夏目漱石を読む (ちくま文庫 よ 2-5)

著者 :
  • 筑摩書房 (2009年9月9日発売)
3.68
  • (7)
  • (23)
  • (13)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 249
感想 : 25
4

夏目漱石さんの、主に後期の小説…「それから」以降くらいっていうのは、名作とかブンガクとか言う以前に、実にドロドロした人間関係エンターテイメントだなあ、と長年思っていました。
感覚的には「高校教師」とかそういう野島ドラマのような(見てないですが)。ラーメンで言うと、とんこつ。というより天下一品の味わいなんですよね。個人的には。
「行人」とか「彼岸過迄」の終盤とか。もう読んでて赤面するくらいどろどろのぐっちゃぐちゃ。過剰な自意識と片想いと邪推と劣等感を、煮込んで煮込んでぐずぐずになった…美味。
ドストエフスキーさんの「地下室の手記」とか、初期ウディ・アレンのラブコメ映画とか…。
(脱線しますが、ウディ・アレンさんも作家としてはとてもドストエフスキーだなあと思います)

晩年の吉本隆明さんが、講演として夏目漱石を論じた話し言葉をベースに作られた本のようですね。
夏目漱石さんの小説はほとんど大好きなので、実に面白く読みました。
吉本隆明さんというと、「無駄に難解なのではないか」という先入観を持つ人もいると思います。僕もそうです。(先入観と言うより事実という気もしますが)
でもこの本は読み易いです。ベースが話し言葉ですから。

もう読み終えて数日、内容を忘れつつあるんですが…。

●「吾輩は猫である」が小説として、娯楽として、面白くない。という断言を筆頭に、「このあたりは面白いよね。いまいちだよね」という感覚が、ものすごくドンピシャでした。

●一方で、例えば「虞美人草」。は、文章に凝りすぎてるし、人物造形や語り口が、まあ言ってみれば尾崎紅葉みたいで面白くない。と、言いつつも。「虞美人草」の終盤では、小説として奇跡的なまでに面白い、興奮熱狂な部分もある。という評価。コレ、「虞美人草」を読んだのは恐らく20年以上前なんですが、「そうそう!そうだった!」とこれまた感動的に激しく同意。

●漱石の個人史と参照しながら「作者の気持ち」を想像しつつ、行きすぎてスキャンダル検証みたいには堕ちない。

●漱石の後半の小説を、「つまり男ふたりと女ひとりの三角関係」という貫かれた題材を指摘しつつ、「男ふたりが激しく近い距離にいる、友人的な関係である」という指摘。これもなるほど。

●「明暗」について、則天去私みたいなよくわからないお題目とは関係なく、小説の技法として、男性ひとりの視点に頼らずに等間隔で、俯瞰で人物たちを描けていることを指摘。これも、実に「ああ、そうだなあ、だから面白いんだよなあ」と納得。

●一方で、「近代の自我」「欧米と対峙する後進国としての文明的焦燥感」などなど、のお題目について。吉本さんはバッサリと、「漱石は自覚してなかったと思うけど、そんなお題目ではなくて、漱石の乳幼児から幼少期の愛情に飢えた育ちから生まれている屈折や憂鬱が大きな存在だ」という風な論旨。これはこれで、確かに。漱石を読んで、そこに背景としての明治日本と当時の列強の存在を文明論みたいな感じで読みとることはできますが、あくまで「背景」だと思います。やっぱり何で面白いかって、人間のどろどろのオモシロサだと思うんですよね。
(ただそれが、吉本さんが述べている理由が絶対正しいのかというと、それほどまでのこともなかったと思いますが…)

まあ確かに、年表的事実関係だけで言っても。
夏目漱石さんというのは、赤ちゃんで養子に出され、養父母が不仲で実家に戻され、実子扱いされず成長したんですね。
簡単に言うとけっこう、不幸です。
そんな子が、とにかく勉強が出来て、天才的に漢籍の才能があって、それどころか英語も出来て。
簡単に言えば、話しが合う人がほとんど居ないレベルの漢籍の教養を持っているのに、ロンドン留学をして。
これまた誰も話し合えないくらいに英語と英文学と文学論を極めて。…という人なんですね。
その生真面目さ、潔癖さ。まだ「武士」という響きを残す世代の堅苦しさ。そして東西の教養が切ってはち切れんばかりの中で。
親しい人間関係の摩擦、「ま、普通はこういう流れで生きるよね」という宿命と、「こう生きたい」という意思や欲望を、天下一品のスープのようにどろどろと描けるんですね。
その小説家的技術というのは凄いなあ、と思います。
そういう見方を促してくれるような本だったと思います。

さすがちくま文庫。パチパチ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本:再読
感想投稿日 : 2015年12月4日
読了日 : 2015年11月30日
本棚登録日 : 2015年12月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする