいるかなー?
    賞を取った話題の作品が私には合わないことがここのところ多くて、世間の評価と私の感想がずれているのかな…と不安になってきた。同じように、「自分勝手過ぎて共感できない」という感想を持った人が何人かいるようで安心した。

    • キャロミさん
      はじめまして。
      たびたびかおりさんの感想を拝見しております。
      そしていつもいいねをありがとうございます。
      初めてコメントさせていただきます。...
      はじめまして。
      たびたびかおりさんの感想を拝見しております。
      そしていつもいいねをありがとうございます。
      初めてコメントさせていただきます。

      この本は読み終わった後に
      むりむりむりーてなりました。
      なのに世間の高評価。
      そして本屋大賞候補。
      意味がわからなくて。。。
      (本屋大賞候補は
      どうも最近自分に合わない事が多いです。
      そうするとセンスのない私は
      何を指標に本を選べばいいのかわからないのですが、、)

      とにかく私が感じたことを
      思い切り書いていただき、
      スカッとしました。
      ありがとうございましたー!
      2024/01/31
    • かおりさん
      キャロミ様
      コメントありがとうございます!とても嬉しいです。
      同じような方がいてホッとしました。
      最後ゆずがカノンと会えたらどうするつもりな...
      キャロミ様
      コメントありがとうございます!とても嬉しいです。
      同じような方がいてホッとしました。
      最後ゆずがカノンと会えたらどうするつもりなのか、会えるのかわからないままですが、モヤっとしますね。
      同じ本を読んでもどう感じるかは人それぞれなんだなとわかりました。ブクログはいろんな感想があって面白いなって思いました!
      2024/01/31
  • 「人との出逢い」について考えさせられる作品だった。人は80年生きられるとして、約30000人の人と関わるそうだ。(そんなに多い⁈)そうすると、70億人がいる世界で、人と人が出逢う確率は0.00004%らしい。
    「一生に一度の人生すら変える出逢い」。有名な「松阪の一夜」を思い出した。(国学者・本居宣長が尊敬する学者・賀茂真淵と生涯で一度だけ出逢い、宣長を「古事伝」完成へと向かわせたと言われている。)
    結珠と果遠が惹かれ合う物語は、とても魅力的だった。

  • 半分くらい読んだところでタイトルの「光のとこにいてね」がじわじわと来て…すでになぜか泣きそうになりました。

    生まれた環境、育った環境、置かれた環境のせいもあり、子供のときこそ上手く一緒にはいられなかった2人が運命なのか奇跡なのか出会いと別れを繰り返し大人になる。
    光のところと影のところ

    別れの度に交わされる「光のとこにいてね」と言う言葉にものすごく切なさを感じました。

    「あなただって光のとこにいてよ」と思わず伝えたくなってしまう…

  • 評価 3.8
    audible 2450円 12時間44分 424ページ
    最初の章。小学生で純粋な関係性。カノン、ゆずとも親が怖いが両者の気持ちもよくわかる。今後の成長が楽しみというよりもこの純粋さが保てるはずもないのが心配。ゆずの母のボランティアとは?殺したのか?なぜゆずを連れて行ったのか?などの疑問は解決するのだろうか?家庭環境が違いすぎて今後の人生の接点が想像しにくい。光のところにい続けることができるのだろうか?
     まさかの同じ高校。しかし、環境が違いすぎてカノンが立ち去って行く。もはやゆずちゃんどころではないように思えるが。
    今後の経過がよみにくいがまだこれからのほうが長い。光のところにいることができるのか?
     異常な両親。教師を続けられない主人公、医者を続けられない旦那。不登校2人、みなともあやしい。ちささん。攻める訳では無いがメンタルの弱い登場人物ばかりでだんだんつまらなくなる。普通の登場人物では成立しない物語かとおもうとちょっと残念。
     尻すぼみにいろいろと崩れていく、家庭を崩壊させてまでの感情にはどうしても共感できない。ゆずとカノンの間は恋愛感情?この感情も理解しがたい。最後も何が正解なのか分からず、釈然としない。人生を生きるために必要な我慢ができない登場人物の集まりにも見えて残念。僕にはどうしてもぜぜちゃんを捨てる理由も藤野を捨てる理由も正当化できない。これがガールズラブなのか?スムーズに読めたのは作者の力量と思うが、読後感は一社会人、一家庭人としてはすこぶる悪い。

