火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

  • 早川書房 (1976年3月14日発売)
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久しぶりに再読。持っているのは1976年版だが、この表紙とは違う。

原著の出版が1946年ということは戦後すぐで、こういう先住民族の文化が破壊される理不尽をこの時期に書いているというのはすごいことだと改めて思う。戦勝国が植民地支配し、利益を恣にするのが当たり前と考える人が多かった時代に。この後10年もしないうちにベトナム戦争への介入が始まったわけで、自国の利益しか考えない人々の方が圧倒的多数であったことは(まあ、今もそうだけど)間違いない。

コルテスのアステカ征服やピサロのインカ帝国征服のイメージから発想した物語であることは、火星人が水疱瘡でほとんど死滅してしまったことでも明らかだが、この物語が多少の古臭さ(1999年から2026年の設定であるにもかかわらず、ジュークボックスなどがある、黒人が白人の下働きをしている、火星探検隊はアメリカ人の白人男性がほとんど、女性は主婦)はあるものの、今も輝きを保っているのは、軍事的・経済的力の弱い国や少数民族の文化や歴史を蹂躙することが今も続いているからだ。
もしそれが人類にとって過去のことになっているなら、この本も歴史的な価値はあっても、輝きは失うだろう。
しかし、1984年もこの本も今も読まれ続けているのは現在の物語であり続けているからだ。

しかし、この本の魅力は、そういった「現代性」だけにあるのではなく、小笠原豊樹の訳文のすばらしさも相俟って醸し出される詩情にもまた大いなる力がある。

1999年2月「イラ」で描かれる火星の美しさ。

2002年8月「夜の邂逅」
「今夜の大気には、時間の匂いがただよっていた。トマスは微笑して、空想をかけめぐらせた。ひとつの考え。時間の匂いとは、どんなものだろう。埃や、時計や、人間に似た匂いか。時間の音とはどんな音か。暗い洞窟を流れる水の音か、泣き叫ぶ声か、うつろな箱の蓋に落ちる土くれの音か、雨の音か。そして、さらに考えれば、時間とはどんなかたちをしているのだろう。時間とは暗い部屋に音もなく降りこむ雪のようなものか、昔の映画館で見せた無声映画のようなものか、新年の風船のように虚無へ落ちていく一億の顔か。時間の匂いと、かたちと、音。そして今夜は―トマスはトラックの外に手を出し、風に触れた―まるで時間に触れることができるようだ。」(p136)

翻訳には詩人の木島始も関わっており、昔は外国語に堪能な詩人が(生活のためもあっただろうが)翻訳することが多かった。(専業の翻訳家が少なかったというのもあり。)だから訳文は時に難解なこともあったが、美しかったと思う。今では詩人が翻訳することは少なくなり、優秀な翻訳家がたくさん出てきた。その分読みやすく、わかりやすくなっているのは喜ばしい。
でも、こういう訳文もできれば残して欲しいと思う。

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感想投稿日 : 2021年8月9日
本棚登録日 : 2021年8月9日

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