安楽死が合法の国で起こっていること (ちくま新書) [Kindle]

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  • 筑摩書房
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感想・レビュー・書評

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  • じつはまだ読了していないが、この衝撃の強さが弱まらないうちに書きたかった。良書である。
    本書に対しては、資源の有限性を度外視した、患者サイドからの一方的な理想論だと言う人もいるだろう。
    しかし、そうした人が求める「じゃあ、どうすればいいのか」に一足跳びで進むのではなく、日本ではどうするか、医者ではなく国民が考えなくては、という問題提起と捉える中で本書の必要性は浮かび上がってくる。

    だいたい、私も含めた一般人の多くは本書前半に挙げられた国外の恐ろしい動向を知らず、そこに情報格差があるわけだから、本書がいきおい告発調、啓蒙調になるのは必然だろう。そこにエモーショナルに反発しては本書の有益性を殺してしまうことになる。  

    命の自己決定権という考え方にはトレードオフがあり、浅慮な一般人(私を含む)や経済効率に追われる医療関係者はえてしてポジティブ面にのみ着目する。本書はその脇に黒々と横たわるダークサイド、ネガティブな側面にフォーカスしたのだ。本を書く者がつねに賛否の両論併記をせねばならない義務もない。

    しかもこの著者は自身の立場、主張を隠さない。それはマックスウェーバーが研究者に求めた「誠実さ」の現れで、私には好ましく映る。これは言いたいことのある者がとりうる最善のやり方である。中立を偽装することこそ欺瞞であろう。

    しかし、さすが脳死からの臓器移植を思いつき実行した、かの国々よ(誉めてない)・・・

  • 安楽死が合法の国で起こっていること。そして、わが国でも目には見えにくいところで起こりつつあること。

    もはやこの問題は、苦痛から逃れるためにみずからの意志で死を選ぶことは是か非か、という部分からかけ離れたところにまで及んでいるように思う。QOLの低い人生は不幸なのか。そうした状態の人が生きていても仕方がないなどと、当人以外のだれかが決められるのか。当人の思いさえ日々揺らぐものではないのか。
    耐えがたい苦しみを抱え、いっそ死ねたら……と考えている人々の気持ちを蔑ろにしてはいけない。それでも、本書に紹介されているような諸問題を踏まえないまま、「人間らしさ」「生き甲斐」といった言葉を掲げ、死ぬ権利について議論することは恐ろしい。その権利が義務にすり替えられ、弱い立場の人々に降りかかっていく未来は十分想像できることだ。

  • 筆者の主張の偏りや錯誤についての指摘もあるようだが、いずれにせよ一方に与するほどに一読で影響を受けるタイプでもない身からすると
    「医学的無益」や「死ぬ権利」といった概念が、日本社会で一定の存在感を示すに至った場合に社会的混乱は免れないとは思う。

    この問題は長寿化の進む現代では、万人にとっても避けようのない「老い」への向き合い方にも繋がると思うが、尚の事もつれ絡む生命観の議論としてケースバイケースとしての遊びがなければならない課題であることも間違いないのだろう。

  • 前半は安楽死が合法化された諸外国について、その導入から現在まで仔細に記されていて、とてもよかったと思います。
    尊厳死(消極的安楽死)、積極的安楽死、医師幇助自殺という区別から話は始まり、本書でメインとなるのは後者のふたつ。患者の苦痛を取り除くために行っていた安楽死が、徐々にQOLの多寡で決定されていく過程なども(すこし極端な例が抽出されている感はあるけれど)、おもしろかったです。

    ただ、後半になると別の本になったかのように、重度の障害を持った自身の娘と、それにまつわる医療不信の話に変わってきます。それがつまらないわけでもないし、テーマに接続はされるけど、タイトルから求めていた内容かというと微妙なところです。

  • とても面白かった。
    前半は近年の世界の安楽死事情を詳細にわかりやすく解説していて、「安楽死」とは?尊厳死との違いは?など、積極的安楽死と医師幇助自殺のことばも知らなかった自分にとってはかなり勉強になった。
    とくに、オランダやベルギーではすでに終末期患者だけではなく、知的障害者や発達障害者に対する積極的安楽死も認められているという情報はかなりセンセーショナルだった。
    また、著者が安楽死、尊厳死と明確に分けて語っている「無益な治療」論にも衝撃を受けた。本来患者の幸せにとって無益な治療を行わないという方針が、いつのまにか社会的に無益な延命を行わない方針になってはいないか…という指摘には、近未来へのリアルな恐怖が感じられた。
    今(少なくとも日本で)安楽死の是非を語る人は、あくまで「延命が絶望的で、もう生きたくない人が死ぬ権利を認めるか」という軸で問題を捉えていると感じているが、実際は
    「延命が絶望的」→安楽死の対象は延命が絶望的な人以外にも広がっている
    「もう生きたくない」→患者の生きたい、生きたくないの判断はつねに揺らいでいるものであり、家族や医療人のケアや社会的な風潮によりいくらでも変動する可能性がある
    パッと思いつくだけでもこれくらいの粗があることを知った。
    死ぬことは個人の権利、死ぬことを認めないことは人権侵害という題目で、新自由主義にともない世界的に広がっている「自己責任論」が安楽死を通じて生・死の境界にもダイレクトに影響している気がして、恐ろしくなった。

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著者プロフィール

児玉真美(こだま・まみ):1956年生まれ。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。京都大学文学部卒。カンザス大学教育学部でマスター取得。英語教員を経て著述家。最近の著書に、『増補新版 コロナ禍で障害のある子をもつ親たちが体験していること』(編著)、『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(以上、生活書院)、 『〈反延命〉主義の時代――安楽死・透析中止・トリアージ』(共著、現代書館) 、『見捨てられる〈いのち〉を考える――京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』(共著、晶文社) 、 『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』 『死の自己決定権のゆくえ――尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』 (以上、大月書店)など多数。

「2023年 『安楽死が合法の国で起こっていること』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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