新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫) (文春文庫 し 1-76)

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  • 文藝春秋 (1999年1月10日発売)
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この小説は、明治維新以降の近代を取り上げた歴史小説であり、第一巻では日清戦争について書かれ、のちに日露戦争について書くことになるという著者の予告もある。

日清戦争についての記述のところで、著者の「他の科学に悪玉か善玉かというようなわけかたがない。歴史科学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉をわける地点から成立してゆくというところにある」と述べている。著者は、歴史を科学としてみよう、主観的でなく、客観的にとらえようというスタンスなのだなと自分は理解した。

これから長旅となりそうなので、一巻、一巻、流れをしっかり押さえてながら読み進めたいと思った。

第一巻は「春や昔」の章から始まる。
「春や昔十五万国の城下かな」という正岡子規が故郷松山をうたった句からつけられたタイトルで、物語は明治維新前後の松山の風景から始まる。

物語の主人公は、後に陸軍大将として世に名を残した秋山好古、同じく海軍軍人として名を残した秋山真之の兄弟、そして俳句、短歌の世界に革新をもたらした正岡子規の3人のようである。

この第一巻では、信さん(秋山好古)、淳さん(秋山真之)、昇さん(正岡子規)と呼ばれていたころの生い立ちから描かれている。

明治維新という歴史の大きな転換点を迎え、日本という国が西洋化に大きく舵を切り、国民はどのように生きていこうかと模索していた時代であったようだ。

兄・好古は、貧しい家庭を支えるために、教員となり、官費で通える師範学校へ行き、さらに官費で通える陸軍士官学校から軍人となり、給金を実家に仕送りして、弟・真之の進学の援助も行った。小説の中では温厚だが、豪胆さも兼ね備えた、長男の責任感を感じさせるキャラクターとして描かれている。

一方、弟・真之は、次男にありがちな腕白坊主として幼少期が描かれている。すばしっこく、頭の回転も要領よいが、この兄にだけは頭があがらないといった人物イメージだ。

そして、真之と子規は、「淳さん」「昇さん」と呼び合う親友であったが、幼少期は真之は活発なガキ大将、一方の子規は、一風変わった文系のリーダーだったようだ。子規は独自で新聞を作るために仲間を集めたりしていたが、誘われた真之は、自分の性には合わないときっぱり断ったというくだりがあった。

好古は、陸軍の中でも「騎兵隊」の道を選択したが、この「騎兵」という戦術が、有効なものなのかどうかこの時点ではわからなかっただろう。

当時の政府の方針は、海軍は「英式」、陸軍は「仏式」とされており、好古もフランスの騎兵を学んだが、皮肉なことに日本の陸軍は、フランス式からプロシア式へと移行していく。時の戦いでフランス軍がプロシアに大敗したからである。

そのような流れの中でも、好古は、乗馬技術についてプロシア式よりフランス式のほうが実戦に適していると分析しており、あるいはジンギス汗やナポレオンのような大陸の騎兵の天才だけが使いこなせる戦術であるという常識の中でも、日本の源義経や織田信長の騎兵についてもその有効性を認識していたりした。独自の視点をしっかりと持っていたということだ。

弟の真之は、親友の子規とともに文学の世界を目指そうとするが、兄の誘いにより、方向転換し「海軍」への道を選択する。海軍兵学校での成績は抜群で、教官の出す試験問題までも予測し、後輩に「傾向と対策」まで準備するほどであった。

教官側の視点(つまり高い角度からの視点)で物事を観る資質や、ヤマの的中率が高かったことから、戦いに対する優れた直観力なども持ち合わせており、このころから将来の活躍の片鱗がうかがえるようでもある。

子規は、病弱である。
自らの強い意志により、18歳で東京大学予備門にはいり、俳句を作り始めていた。寮生活をしていたが、鎌倉で喀血をし、医者にいったところ肺結核と診断された。当時の肺結核は死病と呼ばれていた。

それでも子規は、それに打ちひしがれる様子もなく、俳句に打ち込み、このころ興味をもっていたベースボールなども行っているのである。ベースボールのことを「野球」と表現し、「打者」「飛球」「死球」なども子規による造語であることは有名だ。

しかし空気感染の結核感染者が、こんな風で周りは大丈夫だったのだろうか?変な疑問がわくが、当の本人には予想外に深刻さがなく、どういう神経の持ち主だったのだろうかと思う。

その後、子規は療養の後、再び東京で新聞社に入社し編集の仕事をはじめ、母と妹も東京に呼び寄せる。このころから日本は、日清戦争に巻き込まれていき、子規も病弱ながら従軍記者を希望するのである。

さて、「日清戦争」の勃発。これは朝鮮をめぐる清国と日本の覇権争いがきっかけだが、当時の国の規模からして、これは全く日本には勝ち目のない戦争との認識であった。

当時の日本は、西洋に400年の遅れをとって、西洋化を始めたばかりの小国であり、米英仏独露の列強からみれば、「巨獣の中の虫ケラ」と呼ばれていた。当然、軍事力をみても、清国は最新式の巨大軍艦を保有する大国であり、老朽艦や鉄骨木皮艦、あるいは鋼鉄艦でもこぶりの軍艦しかもたない日本の軍事力とは、比較にならないというのが実態であった。

しかし、朝鮮は日本の実質的な防波堤的存在であり、朝鮮を他国に奪われることは、次の滅亡を意味したことから、東学党の乱をきっかけとした清国との覇権争いには、対抗せざるをえなかったのである。

無謀な海戦であったが、結果として、様々な条件が日本に予想外の勝利をもたらしたと言えるのではないか。著者の分析は次のように記されていた。
・もともと戦いに対する士気が、日本軍と清軍には大きな差があった。戦に命を懸ける日本兵の士気が高かった。
・清海軍の司令官・丁汝昌は、優秀で勇敢な司令官であったにも関わらず、軍編成に問題があった(指令側がイギリス人であったため兵士との言語的コミュニケーションがとれなかった)。
・軍隊規模は清国が優勢であったが、実際に出動した軍隊はその一部であり、実質的な軍事力は互角か、日本側が若干優勢であった。
・清国側は、陸軍と海軍の連携が最悪であった。

日本側の司令官・伊藤祐亨は、丁汝昌に同情さえしている。

もう一つある日本の勝因は、戦術にプロシア主義を取り入れたことである。プロシア主義は、「戦いは先制主義」「はじめに敵の不意を衝く」「諜報」といった、姑息と思える戦術であり、太平洋戦争で用いられていたものである。本書を読んで、太平洋戦争のあの日本の戦い方の起点がここにあったのだと知ることができた。

同じく、軍隊の権限が国家を超越するというのも、プロシアの方式のようで、これまた太平洋戦争下の陸軍の暴走などもここが出発点だったのだなと思った次第である。

それにしても、読みやすい文章ではあるものの、内容が濃いため読み進めるのに時間が必要だなぁ、というのが第一巻の感想である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 司馬遼太郎
感想投稿日 : 2020年1月13日
読了日 : 2020年1月8日
本棚登録日 : 2019年12月23日

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