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感想・レビュー・書評
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去年?一昨年?に続いての再読。
岩井俊二監督『ヴァンパイア』が本作へのオマージュ
ということを知ったので、映画を観て原作小説を
読んだ上で、再読したくなった。
以前読んだ時と同じように、
この「人間失格」は問題なくすらすら読めた。
だいぶ前に「斜陽」を物語序盤で断念してしまった程の
苦手意識があったのだけれど、今なら問題ないかも。
「人間失格」だけなのか、他もなのかは
読んでみないことにはわからないけれど。
これを機会に他作品も触れてみようと思う。
人との関わり方という点では主人公に対して
同族嫌悪を感じてしまう部分もあり。
とはいえ女性にモテるという部分は現実にはないけれど…
かつて筒井康隆が「人間失格」を
“読者すべてに自分のことだと思わせてしまう書き方が凄い”
と評したんだとか。
人と関わる上で、演技してしまうという部分は
誰もがきっと持っている部分であり、
その過多により、この作品への感じ方も変わるのでは…。
海外では、子供に対する性的虐待を表現してると
捉えられてるらしい。
捉え方の違いというのは面白い。 -
教養のなさが知れる感想だけど、最初の感想は「割と最近の話だった」である。昔の作品は文章が古くて読みにくい、という印象があったのだけど、1948年て割と最近じゃないか。
自身を俯瞰していてなににも熱意がないような様は、最近読んでいた本との共通点も感じた。最終的な葉蔵の年齢に驚きを隠せない。 -
意外と知っているようで知らなかった本作、確かに小中学生にオススメする内容ではないんだけども。
ていうかヒモがモゴモゴ言い訳しながらダラダラ生きていく話なんだけど、毎度思うに、何故に昔の偉い作家はこういう生き方が好きなんか。好きというより実際に本人がそうなのか。
とかなんとか言いながら、ダメ人間っぷりを堪能するんだけども、ダメ人間のくせにいちいち文学的というか、口が達者に言い訳するから、妙にイラッとするけど、それも作者の計算のうちか。
そして最終的には現実路線で裏切る堀木がなんとも。実に普通。 -
本作は太宰治が執筆したものではない。太宰の知人の知人である大庭葉蔵が執筆した手記を『人間失格』として太宰が発表したものである。太宰によると、この手記が書かれたのは昭和5-7(1930-33)年頃のようだ。
太宰は昭和10(1935)年頃、東京・京橋のバーのマダム(本作に登場する、京橋のバーのマダムと同じ人物だと考えられる)と出会う。そして昭和23(1948)年、千葉県船橋市の喫茶店で再会する。その時に太宰がマダムから託されたのが、マダムの知人である葉蔵の手記である。同年、この手記を雑誌連載で発表し、今や太宰の代表作のひとつとして、世に知られている。
太宰は葉蔵の写真を見て、彼のことを「狂人」と評した。そして手記から彼の生きざまを垣間見て『人間失格』とした。しかし葉蔵に関わった人はみな、太宰の主張と異なる評価をしている。本作にはそんな周りの期待に応えようとした葉蔵の苦悩が描かれている。
葉蔵の行動は目に余るものがある。しかし葉蔵は決して人間失格なんかではないと感じた。人に嫌われたくない、よく思われたいという、人間なら誰しも考えるような思いが人一倍強かったからこそ、周りの人に気に入られようと努力しただけだ。そしてその結果、人生に疲れ果ててしまい、あんな行動に出てしまったのではないだろうか。
人生について今一度考えてみたい人におすすめの作品。