彼女の歌をみて、やりきれない、ひとの性をみた。
自分といふものをひと一倍頼みにしながら、その実、誰かを求めずにはいられない弱さを同時に抱へて生きてゐる。それは、生れてきてしまつた以上、避けられないこと。ひとは、さうあることをやめられない。自分以外を生きることも、自分以外になることも、できない。
哀しいままでゐることも、幸福だけでゐることもできない。どんなに悲しくても、喜びはやつて來てしまふ。幸せであることは、もう別れが始つてゐるといふことでもある。明けない夜がないといふことは、希望でもあるが、同時にどうにもならない、ひとの在り方への絶望だ。
夢よりはかなき世といふのは、単なる男女の仲だけではなく、それ以上にひとがひとであるといふさうした性への自覚とため息だ。
日記でありながら物語の形式をとつてゐるのは、書いた人間が、ただただ流れていく世界の中にあつてどうにもならない哀しみをを静かにとどめやうとしたからではないか。それが和泉式部本人であるか、他の人物であるかに興味はない。しかし、そのやうに人生を見つめ続けた人間がゐたといふ事実に変りはない。
幸か不幸か、彼女は歌を詠むことに長けてゐた。彼女は書くといふこともまたできた。どうしやうもなくあふれる気持ち(こころ)に押しつぶされないでいたのは、並はずれて書くといふことができたからだ。何かに形を与へるといふことは、それ自体が慰めである。
忘れないといふことはひとにはできない。知つたからには忘れ、忘れたからには、知ることができる。どんなに悲しくても、いつかはまた喜びを知る。さういふことを繰り返しても、ひとは生きていけてしまふ。
そんな人生の中にあつて、少しでもさうした哀しみを語ることのできるひとといふものを求めてしまふ。孤独を紛らはすとか、経済的な支援だとか、さういふものはどうでもよく、ただただ、そこにゐてほしいのだ。どこまでもひとりだから、わかりあへないから、一緒にゐたいのだ。そして、さうした大切な誰かを待ち続ける一日一日が、千年にも等しい程に苦しいことも。それでも、誰かを求めてしまふのだ。
- 感想投稿日 : 2018年4月14日
- 読了日 : 2018年3月31日
- 本棚登録日 : 2018年3月31日
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