国家の品格 (新潮新書 141)

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  • 新潮社 (2005年11月20日発売)
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本書は「論理」と「合理性」だけでは社会問題の解決に繋がらないことを指摘し、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義より武士道精神を重んじてきた品格ある国家・日本に立ち戻り、世界と一線を画すべきだという主張が書かれている。

第1~2章では、①論理の限界(pp.35-44)、②人間にとって最も重要なことの多くが論理的に説明できない(pp.44-50)、③論理には出発点が必要でそれを選ぶのは情緒や形である(pp.50-55)、④長い論理ほど信憑性がなく、短い論理ほど深みに欠ける(pp.55-64)を理由に挙げ、「論理だけでは人間社会の問題解決は図れない」ことを指摘している。

第3章では、「③論理には出発点が必要」ということに着目し、欧米人の論理の出発点である「自由・平等・民主主義」の概念に対して疑問を投げかけている。

私たちの耳慣れた「自由・平等」はそもそもカルヴァンの予定説の潮流に乗ったジョン・ロックの主張が反映されたものであることを論拠に、論理の出発点は神なしでは主張を担保できない、いい加減なものだと主張している(pp.65-74,88-90)。またカルヴァン主義が資本主義を進め(pp.69-72)、自由・平等を前提とした「民主主義」も致命的な欠陥を抱えていると主張している(pp.74-92)。

第4~6章では、論理の出発点を正しく選ぶために必要な日本人が古来から持つ「情緒」、あるいは伝統に由来する「形」を重んじることが重要であり(pp.95-115,130-157)、情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活させるべきだと述べている(pp.116-129)。そして最終章で他国の文化・思想と日本のそれとを比較しながら、改めて先の議論を強調し(pp.158-190)、武士道精神を重んじてきた品格ある国家・日本に立ち戻り、世界と一線を画すべきだと主張している(pp.191-192)。

このように詳細に書いたのは、本書の問題点を浮き彫りにするためである。第1~2章に書かれている「論理だけで人間社会の問題解決が図れない」ことは当然である。しかし第3章で主張する「自由・平等・民主主義」が神でしか語れないことの何が問題なのか疑問に感じる。たとえ法の下での制限があったとしても、それは無法地帯のままよりはよいはずである。また武士道精神も、天皇や仏(神)を敬う心が根底にある。そういった点でほかの宗教と変わらないはずである。にもかかわらず、他国の思想を貶めるような批判をし、自国が優れているというような主張に甚だ腹が立つばかりである。

また著者が理数学者であるという点にも注意が必要だ。学者が自分の研究領域外のことを語るのはもちろん構わない。しかし自分の研究分野外のため、中途半端な主張しかできないし、発言に対する責任も持てない。裏付けが示せない。そういったことでいいわけがない。また論理を否定したら、著者のこの本そのものが論理なわけだから、そういったものもすべて否定されることになるのではないだろうか。

もちろん、こういった問題はそれぞれの思想の問題である。だが、だからこそ注意深く読む必要があると感じる。学者だからと言っていつも正しいことを言っているとは限らない。他の専門家の主張と比較して、注意深く読む必要がある。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 300 社会科学
感想投稿日 : 2014年11月30日
読了日 : 2014年11月29日
本棚登録日 : 2014年11月30日

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