夏草の記憶 (文春文庫 ク 6-9)

  • 文藝春秋 (1999年9月1日発売)
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感想 : 31
5

大いにネタバレなので未読の人は絶対読まないでください。興趣を削いでしまうのが申し訳ないので。

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クックの名作「緋色の記憶」よりは面白い。

読み初めの1/3くらいまでは感情移入できず失敗作ではないのか、と思いながら、辛抱を重ねて読んだが、真実がなんであったか、の想像がつくようになってからは(最終的には、それが作者による巧みな誤導に依るものであることが分かる。)ページを捲る指ももどかしいくらい、この傑作に引き込まれていった。

「ミステリー小説」と呼ぶには軽すぎる。
優れた「青春小説」であり、「心理小説」でもある。
一括するなら「文芸作品」とでも呼んだ方が似つかわしい。

捲るページの一枚一枚が真実を覆う薄皮を一枚、また一枚と剥いでゆくと同時に、自分の青春時代を思い起こさせ、グリグリと良心が錐で突かれ、自分の人間性が纏った虚飾も剥がされていくような怖さも覚えながら…。

ついに最後の薄皮一枚を剥いだ刹那、押し留めるものを失くした驚愕の真実が雪崩を打つように僕を襲い、脚元を掬った。
主人公ベンのみならず、彼とケリーを取り巻く多くの人たちの人生が心に闇を抱えたいかに悲惨なものであったか、ただただ、呆然としてしまう。

ありふれた若者の恋愛が、これといって悪意の者は登場しないにも関わらず、近松作品のようにふとしたことで純粋な想いが絡み・もつれあって生ずる悲劇だ。強いて言えば「若さ」が産む罪か。

主要登場人物のキャラ設定のうまさ、人種問題をさりげなく背景に据えたことで生まれる社会性とリアリティ。
何気なく聴いたセリフが、後々、全く別の意味を持ってきたり、何気なく配置された小道具が再登場するに至って大いなる恐怖を醸し出す仕掛けなど、なんとも巧緻なストーリーテリングだ。

最初、読んで理解できなかった点は次の事柄だが、再読してハタと気がついた。

420P「エディがトッドには喋らず、代わりにライル・ゲイツに喋ってしまうことになるとは…。」
427P「トッドの耳元で、ケリー・トロイについて知りえたことをせっかちに囁く、エディ・スマザーズの姿が見えた。」
この両者の記述は一見矛盾する為に、僕の頭を混乱させた。
しかし、前者はベンがそのように思い込んでいたということで、それが故にケリーに手をかけたのはライル・ゲイツだと三十数年、思い込んでいた。
ライルが冤罪であるとは思っていなかったのだ。

終盤、ベンはケリーの家を訪ねてシャーリー・トロイからケリーの指輪を渡されて(426P)、初めてトッドに耳打ちしたのがやはりエディであったということを確信した。
これでゲイツの冤罪が明らかになり、ベンは自分のした事がそれまで自分が思い悩んでいた以上に罪深いことであった事実にうちのめされ、遂に、長年、真相に疑問を抱いていたルークのもとを訪ね、真実を告白するに至るのだ。
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それでもスッキリしない点が残る。
そもそも事件によってケリーがどうなったか、ベンが知らなかったはずはない。ルークも知っていた。(かつての)同級生はじめ、街の人たちも知っていたはずだが、真実は慎重に伏せられている。ちょっとアンフェアな気もするが、これについては作者による読者サービスとしての確信的誤導だと受け止めておこう。

ゲイツがその日、ブレークハート・ヒルを訪れたのは、偶然に過ぎないようだ(上述のように、ベンは、そうは思っていなかった。エディからケリーの出自に関する噂を聞いたことがその理由だと思っていた(420P))がこの偶然があまりに作為的なのが残念だ。

それにしても、ゲイツが裁判になっても特に争うそぶりもないのは、ベンの主観によって回顧されているからだろうか。
ゲイツがその後、自ら死を選んだのは、不運な自分に(その不運は自分が招いたものであるということに)絶望したのだろうか。
ゲイツの人間性は興味深いのだが、ここをあまり膨らませることは物語全体のバランスを欠くことになるだろうし、語り手がベンである以上、無理なことなのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外小説
感想投稿日 : 2021年4月22日
読了日 : 2021年4月22日
本棚登録日 : 2021年4月22日

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