日本人のためのイスラム原論

著者 :
  • 集英社インターナショナル (2002年3月26日発売)
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本棚登録 : 435
感想 : 38
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宗教知識のあまりない私には少し難しい本であった。著者はイスラム寄りであることが随所に出ており,ページが進むにしたがって面白みが少なくなっていった感がある。宗教初心者であるため,もう少しニュートラルな立場で書いてくれたら良かったのにと感じた。ただし,この本を読むことにより分かったことも少なくない。
イスラムは規範(これをしろとかあれをするなといった命令)を重視し心よりそれをどう表現するかで信仰心というか信仰度合いが計られるものだということが分かった。例えば,1日に5回メッカの方角に向かって礼拝を行うとか,アッラーの他に神なし,マホメットはその使徒であると絶えず口に出して唱えるとか,喜捨(所得の40分の1を貧しい人へ施す義務がある)とか・・・。キリスト教では信じるものは救われるとのごとく心の中で信じていれば良いと言うものでその宗教的厳しさは断然イスラム教が強い。
日本にイスラム教の信者(ムスリムという)が少ないのはなぜかとの問いに著者は色々記しているが,この”規範”が日本人には受け入れられなかったと解いている。その他,イスラム教は翻訳のコーランを認めない(アラビア語でコーランを唱えなければならない)ということもあるが,著者はこれは大きな弊害とはならないであろうと言っている(言語の難しさもコーランを唱えるぐらいはそれほどでもないと)。が,私の考えは少し違う。日本人は周りの目を非常に気にするものであり,コーランをアラビア語(日本語以外)で唱えているとやはり周りから白い目で見られるのではといった感情があるのではないか。ちなみに,キリスト教の聖書は日本語で言っても良いので広がりやすさはあったと思う。
あと,イスラム教・キリスト教と仏教の違いも少し述べている。イスラム教やキリスト教の神は人々に困難を与えるが,逆に仏教では仏さまは人々を困難から救うのであると。多分に日本の仏教がこんな感じで,”困ったときの神頼み”であり,他力本願・大乗仏教の少々横着な国民だなと感じた。
また,仏教では因果応報という考えがあり,何かをしたから今こんなことになっている,だからその何か(いわゆる煩悩)をなくすように心がけなさい,と教えている。煩悩をなくすと苦難から救われると。法前仏後ともいい,釈迦と言えどもこの世の法則を動かすことは出来ない。一方,イスラム教では,現在の境遇は何かをしたからというものではなく,全ては神が決めたことである,と言い,現在の境遇から救うことを説いているわけではなく,最後の審判でアッラーが全ての人間を蘇らせ,個別に救済を決定するから一生懸命その規範を行いなさいとしている。
この本を読む限りは,イスラム教の人々は皆が真面目な宗教人であり尊敬できる人々だと感じた。それに比べると私も含め日本人の宗教感のなさ,節操のなさ(正月の初詣(神),お盆(仏),クリスマス(キリスト),年功序列(儒)等々)は悲しむべきものに思えてならない。色々良いとこ取りをするのは悪くはないが,自分と言うもの,主体性が見えづらい。もう少し真面目に学校で宗教を教えた方がいいと思うね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想・哲学
感想投稿日 : 2008年4月29日
読了日 : 2008年4月29日
本棚登録日 : 2008年4月29日

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