晴天の迷いクジラ

著者 :
  • 新潮社 (2012年2月22日発売)
3.72
  • (265)
  • (555)
  • (479)
  • (70)
  • (11)
本棚登録 : 3367
感想 : 583
5

 この小説の主人公たちは、何れも親との確執に傷つき、その替わりに心の拠り所となっていた物…彼女、親友、仕事を失って、自ら命を絶とうとしていた。
 由人は育った家で子供のころから母親が兄だけを溺愛し、自分には関心を向けられなかった。その分愛してくれた祖母を亡くし、続いて彼女にも振られ、会社も倒産した。
 由人の会社の社長、野乃花は高三で出産。突然母になり、子供に青春を奪われたことに戸惑い、婚家にも馴染めず、子供を置いて家を飛び出し、上京した。その後、デザインの学校を出てデザイン会社を立ち上げ、必死で盛り上げてきたが、倒産し、練炭自殺しようとした。
 十六歳の正子は、姉が赤ん坊の時に亡くなったことにより、母親が病的なほどいつも正子のことを心配し、「あなたのことが心配なのよ」という言葉により、常に監視され、自由を奪われるという「虐待」を受けていた。唯一正子のことを理解してくれ、初めて得た男女の双子の友達のうち、女の子のほうが病死し、落ち込んでいてもその気持ちを親が全く理解してくれないことにショックを受け、引きこもり、リストカットを続けるようになる。
 野乃花のケースと正子のケース、私は親と子供両方の立場で理解出来る。母親は初めから母親なのではない。まだ自身が精神的に子供でも突然「親」という役割を与えられ、何もかも子供に奪われてしまった気持ちになる。だから虐待してしまう可能性はどの親にでもあるのだ。また、正子のように愛情が過ぎる親がいつも密着していると、その愛情に応えられないことが「罪」だと子供は勘違いしてしまう。だが、本当は子供にそんな思いをさせてしまう親のほうがある意味「虐待」しているのだ。
 会社が倒産してしまい、由人はふと「死ねるかも」と思って鬱のクスリを飲み過ぎて倒れる。その現場を抑えたのは社長の野乃花なのだが、逆に由人は野乃花が練炭自殺を図ろうとしているのを悟り、止めようとする。その時、どこかの町の湾に入り込んで、出られなくなったクジラのことがニュースになっている。由人は咄嗟に「死ぬのはクジラを見に行ってからにしましょうよ」と野乃花を誘う。二人が車でクジラのいる湾に向かっているとフラフラと歩いている痩せぎすの家出少女、正子を見つける。その辺りには自殺の名所があるので、野乃花は咄嗟に正子が自殺するつもりだと思い、「一緒にクジラを見に行こう」と誘う。
 三人それぞれが命を絶ちたいほど絶望していた赤の他人同士が、お互いの自殺を止めるため、なぜだかクジラを見に行く旅を共にする。そのクジラが見える現場で出会った、世話役の青年とそのおばあさんが良い人で、「今日は遅いから良かったら、うちへ泊まっていけ」と温かくもてなしてくれる。青年とおばあさんの前で、急遽、偽親子を演じた野乃花、由人、正子の三人は偽なのにお互いのことが本当の家族のように心配になり、本当の家族の中では得られなかった温もりを感じる。
三人を泊めてくれた青年とおばあさんも実は最近、親族を亡くす悲しみを経験しており、その経験から三人の苦しみを理解し、悲しみを共有出来た。
 「正子ちゃんのここ(肩)には、きっと、お姉ちゃんもお友だちも、おるとよ。正子ちゃんはその人たちの代わりに、おいしかもん食べたり、きれいなもんを見たりすれば良かと。それだけで良かと。生き残った人が出来るのはそいだけじゃ。」というおばあさんの言葉が身にしみる。
 「生きてるだけでいいんだ。」出会ったばかりの赤の他人でも、自分と同じくらい、身を剥がれるくらい辛い思いをしてきた人から言われる言葉に勇気を貰える。
 そうして、三人がお互い死の淵から引き上げることに成功したとき、クジラも何とか湾から脱出に成功した。
 生きていることはしんどい。社会もしんどいし、家庭ではもっとしんどい人も実は大勢いる。そんな八方塞がりの中にいる人に、「生きろ」と声を届けてくれる小説だった。
 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年1月18日
読了日 : 2021年1月18日
本棚登録日 : 2020年10月27日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする