革命前夜 (文春文庫 す 23-1)

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  • 文藝春秋 (2018年3月9日発売)
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『慈悲』。手を下界に差し向けて見下ろす像の哀しみに満ちた横顔のむこうに、ただ瓦礫だけが延々と広がる。かろうじて残った壁の一部や枠組みだけが地面に突き刺さった骨のように無残な姿をさらす、連合軍の猛烈な爆撃に晒されたドレスデン。かつての百塔の都、花の都の死を、倒壊を免れた市庁舎の塔の上から16体のそれぞれに名前が付いた黒ずんだ像たちだけが見ていた。

時は流れて1989年。昭和天皇が崩御、平成へと元号をかえた日本から東ドイツ(DDR)の音楽大学へと「音の純化」を求めて留学した真山柊史。
大学にはすでに天才とよばれるふたりの学生がいた。正確な解釈でどんな難曲も誠実に弾きこなすイェンツ。破天荒ともいえるほどの圧倒的な個性で周囲を魅了するヴェンツェル。
そのヴェンツェルに見込まれ、学内の演奏会で伴奏を勤めることになる柊史だったが……。ヴェンツェルはその才能ゆえに伴走者を振り回し、疲弊させ、片っ端から潰してしまう「壊し屋」でもあった。柊史も違わず、彼に引っ掻き回されて自分の音を見失ってゆく――。

楽譜通りにしか弾けない。音楽家としての無個性を自認し、だからこそ自分の音を求めて音楽に向き合う青年の「自分探し」ならぬ「自分の音探し」の試行錯誤を描く青春小説かと思いきや、後半は物語ががらりと転調する。それは容赦なく変わってゆく時代と国に翻弄される人々を描いた、まるで歴史群像小説である。

その頃、日本は昭和から平成へと移り変わり、中国の天安門事件に端を発する民主化運動は、冷戦下の欧州へと伝播して嵐となった。
まるで時代は荒れ狂う泥の河のよう。あらゆる人生を容赦なく押し流し、思わぬ場所へと運び、ときに飲み込み、冷たい川底に沈めてゆく。そしていつの間にか、何事もなかったかのように静まりかえり、澄んだ川面からはかつての氾濫ぶりをうかがう術はない。
ベルリンの壁。いったいどれだけの人々が、この壁によって引き裂かれたことだろう。そして西へ向かおうとした無数の人々の、流血と死。あらゆる苦悩と悲憤とともに永久にベルリンを分断するかに思えた壁は、ある日あっけなくも崩壊する。
彼らの苦悩、流した血や涙が過去のものと化した時に、思うことはなんだったろう。

東西冷戦の終焉は、世界にとって喜ばしいことだったはず。けれど『革命前夜』を、西へと脱出しようと必死に努力し、心に火を灯して強く生きた人々にとっては、待ちわびた瞬間である反面、非常に複雑な感情を伴う転換期であったに違いない。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 作家名:さ行(その他)
感想投稿日 : 2019年4月7日
本棚登録日 : 2019年4月7日

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