  • 光のとこにいてね
    相手への想いに溢れた素敵なタイトル

    母に連れられて鄙びた団地を訪れた小学生の結珠。見知らぬ男の部屋に入る母に怯えながら、外階段の下に行きました。母はボランティア中だと待つ少女が痛ましいです。
    そこで出会った同じ年の果遠。お金持ちと貧困家庭の2人は秘密の友達になりますが、別れは突然に訪れました。出会いと再会。2人のお互いを求め合う気持ちは、友情、恋愛?強い感情の流れが細やかに描かれていて一気に読みました。でも、共感は難しかったです。

  • テーマは家族 友情 愛情…と大きいが身近なものなので共感を呼ぶ部分も多かった
    一方 ちょっと小説すぎてこれはどうなんだろうと思う部分も多くて星3つ


    タイトルの通り「光のとこにいてね」のひとことが この物語の流れを創っている

    初めは 裕福な医者の娘の結珠(ゆず)と母子家庭で考え方に偏りのある母と貧しい生活を送る果遠(かのん)が
    水曜日の短い時間だけ 誰にも内緒で「団地」の公演で遊んだ場面
    お互い 自分の生活環境が全てだった小学2年生、7歳だったため 相手の話を聞いたり いでたちを目の当たりにし その違いに驚いたり興味を惹かれたり 理解に苦しんだりする

    誰もが 幼い頃は家庭環境が世界の全てなのだから 
    保育園や幼稚園に行ったり 小学校に通ったりすることで 違う家庭環境下で暮らしてきた異星人と過ごす多くの時間は 初めは特に驚きが多いだろう
    ましてや 結珠ちゃんはお稽古ごと三昧の裕福な医者の娘で 果遠ちゃんは学校に行けなくなっており 母は極度にオーガニックにこだわりを持ち 果遠ちゃんも塩と酢で髪を洗ったり アップパイやチョコレートなんかは食べたことがない生活を送っているのだから…違いが大きすぎる
    その 違いこそが 互いに惹かれ合い 嫉妬し合う要因ともなるのだが…

    2人とも水曜日の束の間の遊べる時間を楽しみにしていた

    ある水曜日 亡くなったインコの「きみどり」を埋めるため スコップを取りに行った時だ
    果遠ちゃんが『そこの、光のとこにいてね』と結珠ちゃんに行って ぽっかりできた雲の割れ目にできたひだまりを指定した
    だけどそれきり お互いの親の言動で2人は会えなくなった


    この束の間の遊びの時間の中で 結珠ちゃんは果遠ちゃんに時計の読み方を教えてあげている
    その時 『「やった!やった!」嬉しくてぴょんぴょん跳ねる』果遠ちゃんを見たのが 後に結珠ちゃんが小学校の先生になりたいと思うきっかけになるのだから 屈託のない時間が人にもたらす影響力はすごいと思う

    この「光の中にいてね」を繰り返し 互いを求め合い
    出会っては 離れる…を繰り返す2人の生き様が物語を構成している


    高校生になった2人は クラスメイトとして再会を成す
    偶然ではなく 結珠ちゃんを求め続けた果遠ちゃんの努力での再会

    『私と亜沙子は「小瀧(こたき)」と「近藤(こんどう)なので前後の並びになる。最初に話すようになったきっかけも、名字のおかげで席が近かったから。もし亜沙子が「村上」とか「山田」ならそんなに仲よくならなかったかもしれない。名前なんて自分で選べないのに、と思うけど、何もかもがそうだった。国籍も性別も家も、何ひとつ選択権を与えられず何もできない赤ちゃんとしてこの世に生まれてくる。』
    (本文より)

    なかなか興味深い言葉だ
    現に私自身も 高校生になった時 最初にできた別の中学卒の友達は 名字のあいうえお順で席が決まっていた入学式の日に たまたま隣になった生徒だと思い出す
    卒業後は連絡を取ることは無くなったが 高校時代はよく休憩時間を一緒に過ごした 
    初めてできた 他校出身の友人だというのも嬉しかったのでよく覚えている

    小学生時代は 誕生日順で名簿が作られており5月生まれの私は やはり4、5、6月の人とグループ分けや列行動する場面が多く 気心知れる仲となる
    中学生時代の体育祭も生まれの季節で色分けされていたため やはり春生まれの友人が多くできた
    なんとなくだが 春生まれという同属の中間意識もあった気がする


