新しい戦前 この国の"いま"を読み解く (朝日新書)

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  • 朝日新聞出版 (2023年8月18日発売)
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”新しい戦前”と言う言葉は、昨年末「徹子の部屋」でゲスト出演したタモリが、2023年について問われ「新しい戦前になるんじゃないですかね」と発言したことから話題になったとのこと。ただ本人からその言葉の背景はなかったし、黒柳さんからの質問もなかったので、受け止め方は様々だ。

安倍元首相の頃から、かなり戦争に対するハードルが低くなってきたと感じるのは、私だけではないはずだ。岸首相になって、所属する宏池会は、政策面では保守リベラル派に属し、特に安全保障では日米関係を重視しながらもハト派的傾向という認識だったので、少しはブレーキがかかると思っていたが、しらっと異次元の防衛費増額を指示している。
これは派閥の理論で、タカ派の安倍派のサポートを受けるための対応かもしれないが、そうだとしたらポリシーがないと思うし、自発的だとしたら、ハードルをより低くするような危険を秘めた首相だろうと感じる。

そこで、この本の内容。
タイトルの”新しい戦前”は、タモリの発言を意識しているのか分からないが、さすが内田さんと白井さんの対談らしく、現状への批判は胸がすく。
政治的内容に軸足を置くが、教育、会社の取るべきスタンス、ジャーナリズムなど、日本に存在する閉塞感の原因みたいのをあぶりだしているのには、共感する内容が多い。

2022年12月に岸田政権が閣議決定した新しい安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略[現防衛計画の大綱]、防衛力整備計画[現中期防衛力整備計画])はアメリカとの綿密な打ち合わせ、調整、擦り合わせのもとに出たもの。新しい安保関連3文書を出したかのは、日本政府は中国から核攻撃されるかもしれない可能性を視野に入れている。しかし米国は本気で日本を守るのだろうか。
不安ゆえ米国の言うことをただ聞き、聞いてさえいれば自民党の長期政権は保証される。自国の国益よりも米国の国益を優先的に配慮する政権なので、米国としては未来永劫自民党政権が続いて欲しいと願っている。
日本には自前の国防戦略がない。日本の政治家が自分の頭で考えて、自分の言葉で日本の安全をどう守るか真剣に語るということを、もう国民は誰も期待していないと言われるが、その通りだろうな。

今の日本の指導層はあらゆる領域で世襲が幅を利かせるようになったが、それが日本の衰退の一つの理由だろう。
政治には勝ち負けしかなく、勝った方が正しく、敗けた方が間違っていたという底の浅い政治理解がこの10年間急速に進行した。それは維新だけでなく、自公政権与党にも、野党にまで浸透している。自民党の政治家たちは「安倍政権の間、6回の国政選挙に勝った。ということはアベノミクスは成功だったという意味だ」という没論理的なことを平然と言い放つ。獲得議席の多寡と、政策の正否というまったく次元の違うものを混同している。

憲法99条には公務員の「憲法尊重擁護義務」が定められているにもかかわらず、議員たちは平然と改憲を口にする。「護憲集会」を開こうとすると「偏った政治的主張をするな」と言って、公的支援を拒否する役所さえある。「憲法なんかいくら違反したって構わない」ということを現に実践している連中が「憲法を変えることが重要だ」と言っていることの矛盾。それ以上に、日米安保や日米地位協定ですら憲法より上位にあると言う矛盾。

学校教育の目的は、子どもたちの市民的な成熟を支援することに尽きるが、「学力」というのを、ほとんどの人はこどもの頭の中に貯蔵されている知識やデータが量的に増えることが「学力が向上すること」だと思っている。「学力」というのは「学ぶ力」のことで、生きる力」と同じ。数値的に計測できるものではないし、他人と比べるものでもない。「学ぶ力」というのは、「自学自習」できる力のことで、乾いたスポンジが水を吸うように、触れるすべてのものから知的滋養を摂取できる能力のことだ。そして学校教育の仕事は、「学ぶ力」を起動させることだ。学校教育の成否は、それから数十年経った後に、日本社会にまっとうな大人の頭数が十分に揃っていて、おかげで国運が衰えていないという事実によってしか検証できない。
教師の一番大事な仕事は、歓待と承認と祝福。「ここは君のための場所だ」と言って子どもたちを歓待し、「君にはここにいる権利がある」と言って子どもたち一人一人を固有名において承認、そして「君たちがここにいることを私は願っている」という祝福を贈る。この三つができたら、それだけで学校教育の一番大切な仕事は終わっている。

よく政治家が失言をした後に「発言の一部を切り取られた」「真意はそこにはない」「誤解を招いたとすれば遺憾である」というような言い訳をするが、「失言」というのは、まさに「誤解の余地なき剥き出しのメタメッセージ」の部分を聴き取られたということなわけだ。その失敗を糊塗するために「いくらでも解釈の余地のあるメッセージレベル」に問題を移すことで話をごちゃごちゃにして責任を逃れるということが常套化している。これは日本語のためによくないことだと思う。

大阪維新がまずやったのは公務員叩き、それから公共交通機関の民営化、医療拠点の統廃合、そして学校の統廃合だが、みごとに社会的共通資本だけを標的にしてきているのがわかる。人間が集団的に生きてゆくときの安定的な土台を崩して、住民を流動化する。目端の利いた人間ならこの機会に乗じて公共財で私腹を肥やして個人資産を積み上げることができる。うすぼんやりした市民はその食い物にされる。安定性・継続性が命であるところの社会的共通資本を政治的・経済的変化によって激変する複雑系に作り替えた。

立民の泉さんは「提案型」ということを言っているが、日本の政治的な文脈においてな提案」をするということは、対米従属スキームの中で政治をするということ。このスキームの中にいると「リアリスト」と呼ばれ、そこから出ようとすると「夢想家」扱いされる。しかし、日本の政党の掲げるべき第一の政治的課題は「国家主権の奪還」だと思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることは出来ない。

「能力主義・成果主義」ということがうるさく言われるようになったのは、経済成長が止まってから。能力の発揮のしようがなく、成果の上げようがなくなってから、そういう言葉がうるさく口にされるようになった。査定主義は結局減点主義になるので、思い切ったことをやって失敗して大減点されるよりも、何もしない方がよいという判断になる。

今のジャーナリストたちはたぶん子どもの頃から「勇気を持て」と教えられたことが一度もないんだと思う。マジョリティの中での相対的な優劣を競うことには熱心に取り組んで来たけれど、マジョリティを向こうに回して孤立を恐れずに自分の所信を言い切ったという経験のあるような人間はまず今の大手メディアにはいない。有名大学を出て高い倍率を勝ち残って、エリートのつもりでテレビ局に入ってきた人たち。権力に抗う動機がそもそもない。マスコミ全般そうなってしまっている。そういう価値観や生き方がつまらないものだという意識がない。だから一度更地に戻すしかない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年12月12日
読了日 : 2023年12月11日
本棚登録日 : 2023年12月11日

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