この小説では、何も起こらない。読者が「何かが起こった」と認識するには、意味の連続ということが必要なのだけれど、この小説ではそれが偉大な(意図的な)忘却という力によって切断されている。「私」というのがなんなのか最後まで分からないし、手足もあったりなかったりする。
ずたずたに切断された文体は、5W1Hの形成に耐えることができない。少しでも文章を書いた人なら分かると思うけれど、言葉というものは普通、意味を構成するための、半自動的と言ってもいい運動性を持っている。それをベケットはさまざまな工夫で断ち切っている。たとえばひとつの言葉の直後に正反対の言葉を置いてみたり、あるいは「どうでもいい」という言葉によって、小説から故意に連続性を引き剥がす。
読んでいると、気づけば文字だけを追っていたりする油断のならない小説だ。この小説には、普通の小説には当然あるべきものが欠けている。この小説において、至るところに深く刻みつけられた〈非-存在〉、それは何か――と考えると、これは巨大な思考材料になり得る。
『戦争と平和』のような小説が筋骨隆々の大男だとすると、この小説はところどころにわずかに肉片をへばりつかせた骸骨のようなものだ。巨大な、そうして奇形な、あるべき肉のない骸骨。その間隙に、何が詰まっていると「かたち」になり得たのか。そんなことを考えてみるのも面白い。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2019年12月8日
- 読了日 : 2019年12月8日
- 本棚登録日 : 2019年12月5日
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