マキャベリを読んだ時も感じてゐたが、中世のイタリアを廻つては、政治にしろ文化にしろ、たくさんのひとの血が染み渡つてゐた。荒廃と栄光。信仰と権謀。嵐のやうに、人間模様が凝縮された世界だ。
中でもこのボルジア家といふものは、さうしたもののすべてをその人生で体現し、散つていつた。それほどまでにイタリアに取り憑かれたことの理由をつけやうと思へば、いくらでもつけられる。けれど、そのどれをとつてもボルジア家の滾る血を説明したことにはならない。ボルジア家の血はさうしたもつともらしい説明を拒んでゐるのだ。彼らがさうしたといふゆるぎない事実のほかに、ひとの入り込む隙がない。
ひとの在るところに、燃え上がるやうな情感と、さうせずにはいられない哀しい性が必ず在る。それは、時代や国を超えて、ひとが存在し続ける限り、なくならない。そこにやたらと理由をつけたがることを彼女は嫌ふ。それはさうとしかならないのだ。生きて死んでいくことの他に何もない。
ボルジア家はどこまでも、その瞬間瞬間に生きて死んでいつた。サガンの惹かれたのは、さうしたボルジア家の血といふ形であつたのだらう。サガンはその血の中に、自分といふひとの存在を見出した。ただ時間の流れをたどるのではなく、そこに彼女の感じる人間模様が描き出される。おそらく、役者のimageもはつきりと見えていたに違ひない。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
物語
- 感想投稿日 : 2018年4月14日
- 読了日 : 2018年3月31日
- 本棚登録日 : 2018年3月31日
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