星間商事株式会社社史編纂室

著者 :
  • 筑摩書房 (2009年7月11日発売)
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あなたは、会社でどんな仕事をされていますか?

ブクログのユーザーはどういった属性の方が多いのだろう?と時々思う時があります。年齢層も幅広いと思われるユーザーの皆さん。学生さんも一定数いらっしゃるのかな?とも思いますが、恐らくは”会社員です”、という方が一番多いのではないかと勝手に予想しています。ただ、”会社員”と一言でいってもその仕事内容は千差万別だと思います。営業、企画、人事、経理…と会社にも色んな部門があり、そこに働く人たちがいます。そんな人たちの活躍を小説で描いたもの、それが”お仕事小説”です。そんな”お仕事小説”には、宮下奈都さん「羊と鋼の森」、原田マハさん「本日はお日柄もよく」、そして三浦しをんさん「舟を編む」…と名作が山のように連なります。普段光の当たることのない”お仕事”に光を当てる”お仕事小説”。社会の歯車としてそれぞれの分野で、裏方として懸命に働く無数の人たちの存在がそんな中に浮かび上がります。自分と同じように裏方に働く人たちの、地味だけれど確かな”お仕事”の存在を思う時、”お仕事小説”というものが注目を浴びるのもなるほどな、と思います。

さて、そんな”お仕事小説”の筆頭格、「舟を編む」で私たちに圧倒的な感動を与えてくれた三浦しをんさんには、もう一つ”本を作る”人たちの姿を描いた”お仕事小説”があります。それは「舟を編む」とは似ても似つかない、とってもコミカルな物語。言葉の海を渡るための舟=辞書作りに情熱を注いだ人たちとは違い、『「そういえば、我が社には社史がないぞ」と社長が言ったのかどうか知らないが「社史を編むべ」となった』ことがきっかけで集められた五人の精鋭?たちがそんな社史の編纂に取り組む物語。それは、これも”お仕事小説!?”と、読者が戸惑いを隠せなくなるかっ飛んだ物語です。

『星間商事株式会社社史編纂室の朝は、八時十五分に本社ビル全体に流れるラジオ体操の音楽とともにはじまる』という音楽に合わせて飛び跳ねる後輩のみっこを横目に、寝不足で『机につっぷしてい』るのは、主人公の川田幸代(かわだ さちよ)。『先輩、元気とやる気がないですよー』と言われるものの『床は剥がれかけ、天井は配管がむきだしで、空気はいつもほんのりと黴くさい』という『社史編纂室に配属されて、覇気があるほうがおかしい』と思います。『あと一年で定年なのをいいことに今朝も遅刻』の本間課長、『社編に飛ばされたのも、専務の愛人だった秘書に手を出したから』と噂され『ヤリチン』と呼ばれる矢田信平、そして『これまでだれも姿を見たことがなく、名前さえよくわからない』ため『幽霊部長』と揶揄される室長の五人で組織される『社史編纂室』。そんな『編纂室』は『一九四六年に創立した中規模商社』である『星間商事株式会社』で『そういえば、我が社には社史がないぞ』と『社長が言ったのかどうか知らないが』社史を編纂するために組織されました。かつて企画部で『手腕を見込まれた幸代』でしたが、『プライベートの時間を持てないのは絶対』嫌と上司に伝えたところ『ぴったりの部署がある』と『編纂室』に配属されたという経緯。『みっこちゃんがお菓子を食べる音と矢田のいびきが響』くというその職場を『ほんっとうに最低最悪の職場』と思うも『ゆるゆるの職場なだけに、だれも幸代の趣味に勘づかない』ことを喜び、誰もいなくなった『編纂室』で、『黙々と同人誌作製に勤し』みます。『高校時代からの友人同士で、楽しく同人誌を作っている』という幸代は、その『サークル「月間企画」』で『「月間商事株式会社」を舞台に、サラリーマンが男同士で恋をするストーリーの同人誌を出しまくってい』ました。そして、コピー機の『紙詰まりの解消に躍起』になっていた幸代は『視界に埃っぽい黒い革靴』が現れて焦ります。拾った紙を見て『川田くん。きみ、小説を書いているのか』と問うのは本間課長でした。焦る幸代に『会社のコピー機を使うのはほどほどにしときなさい。そこにあるぶんは、今回は目をつぶる』と立ち去った本間課長に安堵する幸代。しかし、翌朝珍しく定時に出勤した本間課長は同人誌についてインターネットで色々調べたと語り出しました。そして、『わたしも若いころの情熱が蘇った』、『社史編纂室でも、同人誌を作ろう!』と叫び自身が書いているという『自分史』を見せる本間課長。そして始まった『編纂室』の同人誌作り。一方で、本来手がける社史の編纂の中で会社の高度経済成長期に隠されたまさかの黒歴史の闇に行き当たります。『これ以上、嗅ぎまわるのはやめておけ』という脅迫状が届く事態。そんな中で進む社史と裏社史の編集作業の中で幸代たち主人公の悲喜こもごものドタバタ劇が繰り広げられていきます。

「星間商事株式会社社史編纂室」というなんだかやけに堅苦しい書名が付けられたこの作品。思った以上に凝った作りがなされています。四つの側面に分けて見ていきたいと思います。

