私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2012年9月14日発売)
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一個人同士の関係にて生まれる自分。
個人から「分人」へ
とてもおもしろい考え方だと思った。

個人よりも一回り小さな単位を導入し、分人とする。
individual(個人)の語源は、もうこれ以上分けられないという意味。
inを取った、dividualは、(分ける)という意味。

私達は、コミュニケーションをとる相手によって違う自分がいる。
両親の前での自分。学校での自分。職場での自分。
それぞれの違う自分のことを分人という。

本当の自分(個人)という認識は腑に落ちにくい。
分人化して考えると、彼の前での私はリラックスしていて気分がいいとか、彼女の前での私はいつも緊張していてイライラしているとか。
でも自分を作っている訳ではなく、それらすべての分人の集合体で私(個人)なのである。

「誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。」

比較的新しい友人と話していて、自分に対する評価が思ったより高めの時、「自分は本当はそんな人じゃないのに」と感じる。
と同時に少し嬉しい気持ちにもなるが、とてもじゃないが素直に喜べない。
理由は2つあり、1つはこのままの評価を継続できないということ。2つめは幼い頃からの積み重ねである私自身が散々周りから言われてきた評価との相違であるということ。
私はその評価を後者に戻そうとしてしまう相手には、比較的心を許している。(深く考えたことはなかったのだが、その傾向がある事に気付いた。)
相手との関係がぎくしゃくしているということは、お互いの分人がそのような対応をしているということなので、半分は私の出方次第という解釈をした。
自分がバリアを張っていては相手も感じ取る。
改めてそこだけを切り取って考えてみると今まで漠然と雰囲気で解決しようとしてきた事がどんなに難易度の高いスキルだったことか。
「分人」という考え方で腑に落ちたのだ。

著者の作品は一冊だけしか読んだ事がなかった。
「マチネの終わりに」は、私にとっては苦手な小説だった。
このような恋愛が数多く存在するのか。知的な世界観で私の性格上縁遠いかも。
分人はそれぞれの恋愛をすることができるそうだが、それは非常に納得できる。笑

たくさんの分人がいることは深い喜びであり、本当の自分はこうと決めなくても良いと言われたことでなんだか心がとても落ち着いた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年1月11日
読了日 : 2022年1月11日
本棚登録日 : 2022年1月11日

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