賜物 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

  • 河出書房新社 (2010年4月22日発売)
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感想 : 13
4

沼野先生の訳ではあるが、数多の文学的な技巧や趣向を散りばめた小説だとは思うが、メタよりもベタ、軽みよりも重さが好きな僕には合わなかった。
最初、100ページほど読んで、長く積読状態にしておいた。
もはや、何が書いてあったのかもほとんど忘れていたので、シーシュポスのごとく、粛々と振り出しへと戻った。
集中力に乏しく、興味が拡散していってしまう僕にはありがちなことだが、ひょっとしたら、物語の方もいささか駆動力を欠いていたのかも知れない。
(と、自らの無能を他人の所為にする、全く悪い癖だ!)

巻末の沼野先生の本書の面白さを全て語り尽くさんとする「熱い」解説を読むと、自らの不明を恥じるのみだ。/


【いささか長々しい要約になったが(略)、これを読んだだけでは『賜物』という小説の手ごたえはまったく想像できないだろう。そもそも小説をあらすじに還元することは、他ならぬナボコフ自身が軽蔑したことだが、それをあえてここでしてみたのは、『賜物』にいかに多くの要素が詰め込まれているか示すことにより、これがそもそもあらすじに還元できる作品ではないことを再確認したかったからである。】(解説)

と解説で沼野先生も書いておられるので、せっかくなのであらすじは省略させていただく。生来の怠け者である僕には、その方がずっと楽なので。/


【キッチンでは早口の、腹を立て興奮した会話が始まった。南方方言やモスクワ訛りの人にはよくあることだが、この母と娘も二人の間ではいつも決まって、まるで喧嘩でもしているような口調で話すのだった。※1

※1 :ペテルブルク出身のナボコフがモスクワ発音に対して抱いていた個人的な「偏見」が多少入っているようだが、一般的に、ペテルブルクの話し方のほうが丁寧で、モスクワのほうが荒っぽい感じがするとはしばしば言われる。モスクワ出身の言語学者ロマン・ヤコブソンがハーヴァード大学における講義で『オネーギン』を朗読したとき、それを聞いたナボコフは客席で「ひどい!」とぶつぶつ呟いていたという、おそらくヤコブソンの「モスクワ訛り」がナボコフには耐えがたかったのだろう。】(第3章)


兎にも角にも、ナボコフはヤコブソンの講義を聞いていたのだ。
ロシア・フォルマリズムとナボコフが繋がった。/


【発明の才に恵まれたチェルヌィシェフスキーが穿き古したズボンをどうやってかがろうか、頭をひねっている姿を私たちは目の当たりにすることになる。黒い糸が見当たらなかったので、彼はそこにあった糸を何でも構わずインクに浸すことにした。そのすぐ脇にはドイツの詩集が置かれていて、『ヴィルヘルム・テル』の冒頭が開かれていた。彼が糸を振ったため(乾かそうと思ったのだ)、そのページにインクが数滴掛かってしまった。しかし、その本は人から借りたものだった。窓の外の紙袋にレモンを見つけた彼は、インクの染みをそれで抜こうとしたが、結局、レモンで染みを黒ずませ、おまけにこのたちの悪い糸を置いた窓敷居も汚しただけのことだった。すると彼はナイフの助けを借りることにし、染みを削り取ろうとした(穴のあいた詩を収めたこの本は、ライプチヒ大学の図書館に所蔵されている。(以下略)】(第4章)


ここを読むと、なんだか自分自身の姿を見ているようで、笑いが止まらなくなるのだ。そう言えば、買ってきた照明を子供部屋の天井に取り付けようとして、引掛シーリングを壊してしまって業者を呼ぶこととなり、家族の大顰蹙を買ったことがあったっけ。/


【チェルヌィシェフスキーはそこで一番いい家に入居させてもらった。そしてヴィリュイスクで一番いい家というのは、要するに監獄だった。彼の湿っぽい独房のドアには黒い防水布が張られ、二つの窓は、ただでさえ棒をびっしり組んで作った柵に直面しているのに格子がはめられていた。他に流刑囚がまったくいないため、彼は完全な孤独に陥った。絶望、無力感、だまされたという意識、深淵のように口を開ける不公平感、極地の生活の醜悪な欠陥ーーこんなことばかりで、彼はほとんど気が変になりそうだった。】(同上)


この部分を読むと、病院の閉ざされた部屋で、一日中寝てばかりいる老母のことを思い出してしまう。/

衰えし 母一人さえ 救えざる 「無能の人」なり 心底我は/


先生には申し訳ないが、僕にはむしろ解説の方が興味深かった。
ここ数年気になっていたナボコフとロシア・フォルマリズムとの関係に関しても、実に貴重な情報を得ることができた。


第4章は、丸ごと主人公フョードルの手になるチェルヌィシェフスキーの伝記となっている。

【ナボコフがここで行っているのは、それまで常識であった伝記の書き方ーーつまり、伝記とは人物の生涯に関する事実を微に入り細を穿つように調べ上げ、集積することだという考え方ーーに対する挑戦であり、それは同時代を見ると、ソ連国内のいわゆるロシア・フォルマリストの理論と実践に近いものだったと言える(ナボコフ自身は例によって他人の影響に関しては否定的だったが)。新しいアプローチによってトルストイの伝記を書いたエイヘンバウムや、やはりトルストイの『戦争と平和』において歴史的素材がいかに芸術的手法によって変形、再構成されているかを分析したシクロフスキーなどの立場が、チェルヌィシェフスキー伝を書いたフョードル=ナボコフに近いことは否定できないだろう。】(解説)


【『賜物』には、じつはナボコフ自身が「付録」と仮に名付けた作品が二つある。

ー中略ー

第一付録は、一九三四年に書かれた「環」という作品である(邦訳は『ナボコフ短篇全集Ⅱ』に所載)。これはナボコフ自身の説明によれば、『賜物』に取り組んでいる最中に、言わば『賜物』という本体から離れ、「衛星」のようにその周りを回転し始めた短篇だった。

ー中略ー

第ニ付録とは、現在「父の蝶」と呼ばれているもので、一九三九年の初頭に書かれたものと思われるが、未完無題の草稿のまま残り、生前は出版されることがなかった。

ー中略ー

これは『賜物』のフョードルが父の伝記を書くために準備した材料と見なせるもので、フョードルが蝶に熱中し、蝶に関する父の著作を読み耽った子供時代の回想と、蝶の分類法、種の概念、進化、擬態などに関して父が残した抽象的で哲学的な論考が含まれている。】(同上)


「父の蝶」は、この全集が出た2010年にはまだ邦訳されていなかったが、今では沼野・小西訳の『ナボコフ・コレクション 賜物 父の蝶』(新潮社)が出ている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ロシア文学
感想投稿日 : 2022年1月9日
読了日 : 2022年1月9日
本棚登録日 : 2022年1月9日

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