倒錯の舞踏 (二見文庫 ブ 1-9 ザ・ミステリ・コレクション)

  • 二見書房 (1999年5月1日発売)
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感想 : 9
3

1991年発表、マット・スカダーシリーズ第9弾。「八百万の死にざま」(1982)で80年代ハードボイルドの頂点を極め、中堅作家だったブロックは一躍大家として大輪の花を咲かせた。だが、以降スカダーの物語は急速に色褪せていく。あくまでも自論だが、枯れたのである。

帰宅時、運悪く出くわした強盗によって殺された女。その兄は「殺したのは夫だ」と主張、スカダーに真相を探るよう依頼した。夫であるサーマンは新参ケーブルテレビ局のプロデューサーだったが、事業は順調とはいえず、資産家の出だった妻が死んだことで、莫大な遺産を手にしていた。事件当時の状況にも不審な点が多い。後日、スカダーは、テレビ局主催となるボクシングの中継会場で、サーマンの様子を窺っていたが、漠然と別の者へと注意を引かれた。リングサイドにいた或る観客への既視感。その男の手。のちに確信へと変わる。以前に見たビデオ。縛り付けた若者を残虐に殺した正体不明の男と女。そこに映っていた殺人者の手と同じだった。凶行は、今も続いているに違いない。妻殺しの疑惑がかかるサーマンと、殺しの映像。二つの事件を同時進行で調べ始めたスカダーは、やがて不可解な共通項に行き当たる。

熟成した語り口、淀みない構成、的確な情景描写、巧みな人物造形など、ブロックの実力は改めて述べるまでもない。プロットはやや強引だが、ミステリとはしては許容範囲だろう。ただ、全体的な空気感が大きく変わった。もしくは、感傷が弱まったと言えばいいだろうか。スカダーの〝変貌〟については、「死者との誓い」(1993)のレビューで触れたのだが、その前兆が明確に表れている。

本作で探偵は、遂に「暴力」の一線を超える。しかも、殺し屋の〝協力〟を仰ぐという、無残な展開を辿る。
それまでも予兆はあったが、マット・スカダーはアルコールを断つように、〝罪と罰〟の命題を自ら葬った。苦悩することを、きっぱりとやめたのである。スカダーを〝闇の仕置人〟としてヒーロー化させたことが、本シリーズの強度を弱めた大きな要因だと感じた。以前「ノワールへの傾斜を深めた」とも書いたのだが、正しくは既存のハードボイルドと決別したと捉えるべきなのかもしれない。
恐らく、ブロックとしては、スカダーの〝正義感〟を、より明瞭/強固にし、次のステージへ向かうステップを踏んだのだろう。作家が一番恐れるのはマンネリに陥ったという評価であろうから。当然のこと、新たに主人公を創造するよりも、人気の高いヒーローを続投させることで、作品としてはそれなりに〝売れる〟訳だから手放すのは勿体ない。そもそも、本稿のように捻れた捉え方をする読み手は些少であり、何でも喜んでくれる〝真のファン〟だけを相手にすればいい。パーカー/スペンサーシリーズが、その好例のように(文句のある時だけ引っ張り出して申し訳ないが)。

ニューヨークの片隅、その大半が未解決となる犯罪の蔓延る街に生き、どうしようもない現実への焦燥に抗うため、酒に溺れる日々を送っていた孤独な男。己と同じように生きづらさに悶え苦しむ者を〝救済〟することで、精神的な均衡を保っていたが、「八百万……」でそれも限界に達し、スカダーは〝悲劇的且つ喜劇的な〟終局に於いて自らを〝浄化〟した。「墓場への切符」(1990)から始まる所謂「倒錯三部作」(作者非公認、日本でのみ通じるトリロジー)は、探偵が〝変貌〟するさまがよく分かる。
本シリーズは、法で裁くことのできない犯罪者にどう罰を与えるかに一貫して焦点を当てていた。これがスピレイン/ハマーなどの通俗的スタンスならば割り切れるが、殺し屋らの手を借り、私刑紛いの制裁を下して〝神の役割〟を果たす男が、幾ら罪と罰を考察しようが説得力がない。終盤、血に染まった身体のままで教会へと赴き、「アーメン」と吐くスカダーは、堕落したのだと感じた。
危うい均衡を崩した果てに、決着を付ける手段として安易なる暴力を選ぶ主人公の姿に、ブロックはどんな思いを込めていたのだろうか。

本作はターニングポイントとなる作品だが、同系の雰囲気を持つ次作を経て、スカダーは精彩を失い、単なる〝謎解き探偵〟へと変わっていく。シリーズ最終作の可能性が高い「償いの報酬」(2011)では、老境に入った74歳のスカダーが、禁酒直後の事件を回想している。達観の境地に至ることは良しとして、詰まらない人生観を語る探偵に成り下がるのだけは避けて欲しかったのだが、ブロック自身の年齢を考えれば、致し方ないことか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ★ハードボイルド/ノワール
感想投稿日 : 2020年8月25日
読了日 : 2020年8月25日
本棚登録日 : 2020年8月25日

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