私の「漱石」と「龍之介」 (ちくま文庫 う 12-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (1993年8月24日発売)
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本棚登録 : 293
感想 : 29
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 芥川は、ちょっと異常かと思えるくらい、人に甘えることをする。その甘え方が支配的な感じなのだ。そして捨て身的な甘え方なのだ。見た目とかは関係ない。久米だろうが、関係ない。

「他の友人全員侮蔑しても、君を尊敬する!」とか「学生時代、一番尊敬してたのは君!」とか言いまくる人である。私は、それは同性愛とかではなくて、「イギリスかどこかの外国の手紙の書き方の真似」か「心の病気的なもの」のどちらかと思っている。ゴールズワージーのロマンチックな文章の進め方の翻訳文と芥川の文章がそっくりだったことがあって以来、やはりいつもこの時代の文章を読むにはまず「外国の真似」を念頭に置く。だが、心の病気な気もする。よっぽど家族に気を遣って窮屈に生きてきたのだろう。そういう生き方をすると、他人を肉親のようにしてしまい依存し愛するのか。

 さて、この本にも、その「捨て身」の芥川が現れる。
P258に、【もう夕方だったかも知れない。薄暗い書斎の中で長身の芥川が起ち上がり、欄間に掲げた額のうしろへ手を伸ばしたと思うと、そこから百円札を取り出してきて、私に渡した。
お金に困った相談をしていたのだが、その場で間に合わしてもらえるとは思わなかった。
当時の百円は多分今の二万円ぐらい、あるいはだいぶ古い話だから、もっとに当たるかも知れない。
「君の事は僕が一番よく知っている。僕には解るのだ」
と云った。
「奥さんもお母様も本当の君の事は解っていない」
それから又別の時に、
「漱石先生の門下では、鈴木三重吉と君と僕だけだよ」
と云った。】

 芥川の捨て身依存と、私は名付けているのだが、どうだろうか。正確になんと名付けていいかわからない。今のところ、この芥川の捨て身に言及している論文はあまり見当たらない。あったら教えて欲しい。
 要するに、彼は死ぬまで、ビッチのようだったわけだ。

 ちなみに内田百閒は、芥川だけでなく漱石との色んな話も、よく忘れていることが本著で書かれている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2015年6月20日
読了日 : 2015年6月20日
本棚登録日 : 2012年11月28日

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