まず一つ目。それは”お仕事小説”という側面です。この作品は2009年に発表されています。三浦さんの”お仕事小説”というと2011年に発表された「舟を編む」がなんといっても有名です。あの作品は13年という途方もない時間をかけて辞書の編纂に挑む人たちの情熱に魅せられた作品でした。一方でこの作品は『社史編纂室がどう遠慮がちに言っても「左遷先」以外のなにものでもない』という部門に配属された五人が社史の編纂に挑んでいくという物語です。そんな部門に配属されてやる気が起きる方がある意味凄いことだと思います。実際、『あと一年で定年なのをいいことに今朝も遅刻』の本間課長を筆頭に、さもなんというやる気のなさを感じさせる社員たちの描写は、一方で暗さを通り越してある意味で吹っ切れた生命力を感じさせるのがまた不思議です。どこの会社にも多かれ少なかれこういった部門というのは存在するのではないかと思いますが、そんな部門に配属された社員たちの大逆襲物語は会社の事情で貶められた事情が見えてくるとそこには一発逆転劇的なに痛快さも感じさせます。そして、この物語が”お仕事小説”であることを、感じさせるのが『おまえらが派閥に疎すぎんだよ』とこちらも多くの会社に存在するであろう社内の『派閥』の胡散臭さや、『うちの会社は基本的に、営業畑と総務・人事畑から、交互に社長になる傾向にある』と、こちらもどこかリアルな会社組織の内情など”お仕事小説”としてのリアルさを上手く演出しているように感じました。

二つ目。そんな”お仕事小説”は、基本的には「舟を編む」のようなシリアスな物語構成が似合いそうです。しかし、この作品で三浦さんは徹底的にコミカルな方向へと舵を切ります。『あんまりそういうこと言わないほうがいいよ』と幸代がみっこに注意する『ヤリチン』という言葉。先輩格の矢田を指すものですが、そんな矢田の設定は『専務の愛人だった秘書に手を出した』というもの。そんなみっこと『うるせえ、みっこ。乳揉むぞ、おら』、『ヤリチン先輩、セクハラー』とやり合う場面など、この作品が発表された2009年という時代でも、三浦さんやりすぎです!と指摘したくなるような側面も見せます。そんな三浦さんは主人公・幸代を『サラリーマンが男同士で恋をするストーリーの同人誌』を出しまくっている『オタク』女子という位置付けにします。その裏の顔を『だれに知ってほしいとも思わない。同人誌を作ってイベントに参加するのは、ひそかな楽しみとして』生活に組み込まれてきたという幸代。そんな幸代に『おまえのオタク能力を活かすのは、いまだ!いましかない!』と、幸代の裏の顔を力に盛り上がりを見せる物語は、エッセイの世界でBLへの思いを熱く語り、ディープ過ぎる『オタク』世界を熱く語る極めて三浦さんらしいかっ飛びぶりの延長線上にある世界観だと思いました。この辺り、ブクログのレビューを読んでいても、恐らく三浦さんがエッセイで見せる顔をご存知ないんだろうな、という方もいらして、ある意味読む人を選ぶ作品かもしれないとは思いました。

三つ目は、作品の構成です。この作品は小説内小説が登場する作品でもあります。三浦さんの同様な作品というと、『これはもう翻訳じゃない。完全に私の創作物になっている』というロマンス小説の翻訳が小説内に展開する「ロマンス小説の七日間」が有名です。そして、この作品で三浦さんはさらに高度なことをやってのけます。それは、小説内に、なんと二つの異なる小説を展開させるという大胆な試みでした。それは、幸代たちを模したキャラクターが登場する本間課長の小説と、『俺が知りたいのは、いまのあんたの気持ちだ、野宮さん』と展開する、幸代が書くBL小説です。その両者とも本編である外側の小説の内容と密接に関連を持ちながら全編に渡って少しづつ展開していきます。私はBL小説を読んだことはありませんが、こういう感じがBL小説なんだ!とある意味での新鮮さを感じました。また、内側二つ、外側一つの三つの小説を同時に読める!なんとも贅沢な作品!そんな印象も持ちました。

そして、最後に四つ目ですが、それはこの作品自体のストーリーの面白さです。色んな要素が織り交ぜられた作品ですが、その芯にあるのは『「そういえば、我が社には社史がないぞ」と社長が言ったのかどうか知らないが、「社史を編むべ」となった』という展開からスタートした『星間商事株式会社』の社史の編纂です。そんな社史の編纂作業の中で退職者にインタビューを繰り返していく幸代。そんな幸代は一九五〇年代後半の時期の話を聞こうとすると一様に『老人たちが口ごも』ってしまうことに気付きます。『幸代は独自に「高度経済成長期の穴」と呼ぶことにした』というミステリーの登場。さらには、この謎を突き止めようとすると『これ以上、嗅ぎまわるのはやめておけ』という脅迫状まで届くという事態。いったいそこにはどんな謎が秘められているのか?、高度経済成長期に星間商事に何があったのか!、一見おふざけな物語が極めてシリアスなミステリーと隣り合わせに展開していきます。おふざけが過ぎれば過ぎるほどに、シリアス度がどんどん高まるというその両極端さを際立たせることで両者の持ち味を相互に高めるという物語展開は、三浦さんのお得意とするところです。一見軽そうに見えて、それでいてとても読み応えのある物語として読者をとても楽しませてくれるエンタメ性の高い作品だと思いました。

『一丸となって同人誌を作ることで活力を高め、その活力を社史編纂作業に注ごうじゃないか』と、会社の表と裏の顔をきちんと歴史に残すべく社史と裏社史の編纂に邁進していく主人公たちの姿をコミカルに、そしてシリアスに描いたこの作品。一つの小説内に二つの小説が展開するなど非常に凝った作りのこの作品。「舟を編む」とも一味違う、それでいて三浦さんらしさを強く感じるとても意欲的な作品だと思いました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 三浦しをんさん
感想投稿日 : 2021年8月23日
読了日 : 2021年8月4日
本棚登録日 : 2021年8月23日

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