    高校生活について以下引用部分も印象的だ
    『「歯 磨いてくる」
     「はーい」
     いちいち行動を説明しなきゃいけないのは家でも学校でも同じだけど、家ほど窮屈な感じはしない。ぴんと張り詰めた糸じゃなく、たわんだ紐くらいの連帯だからだと思う。地面につかないよう、でも引っ張りすぎないよう、私たちは無言で呼吸を合わせる。ある程度の自由さを保ちながら陣形を崩さない。魚の群れみたいなものだ。』
    (本文より)


    これは 女子高校生をよく表現していると思う
    今の子たちはまた違うのかもしれないが 私の頃もこんな感じがあって 私はそれが嫌いだった
    だから 教室移動も自由にやるから いちいち声をかけなくていい いなければ トイレにでも行ってるか他の誰かともう行ってるかと思ってほしいと仲良しの友人たちに告げた
    それを なんと言うこともなく受け入れてくれた友人達が大好きだった 
    その当時 基本教室で私を含む4人でよく過ごしていた
    が なんと気楽で『魚の群れ』ではない中間だった
    しかし 周囲には『魚の群れ』に苦しむ友人も多く いろんな相談を受けたことも記憶するし 目の当たりにもした



    『わたしはすぐさま結珠ちゃんの手を握り、百回でも謝りたい気持ちになると同時に、胸の底から喜びの波が押し寄せてくるのを抑えられなかった。わたしの言葉で結珠ちゃんが傷ついている。わたしにだって結珠ちゃんを傷つけることができる、というほの暗い手応えが嬉しくてたまらなかった。相反する二種類の感情が溶けずに混ざり合っている。七歳のわたしには存在しなかったはずの矛盾は、いつどうやって芽生えたのだろう。年月って、成長って、得体が知れない。』
    (本文より)


    この『ほの暗い手応え』を持ちたくないと葛藤し 闘うのが 人間なのだと私は思う
    それと闘うためには 孔子の言葉など 人の生き様を解く言葉が世に多く存在しているのがありがたい
    『年月って、成長って、得体が知れない。』…これは名言だと思う
    ほんとに いい意味でも 悪い意味でも得体が知れない
    だからこそ 面白いし だからこそ怖い



    『フリースクールを訪れた時、子どもという生き物が無自覚に発散する濃密なエネルギーを浴びてたまらなく懐かしかった。草いきれのように立ち込める乱暴で瑞々しい魂の気配に、憧れめいた愛情を覚える。』
    (本文より)


    これだ!
    と思う
    共感!
    私が 子どもを好きな理由
    以前はずっと 子どもと関わる仕事をしていた
    今の仕事も人と関われるのが嬉しいが どうしても 子どもにまみれる現場に戻りたい気持ちは失せることがない
    子どもたちのあのエネルギーを浴びている限り 病気になんてかからない気さえする
    いつまでも気持ちが若々しくいれる日々だった
    『無自覚に発散する濃密なエネルギー』
    これだけ的を得た比喩はないと絶賛したい



    『逃げたって解決にならない、なんて言う人は想像力がない。逃げは立派な解決策なのに。』
    (本文より)

    これも同感
    子どもにもこう言って育てたつもりだけど…大事だと思う



    『社会に出てみたらわかる、結婚したらわかる、人の親になったらわかる……そういう予言じみた言い回しは卑怯だし、親が子に使うのは呪いに近いと思う。子どもはいつか親の人生をなぞるミニチュアだとでも言いたいのか。』
    (本文より)



    これが本当なら 私は呪縛者だろう……
    やっぱり その立場にならないとわからないし見えてこないものがあるのではないかと思うが そう言って聞かせるのは 呪いなのだろうか…
    まあ 子どもは自分とは別人格の別個体だと いつも肝に銘じていたい


    たくさんの素晴らしい言葉がある物語だった
    一方で 『光のとこにいてね』を 取り扱いすぎた感もあった
    これは 私的には最初の七歳のシーンだけで良かった


    あと キーワードとなる校章と防犯ブザー
    いいタイミングで出てくるのだが 防犯ブザーは時が経つと電池切れで 使わなくても鳴らなくなっていたが…今時代の防犯ブザーは違うのだろうか…と ちょっと疑問だった


