去年はいい年になるだろう

著者 :
  • PHP研究所 (2010年4月2日発売)
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感想 : 66
3

読ませることは、読ませる作品。
ブログやホームページなどの文章に近い、
ネット的な文章。
いかに読ませるか、に主眼が置かれている
(作者自身も、作中で、そんなようなことを
書いている)。
普通、小説は電子版になると一気に読みにくくなるが
(青空文庫でもわかるように)、
この小説は、電子版になってもわりと普通に「読ませる」
のではないかと思う。

出だし100ページくらいは、
主人公(作者の山本)が未来から来たアンドロイドと
延々と話をしているだけで、何の展開もないが
(ウルトラセブンの例えが出てくる)
それでも読ませるし、引き込まれる。

設定もしっかりしていて、ワープやタイムトラベルは、
人間では不可能だが、ロボットだったら可能、とか
こういう話の場合、ロボは数体しか来ないが、
500万体も来て、事態の収拾にあたったり
(そのくらい来ないと、無理でしょう)
ターミネーター型の歴史改編でなく、パラレル分岐型なので、
タイムパラドックスを発生しないとか
宝くじや競馬の結果は当てられないとか
(ただし、カオス理論の前提として、天気の予測もできないので、
天気や、地震が予定通りに起こるのは、たぶん間違い。
人間や動物が息を吸ったり吐いたりしているだけで、
天気なんて、予定とは変わってくるはず)
宝くじの予測はできないが、
普遍的なものとして、科学技術は有効なので、
それにより、金儲けをしたり、などなど
(未来から金を持ってくると、同一ナンバーで、偽札の疑いを
かけられるとか、芸が細かい)

ただ、欠点として、コンセプトに一貫性がない。
作者のHPをみると、あらかじめ言い訳めいたことが書いてあるが
・微妙な読後感になることを覚悟してほしいこと
・アンドロイドが理想的な人格であるという結論は、
 すでに前作で出たので、今回はそれをさらに進めて、
 そこに疑問符をつけるということ
の、2点がかかれている。
そして、「善意からの行動が本当に人のためになるか」
ということを、テーマにあげている。
しかし、そもそも、このテーマの上げ方自体がおかしくて、
「善意」が人のためにならないなら、一体、なにが
人のためになるのか?
はっきり言って、問うまでもない、バカげた質問だと思う
(ちゃんとした善意なら、人のためになるに決まっています。
作者だって、安田均に金を借りに行って、あっさり貸してくれたことに
感謝しているではないか)
そして、実際は、これは「問われる」訳ではなく、
作者が「答えありき」で進めている。
すなわち、この作品のテーマとしては、
必ずしも、善意が、いい結果を生むとは限らない、という
「答えありき」で進めているので、なんだか不自然なことになっている。

たとえば、未来が改変されたことにより、フィギュアスケートの
選手になれなかったとか、より不幸になった人たちが出てくる。
作者自身も、妻と娘を失う。しかし、これはアンフェアであろう。
なぜなら、911テロで犠牲になるはずだったが、命をすくわれた人とか
虐殺から救われた人、拷問から救われた人などが、
(つまりそちら側の視点が)まったく出てこないのだ。
だから、アンドロイドが「悪いことだけ」をしているように見えるが、
実際は感謝している人だってたくさんいるはずである。
作者の最後に言う、外国で人が何人死のうが、
家族が無事ならそれでいい
(ハリウッド映画などで、さんざん繰り返される、エゴイスティックな
視点だが。赤の他人がどれだけ死のうが、主人公の家族さえ助かれば、
ハッピーエンドで、ちゃんちゃん式の)
とにかく、その主張にしても、仮に作者の家族が911テロにより
死んでおり、アンドロイドの改変により助けられたとすれば、
まったく逆になり、赤の他人はどれだけ死んでもいいから、
家族を助けてくれて、ありがとう、ということになる。
つまり、立場次第で、どちらにでもなる、なんの正統性もない
主張である。
ここら辺に、最初から、テーマの結論ありきで進めている
作者の「作為」が透け見えるので、いかがなもんかと思う
(改変=悪、という、一種、保守的な)。

