儒教倫理や伝統文化・因習に閉塞する清朝末期の中国で、国民の自立と人間性の回復を呼び覚ます魯迅の小説や評論には格別な意義があった。彼の韜晦の表現に込められた辛辣な諧謔は平易な文体で読む人の感性を刺激し何度でも読みたくなる不思議な魅力がある。意表をつくテーマを口語体で淡々と綴り、人を刺す寸鉄のような言葉も国民大衆の心を震わせた。
魯迅は七年間の日本留学で医学生から作家に転身し、帰国後教育者・作家・評論家として革命期の中国で学生や民衆に最も影響力のある存在になる。その時々の論考を取り上げて構成した評論集(彼はこれを雑文・雑感といっている)である。
上海で特に親しく交流していた柔石が突然逮捕され誰にも知らされずに処刑された、その悲嘆と怒り、それを知らずに息子は元気に活躍していると信じている両目盲いた郷里の母親・・・印象的な話である。
「水に落ちた犬は大いに打つべし」という箴言、「ちん」(犬か猫かわからない二股膏薬だから)はことに水中に打ち落としてさらに追い打たねばならぬという。日本留学から先に帰国して革命運動に身を投じた秋瑾女史のことで、彼女を密告し殺害した首謀者を同志王金発が温情で延命させるが体制が変わって逆に彼に殺されるということがあった。又、実直な人が自分で墓穴を掘ることへの戒めとして「失脚した政客にも善玉と悪玉があるのを見分けられずに一律に見て、そのためにかえって悪をはびこらす錯誤である」という。
これらのことを「私の血で書かれたものではないが、私の同輩および私より年下の青年達の血をみて書かれたもの」であるという。
自らの死後のことについて、「身内に望んだこと七箇条」(葬式で金は貰うな、さっさと片付けろ、記念はするな、早く忘れて自分の生活をしろ、二代目の空疎な文学者や美術家にはなるな、他人を当てにするな、寛容を言う人に近づくな)は魯迅の衒わない人となりを表していると同時に文筆を武器に厳しい環境を生き抜いた切実さが滲んでいる。
翻訳した竹内好の編纂が出色であり、評論の選別や並べ方はもとより解説文から彼に心腹する思いが伝わってくる。彼は武田泰淳とともに偉大な「中国の紹介者」だったと思う。
自分は魯迅について、藤野先生の温情を振り切って医学から文学に転身した経緯がよくわからない。又彼は共産主義者というよりも主体性を重視する自由主義者であり、いわゆるプロレタリア文学者ではない、にもかかわらず死後毛沢東など中国共産党に高く評価された。政治的な思惑に利用されたのであろうが、生きていれば本人が一番「良し」としないであろう。彼は混沌とする革命期の中国にあって、日本における福沢諭吉と夏目漱石を足したような存在であったのだろうか。
- 感想投稿日 : 2024年1月7日
- 読了日 : 2024年1月7日
- 本棚登録日 : 2024年1月7日
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