    あと 睡眠薬を飲ませるのはやっぱり犯罪だから 最後に果遠ちゃんが結珠ちゃんにココアに少量混ぜて飲ませたあたりは 残念な気がした
    果遠ちゃんなら やりかねないよねとその時は思ってくれてても 後で なんだかソワソワしそう…


    この後の物語の展開は 読者の想像力にまかせる感じで終わったあたりは面白い
    しかし 水人と果遠ちゃんがあまりにも急に別れることになって そんな予感はないこともなかったものの 瀬々(ぜぜ)ちゃんがどう感じるかも心配


    「光のとこにいてね」

    待っていてほしい…から 追いかけていくよ に変わり
    追いかけていくよ…から 追いかけてほしい に変わった
    これが『年月って、成長って、得体が知れない』
    の正体かもしれない

    物語の続きを想像しながら コーヒータイムにしようと思う



  • 2023年の中で1番好きな本でした・・

    物語がまず私の大好きな流れで、すぐ読んでしまいました。

    2人の主人公の視点を行き来しながら読んでいくので、最初はどっちがどっちか分からず、何度も整理しながら読んでいました笑
    主人公達の人間らしさ(私はとくに結珠ちゃんに感じました)が、リアルだな〜〜〜・・って感じです。

    結珠ちゃんにフォーカスしての感想としては、結珠ちゃん自身にとっての幸せと世間からのあるべき像(社会的に認められたい・省かれたくない欲求)を天秤にかけて、世間の目を取ったのかな、と私は考えています。他人軸にならず自分の好きなように生きておくれ〜〜。
    しかし、これもまた結珠ちゃんの選択ですから、こう思ってしまう私もまた、こうあって欲しい像を押し付けている1人で、、頭を抱えてしまいます・・バイアスかけずに読むって難しい笑

    つらつら書きましたが、大好きな作品です!
    一穂ミチさんの作品もっと読みたくなりました。

  • "夢でもいいから会いたかった。街角で、電車の中で、海辺で、偶然再会できないかと何百回も想像した。"
    過ごした時間が短くても、その存在が日常的に心を揺らす人。何年経って再会しても、お互いのことばかり鮮明に覚えている存在。
    思い出しながら、2人みたいに、磁石のように引き合って再会できたらいいなと思いながら読んだ。

  • 文章が綺麗、情景が綺麗。
    涙腺が枯渇することなくわんわん泣いて自分の涙で溺れるかと思った。
    何この綺麗な描写。今後白のプリウスが光って見える。それは無いけど。

    どうしても同系統のあれを直近で読んだから比べてしまうけど、それは良くないとは思いつつ

  • 結珠と果遠、正反対の家庭で育ちながら等しく両親の愛情を得られなかった二人の少女が偶然出会い、惹かれ合う。ほどなく別離のときを迎えるが、高校生になって再会、また大人になった時に三度目の邂逅を得て、その度に強くなる絆を確かめ合う。

    面白く読んだのだが、幼少期にほんの一時遊んだだけの二人の少女がこんなにも強く惹かれ合うというところに自分の中で疑問符がついてしまい、最後まで違和感を引きずってしまった。二人とも、親に愛されない寂しさを抱えていたというのは一つの理由とはなるが、二人をさらに強く結びつける「儀式」のようなものが描かれてなかったせいかもしれない(インコの埋葬、結珠の母の浮気相手と思しき男の存在などあるにはあるが、弱く感じた)。

    そのため、二人が長じて得たそれぞれの配偶者は、やけに物分かり良くて都合のいい存在に見えてしまったし、果遠が別れを告げもせず娘を捨てるシーンは(被虐待児のリアルなのかもしれないが)やはり受け入れがたかった。恋愛とも友情ともつかない、同性の二人の魂の結びつきを描くに当たって理屈や倫理なんて野暮、ってことなのかもしれないが、二人が互いに抱く情熱ほど体温を上げて読むことができなかった。

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著者プロフィール

2007年作家デビュー。以後主にBL作品を執筆。「イエスかノーか半分か」シリーズは20年にアニメ映画化もされている。21年、一般文芸初の単行本『スモールワールズ』が直木賞候補、山田風太郎賞候補に。同書収録の短編「ピクニック」は日本推理作家協会賞短編部門候補になる。著書に『パラソルでパラシュート』『砂嵐に星屑』『光のとこにいてね』など。

一穂ミチの作品

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