社会的弱者がどういうふうに作られるかを考察した本。障害者をやたらと感動ものにするメディアの演出、ダウン症児を生んだ親の覚悟への違和感、被差別部落者が差別を恩恵として行政から手厚い保護を受けている事実、など公には言えないがなんとなく言いたいことを述べた本。
若干、ぶんぶんうるさい虫を叩くようなぴしゃりとした物言いに流れることはあるが、強いて感情的な批判ではない。
最終章での「生産年齢人口」(すべての15歳以上から65歳未満まで)ではなく、「就業人口」とみなし、むやみに若年者に進学させずに職業教育を行うという考えには同意できる。これは老人はみんな養われるべきという敬老に偏りもしない。
絶対的な弱者もいなければ強者もいない。弱者はある面では強者であり、既得権益を求めて「新しい弱者」の共同体が生まれるが、自己責任、自己決定をこころしていればいいと説く。
「煙草訴訟」の話など、まさに、博士進学しながら職が保障されないのは大学のせいという高等遊民の嘆きと似ていなくもない。
意訳すれば、弱者ー強者構造に巻きこまれないためには、多元的な共同体を背負いながらそれぞれの中での優位を認め合うのがよい、別の関係を持ちこんで寛容になる、ということだろう。要するに違っていてもいい、その人のいいところを別に見つけなさいな、ということ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
社会・福祉・労働問題・事件・災害
- 感想投稿日 : 2014年4月22日
- 読了日 : 2014年4月22日
- 本棚登録日 : 2014年4月20日
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