死ぬ気まんまん

著者 :
  • 光文社 (2011年6月18日発売)
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2015.4.14再読。記憶って曖昧で当てにならないな。読んでて痛みと平穏が交互にやってくるような本だった。


死を間際に、私は一体、何を思い、何を感じるんだろう。
痛みに耐え、それでも世界を美しいと、言えるのだろうか。
もがき、くるしみ、それでも生きていくのだとしたら・・・せめてその時に見える世界は「美しく」あってほしいと切に切に。
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私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、現場で死ぬなら本望という人も大嫌いである。

 …何十年もときめいたりしてないが、何とも思わなかった。
 木の葉っぱや小さい花なぞにときめいて、あー年をとるのは何と清らかなことなのか、と自分で感動なんぞしていた。生活に不自由はない。

七十五歳以上の高齢者は年金から医療費が天引きになるので、大変な騒ぎで、あれは私もひどいと思う。が、バアさんがテレビの中で、「年寄りは死ねということですか」といかってると、こっち側では「その通り」と私は叫んでいる。                                  
私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気だったね、偉かったね」と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。

頭の神経が狂ってしまっている私は、刻々と目がよくなっていくのだった。遠くの椎の木の葉っぱが一枚一枚くっきりと、細い金の色にふちどられているのが見えてしまう。それはとんでもない疲労を私にしいた。一番何に似ていたか。ゴッホの絵に似ていた。
若い時、自然など目にも入らなかった。
花が咲く時だけ、花に目を奪われ、枯れると忘れた。桜の花は年一度だけ思い出した。
散ると桜の木が存在することさえ忘れた。年をとってからも、元気で忙しく立ち働いていれば花屋で花を調達することもあったし、庭の雪柳が滝のように咲くのを待った。
しかし、今私の山の紅葉の見え方は狂っているようなのだ。ゴッホはあの輝くタッチを生み出したのではなく、あのとおりに見えていたのではないか。狂死したゴッホは死と隣合わせで世界はあのように燃えて見えていたのではないか。
……でも、出よう、こんな美しい自然に吸い込まれたくない。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 生活
感想投稿日 : 2012年4月30日
読了日 : 2012年4月12日
本棚登録日 : 2012年4月15日

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