『永続敗戦論』が高い評価を得た若き政治学者・白井聡と、親子ほども年の離れた笠井潔との対談集。
対談集というのはじつにピンキリであって、出来の悪いものは、文章で書いた著作をただ薄めただけの内容になる。作り手の側が、「忙しくて本を書く時間がないから、対談でやっつけちまえ」という安直な姿勢で臨むとそうなるのである。
対談集なら、丸一日もあれば1冊分の対談は済んでしまう。あとはライターにまとめさせて、本人たちはゲラでチョイチョイと訂正・加筆すればいい。手抜きしようと思えばいくらでも手抜きできるのが、対談集なのだ。
だが、本書はそういう手抜きには陥っておらず、非常に中身の濃い対談集になっている。おそらく、話されたままの内容ではなく、両者ともかなり時間をかけて加筆していると思う。
内容は、おおむね『永続敗戦論』の延長線上にある。つまり、戦前~戦後から現在までの日本の歩みを射程に入れながら、日本の「いま」と「これから」を論じた時事的政論だ。
かなりの紙数を割いて、「反知性主義」をキーワードに、日本の保守の「劣化」が論じられる。とくに安倍晋三については、「ネトウヨレヴェルの総理大臣」として完膚なきまでに叩き斬っていて、読み応えがある。
さりとて、サヨ的内容かといえば意外にそうでもなく、右も左もなで斬りにしている。
また、“21世紀の日中戦争”の危険性を説得的に論じたくだりや、天皇制についての突っ込んだ言及、歯に衣着せぬネトウヨ批判は、いずれもラディカルで刺激的である。
何より、両対談者の使う言葉がいちいちカッコよくて、「うまいこと言うもんだなあ」と感心させられる。
私が感心したくだりを、いくつか挙げてみよう(カッコ内は発言者)。
《笠井 欧米に見下されながら、欧米を模倣して今度はアジアを見下してきたのが、要するに近代日本です。オリエンタリズムの客体でありながら主体でもあるという倒錯的二重性と、日本による対アジアの特殊な暴力性は密接に関係していました。とすれば、かつての日本軍の残虐性と、今日の排外主義の屈折した暴力性は連続していることになりますね。》
《議会政治とは、街頭で闘われる叛乱の政治の結果として生まれたにすぎない。デモを議会制民主主義の潤滑剤におとしめる俗論が目に着きますが、デモこそが議会制民主主義の生みの親であることを忘れてはなりません。(笠井)》
《反知性主義というのは、知性が不在だということではなくて、知性への憎悪ですから。(白井)》
《社会運動というのは、ある種交差点みたいなものであって。運動自体はこれといって何を成し遂げるわけではなくても、そこを通過することによっていろんな方向に発展していく可能性があります。(白井)》
- 感想投稿日 : 2018年10月9日
- 読了日 : 2014年10月8日
- 本棚登録日 : 2018年10月9日
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