あと、作中で、「確かにすばらしい文章だが」とかいって、
自分の文章を褒めさせるのも、やめた方がいい。さぶいので。
あと、現実がSFになったので、SF小説が売れなくなるとか(なぜ?
SFなんて、だれも「本当のこと」だと思って、読んではいないが?)
未来の作品を使うのにやたら抵抗を持っている姿勢もよく分からない
(潔癖な僕、を演出したいみたいで気持ち悪い)。
パラレル構想が広がりすぎて、収拾がつかなくなるラストも、
「やりがち」なのだが、結論がないなら、書かなければいいのに、
とも思う。

コンセプトの一貫性の無さとしては、やはりタイトルで
「去年はいい年になるだろう」というのは、ブラッドベリばりの
抒情的ないいタイトルで、ラストは、たとえば
「幸せな未来」を予感させつつ、宇宙船が飛んでいって、終わり、という
いかにも「去年はいい年になるだろう!」という
山本視点で一貫させるべきだと思うのだが、
全然、そういう結論にならない(し、視点もおかしい)。
作者自身が、作中でも言っているが、なにか絶望的な終わり方になっている。
ほとんど「奇妙な味」みたいな、ホラーに近い終わり方である。
書いているうちに、初期コンセプトとずれていったのかもしれないが、
だったら、タイトルの方を変えるべきだったと思う。
視点については、「去年は~」というタイトルは、
タイムトラベルをしない、山本の視点のはずなのだが、
話のメイン・視点は、どう考えても未来人の方であり、
内容も、どちらかと言うと
「2001年分岐における未来人たちの失敗例~次はうまくやります~」
という感じだと思う(つまり、視点が逆である。主人公、
フェイドアウトするし。だれが「去年は~」って言ってんだ?)。

なぜこういうことになったのかについて、作者はHPで、
大局を動かすような大物でなく、小市民の視点から、
書きたかった、といっているが、
これが裏目に出ていて、主人公が、全然主人公っぽくない。
作中で、作者は、リセットをかけているのは未来人の方で、
我々は、1度きりの人生を、うんぬんかんぬん、といっているのだが、
これをTRPGやゲームでたとえるなら、実は未来人(ロボットだが)が
プレイヤーであり、
作者を含めた現地の人々は、その他のNPCと言っているようなもんである
(話に全然、関わらない訳である)。
しかもNPC(市井の人)の視点で一貫されているかと言うとそうでもなく、作者の好みとして、SF設定の根幹部分を書きたい、という姿勢があるために
より、「メインから外されている」感、「関わっていない」感がある。

で、結局、タイトルだのなんだのは、置いておいても、
グループSNEで、未来から来たトラベラーを見守るくだりまでは
おもしろかったので、あの攻防まででいいので、
そのあとの、とってつけたような悲劇的な展開とか、
カオス的説明とか、
25歳くらいの山本のエピローグとかは、
いらなかったのではないかな、と思う。

そして、とにかく原理主義だの陰謀論だのを信じるバカが、
平和を無茶苦茶にして、「人類は永遠にバカ」という絶望的な
テーマが見え隠れするのだが
(未来からやってくるやつらも、バカ。ただし、作者自身まで
発病してしまっている、くだりは面白かったが)
作者の絶望的な世界観を、娯楽が読みたい「読者」に向けて、
強要する姿勢も、いかがなものかと思う。
作者に言わせれば「世界ってそういうもんだ」ということなのだろうが、
「世界がそうだからといって、フィクションの世界まで、
そう書かねばいけないという、法は無い」と、
誰かが言っていた気がする(吉村夜か?)
読者を気持ちよくさせる為だけに、妄想・ハーレム・ラブコメを書けとは
言わないが、せめてもうちょっと「明るさ」とか「勧善懲悪」とか、
あってもいいだろう、とは思う。

結局この話は、人類の革新などは(冨野が好きなテーマだが)存在しないし、
現状維持以外の解決策もなし、という、
ぐるっと回ってスタート地点に戻るだけの、なんのこっちゃ、な
話のなので(あえていえば、「今の現実が一番いい」という
現状肯定妄想?)
読んだ人も、なんだかなあ、と思うのではないだろうか。
せめてコンセプトが一貫して、きれいに落ちていれば、
話として楽しめたから、それでオッケー、となっていたのだが。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: SF
感想投稿日 : 2012年7月29日
読了日 : 2012年7月29日
本棚登録日 : 2012年7月29日

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