人は何をどうしたら「幸せ」というものを手にできるのだろうか。
それは自分の努力や辛抱で得られるものなのか。
或いは、自分では制御不能の目に見えない定めのようなものに身をゆだねることにより、自ずと近づいてくるものか。
北海道開拓時代の極貧入植家族3代女性の物語。
桜木さんの作品を複数読んでいるので、ご自身のご実家の在り様も作品のなかで織り交ぜての1冊だと思う。
貧困、アルコール依存、暴力、暴言、借金苦等々、健全な営みとは程遠い身内の描写が胸を塞ぐ。やるせない。
その家庭に生まれた子どもたちは、目の前の状態が唯一無二。他の家との比較という発想もなければ、自分の手にある別の選択肢で世界を切り拓くという知恵もない。私がずっとそうだった。
「仕方がない」「しょうがない」と諦念が溢れる。
自分が充たされる思いを手にした感覚がないので、子どもに、どうしてやっていいのか術が見当たらない。愛され方も愛し方もわからない。
特に不倫の果てに駆け落ちで東北から入植した母親が印象的。
夫のアルコール依存による度重なる暴力暴言をじっとやり過ごした果てに、自身の寄る辺も酒へと。
読み書きも能わず、何をどうしたらよいのか知恵も知り合いもない。
そんな両親のもとに育った子どもたち。
華やかなステージに憧れ、旅の一座に逃げ込む娘。口減らしのために親戚に預けられていた娘。
労働力としてのみの息子たち。
心が通い合わない家族が離れることもせず、「家族」という型の「がらんどう」に居続ける。
その姿は私の実家そのものだ。昔は言葉や暴力で互いに刃を向け合う親兄弟が離れることもせずに、愛憎を絡ませながら日々を重ねる「家族」が結構いたのだと思う。
自分で何かを切り拓くよりも、流れに受動を保ち続け、「自分だけがなぜこんな目に?」という被害者意識や他者への嫉妬を募らせる。
自分で幾多の選択肢の中から選び、道を決めていく生き方など不謹慎。
少しでも幸せなんて感じたら、「お前だけ狡い、我慢が足りない」と揶揄され嫉妬の対象となる。
次にきっと酷いことがあるのだから、もっと苦しい目に自分を合わせないと、と自罰意識が働く。
自分で充足を感じない人間は他者を支配して思い通りにしたがるものなんだよなあ。
少し乱暴な表現ながら、時代背景もあり、知性・理性からほど遠く、未開で野蛮な家族間のやり取りが私自身の過去の経験と重なり、胸が塞ぐ。
桜木さんはインタビューやエッセイで、こうしたご実家での過去を作品で昇華することにより、折り合いをつけていきたいというニュアンスのことをおっしゃっていた。
私は離れることで自分が自分であることを維持しているのだと作品のなかで自分なりの落としどころを確認している。
入植者家系として生まれた土地で死にゆくことに固執しないと、この作品でも他のエッセイでもおっしゃっていて、それは私も同じ。
土地に縛られたくないし、子どもたちの行くても狭めず、選んで歩いて行ってほしい。
だがそれは土地や生きる選択肢に拘りがないのではなく、同じ土地でなくても、私の場合、自ら選んだ先で生きていきたい。
そういう点においては、母娘3代の生き方としては有吉佐和子さんの『紀の川』の知的で、能動的な生き方を自ら切り拓いた女性たちに惹かれる。
本作は2011年初出で桜木さんデビュー後の作品のため諦念を美化している印象。
自慈心皆無で、傷つけ合い、耐えることだけが美しいなんて、生きていて勿体ない。
直近作の方が、桜木さんご自身の変化もあり、作品後半の展開が回顧一辺倒ではなく、潔い気がするなあ。
- 感想投稿日 : 2022年3月3日
- 読了日 : 2022年3月2日
- 本棚登録日 : 2022年1月26日
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