美徳のよろめき (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1960年11月8日発売)
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この作品の主題は、一瞬愚鈍で蒙昧とも言える清廉すぎる人妻節子が、姦通という不貞によって世俗的な嫉妬、憎しみのような感情へと堕ちてゆく過程を描くことではなかろうか。文学的作品を嗜む機会があまりなかったゆえ自信がないが、おそらくそうなのだろうと私は解釈した。

すでに述べたとおり、物語当初、節子は「聖女」と評されるばかりに清廉潔白な人妻であった。生まれがよく、何不自由なく暮らしてきた彼女には、元来人が成育するにつれ経験する恋愛感情はもちろん、嫉妬や強欲といった醜い感情からも縁遠い存在であった。一見して、それは素晴らしき美徳であるように思われるが、しかしその感性が酸も甘いも知らぬ無知によってもたらされるものならば、つまり美徳とは悪に疎いことを差すのであろう。そしてそれは、どんなものよりも穢れなく、そして陶器のように美しく映るのである。その汚れなき純白を染めたいと願うのは、人間生来の気質ではなかろうか。

このような作品を引き合いに出すのはいかがなものかと思いながらも、過去にプレイしたノベルゲーの登場人物Mが節子とよく被って映った。Mは大家族の農家出身で、人の悪意を信じないような純真無垢な心を持っている。主人公であるAはヤクザモノに育てられた悪党で、常々Mを堕としてやろう(世俗に塗れさせてやろう)とするのである。時代も感覚もまったく違う時代に描かれた二作が、まったく同じテーマを扱っている。非道徳的なのであろうが、人間の心を擽る本質的事柄であろう。

最後に一つ。美しいものを汚したいという人間的悪徳を描き切ったものながら、作中に散りばめられた含蓄を忘れてはならない。助言する松木老人への節子の言葉がひどく印象的である。

「男ってあんなにまで孤独になれるんだわ。——男は一度高い精神の領域へ飛び去ってしまうと、もう存在であることをやめてしまえる」

実際に女が孤独に成れないのかは不明だが、男に関しては理解できるような気がする。人は誰かと関わり合いなしに生きていくことなどできないが、それと精神的孤独はまったくの別物である。人生の孤独、それを述べた深い言葉であるように思われた。

細部の細部まで芸が凝らされた本作。ちょっとエロティックな部分もあるので、文芸作品初心者にはおすすめだろうと思う。どうぞ皆も一度手にとってみては?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年6月13日
読了日 : 2021年6月13日
本棚登録日 : 2021年6月13日

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