タデウシュにはイザベルの言葉が納得のいくものだったみたいだから思うのだけれど、人を動かすものの非合理を自分は過小評価しがちなのかもしれない。
何かにこだわると自分は動けない方に傾きやすいから、事態打破のためには割と感情を封印する方向に行く。自分がコントロールできないことにはこだわりたくないし、こだわりそうになったらなるべく整理しようとする。だから、タデウシュのように逆方向の傾きを持つことについて考えたことがなかった。『レクイエム』のときは「自分はこんなことしないけどきれいね」と思ったのだけど、『イザベルに』はもはや人じゃなくて思念が主役だから。思念だけでここまでする設定で書くのかタブッキは、と驚いた。
タブッキが世界中で読まれているということは、世の人は非合理な感情を大事にしているということでもあるだろう。そうか人間は気持ちがそんなに大事なんだなという驚き。気持ちが大事じゃないと思っているわけじゃないのだけど、大事にすると生き残れない気がする。何かを感じてる暇があったら皿を洗わなくてはとか、そういう気持ち。
この本のまとっている雰囲気は「禁欲的でない萩尾望都」で、タブッキは飲み食いもきれいな女の人も景勝地も好きだったんじゃないかな。人生が喜びに満ちていたから、思いを残すことについての美しい小説が書けたのかと思う。『レクイエム』ほどおいしそうな食べ物は出てこないけれど、今思うのはマカオに行ってエッグタルトが食べたいということです。小説にエッグタルトは出てこなかったけれども。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
イタリア - 小説/物語
- 感想投稿日 : 2020年6月12日
- 読了日 : 2020年6月11日
- 本棚登録日 : 2020年6月12日
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