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感想・レビュー・書評
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これ読み終わったら就活始めよと思っていたら、読むのに3か月かかった。就活は諦めた。
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下衆親父に人生狂わされた三兄弟の話か…と読み始めるも、いや他の奴らも大概だねこれ?となり、今は唯一の癒やし三男アリョーシャに真面目な顔してあらゆるハラスメントを仕掛けていく周囲の人達、という構図を楽しんでいる。中巻へ
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同様のレビューは数多あるが、ドストエフスキーの小説は非常に読みづらい。海外文学にありがちな、同一人物に対する複数の呼び名(それも唐突に呼び名が変わったりする)が代わる代わる登場することがその一因である。
加えて、本筋であろう吝嗇で悋気なフョードル・カラマーゾフとその三人の息子(実はもう一人……)の女性を巡る、つまりは仲の悪い家族の物語だが、その物語に「神は存在するか」「罪を犯した人間の救済としての、神の赦しとは何ぞや」といった――おそらくはドストエフスキーが最も語りたかったもの――テーマが重なりあうように織り込まれ、読者は(少なくとも私は)、ともすれば、いったい何の話を読んでいるのか、といった置いてきぼりな気分に耐えながら読み進めることを余儀なくされる。ゆえに、物語の進行は遅滞し、父殺しの物語という予備知識をもって読み始めたものの、上巻を読み終わってなお父親たるフョードルは健在である。
上巻のクライマックスは、やはり上巻の最後での次男イワンが三男の修道僧アリョーシャに語る叙事詩であるところの『大審問官』であろう。シベリア抑留の経験を持つドストエフスキーは、異文化を冷たい土地に閉じ込めた異文化、異端のるつぼのような地に身を置き、異端にも傾倒し、その結果としてスタンダードな西欧のキリスト教的倫理観に感じた違和をこの物語に綴ったのではなかろうか。
親子での不倫物語、そしてその末の父殺しの寓話としても読める。しかし、この長い物語をもう一つのテーマである「罪に対する、赦し」に注目して読み進めてみようと思う。そうすることで、一世紀以上前に書かれた長い物語は、多くの異文化の疑似体験たりえるだろうし、生きにくい現代を生きていくためのよすがにもなるに違いない。 -
15年ぶりに再読。
15年前読んだときは面白いとは思いつつも、その長さと読みにくさにヒーヒー言いながら、何とか読了した覚えがある。
特に上巻は事件が起きる前の家族間の諍いがメインで大きなことは起こらない。そこに退屈さを感じていたような覚えがあったのだが、今読むと上巻から結構面白い。
演劇的な長文の台詞や、宗教的な部分に迷子になる瞬間もあるのだが、以前読んだときよりもちゃんと追えてる気がした。 -
父フョードル・カラマーゾフとその息子たちの愛憎劇の中に、「神」や「罪」といったことが描かれていた。
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噂に違わぬ面白さ。普通に死ぬほど面白くて読む手を止められない。ズバズバと刺さる概念や観念が出まくっている。格言的にズバッと形容するのではなく多くの言葉を用いて表象していくので、心にしとしと染み込み、少しずつ、それでいて多大な影響を与えてくれる。ここ数年ずっと不安に思い頭を悩ませていたことについて語りまくってるイワンの話に衝撃。まさに、な話が次々と出てきて感動した。150年前くらいの小説とはとても思えぬリアルタイム感もあり、もう本当にすごい。
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青空文庫で無料だったので、あらすじを少し読んでから読みだしたが余りに予想と違い、いい意味で騙された!まだ先が長いがうれしいような悲しいような・・