お菓子とビール (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2011年7月16日発売)
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感想 : 42
3

手を伸ばせば届きそうな距離にうつくしい異性がいた。さて、どうやって射止めようか。

偉大なる作家テッド・ドリッフィールドについて思い出そうとすると、主人公の脳裏によみがえるのは、彼の妻ロウジーのことばかり。彼女と過ごす時間は幸福だった。

***

読んでいて気になったのは、主人公の読書観。

たとえば「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」と聞かれた時の主人公の返答はこうだ。

「『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

これはモームの自身の意見なのかしら?わたしが読みたい本と見事に一致していた。

p39
「君は判断ミスをしたことがないの?」
「一、二回はある。ニューマンのことを今より過小評価していた。フィッツジェラルドの響きの良い四行詩を今よりずっと尊敬していたよ。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』は読めなかったが、今はゲーテの最高傑作だと思っている」
「当時も今も変わらず傑作だと思っているのは?」
「そうだな。『トリストラム・シャンディ』、『アミーリア』、『虚栄の市』、『ボヴァリー夫人』、『パルムの僧院』、『アンナ・カレーニナ』。それから、ワーズワース、キーツ、ヴェルレーヌかな」

p143
ティツィアーノの『キリストの埋葬』はもしかすると世界中の絵画の中で最も純粋な美を持つと言えるかもしれないのだが、批評家がこの作品について言いうることは、実物を見てきなさいというだけである。他に言えるのは、作品の経歴、芸術家の伝記なのである。だが人々は美にさまざまな資質-崇高さ、人間的な関心、優しさ、愛情-を加える。これは要するに、美は人を長く満足させないからだ。美は完璧であり、完璧というのは(人間性はそういうものだ)僅かな時間しか人の注意を引き付けないのだ。あのラシーヌの完璧な『フェードル』を観たあとで、「この悲劇は結局何を証明するのか?」と尋ねた数学者は世界で考えられているほど愚かではなかった。パエストゥムにある古代のドーリア式寺院がグラス一杯のビールより何故美しいか、その理由など説明できる者はいないのだ。美と無関係の理由を見持ち出すしかないのだ。美は袋小路である。山の頂上であり、到着したらあとはどこへも通じていない。だから我々はティツィアーノよりエル・グレコに、ラシーヌの完璧な傑作よりもシェイクスピアの不完全な作品に、より多く魅了されるのである。

p176
その肘掛け椅子で初めてワーズワースやスタンダールや、エリザベス朝の劇とロシアの小説、ギボン、ボズエル、ヴォルテール、ルソーを読んだのだ。

p186
文学の王座にあるのは詩である。詩は文学の極致であり目標である。詩は人間精神の崇高な活動である。詩は美の完成である。散文の作家は詩人が通るときには道を譲らねばならない。詩人に比べると最上の小説家さえ見劣りがする。

p208
ヘンリー八世の六人の妃については何でも知っていたし、レイディ・ハミルトンやミセス・フィッツハーバードについては知らないことはほとんどなかった。知識欲は旺盛で、ルクレチア・ボルジアからスペイン王フェリーペの妃に至るまでよく読んでいた。これに加えて、フランス王の愛人たちとなると、アニェス・ソレルからマダム・デュ・バリに至るまですべての女性について詳しい行状を諳んじていた。

p232
「どうして他の人のことで頭を悩ますの?あなたにとって何の不都合もないじゃありませんか。わたし、あなたを楽しくさせてあげるでしょ?わたしといて幸福じゃあないの?」
「すごく幸福さ」
「だったらいいじゃない。いらいらしたり嫉妬したりするなんて愚かしいわ。今あるもので満足すればいいじゃない。そう出来るあいだに楽しみなさいな。百年もすれば皆死んでしまうのよ。そうなれば何も問題じゃあなくなるわ。出来るあいだに楽しみましょうよ」

p320
題名になっている「お菓子とビール」という句は、シェイクスピアの『十二夜』などにある句で、「人生を楽しくするもの」「人生の愉悦」という意味合いである。従ってそれはロウジー、あるいは彼女がもたらす楽しいものを指すと考えられる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 岩波文庫
感想投稿日 : 2022年5月28日
読了日 : 2022年5月26日
本棚登録日 : 2022年4月12日

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