ロラン・バルトの著作で写真をテーマにした本は『映像の修辞学』を読んだことがあった。
『明るい部屋』はバルトの後期の作品であり、バルトが実際の写真を前にして、自身の心の動きから写真の本質に深く入っていく構成になっている。前述の本に比べると随想に近いため読みやすい。
写真は、対象を抽象化したり解釈することなく、ありのままを余す事なく記録するので、対象が「かつて現実に存在した」ことを証明する。この点で写真は他のメディア(絵画など)から一線を画すとバルトは言う。
それゆえ、肖像写真をどんどん拡大すればその人の実像に迫れるのではないかと錯覚してしまう。しかし、写真は淡々と対象を「見せる」だけで、その人のもつ「雰囲気」といった本質については語ってくれない。
このあたり、バルトが亡くなったばかりの母の写真と向き合う中で語られるので痛切に説得力があります。
写真は事実を示すけれど、どんなに解像しても対象の本質については語らない。
しかし、その人が生きていた時の「雰囲気」、バルトの言葉でいえば「自負心が消えたときに示される」本質が、偶然写真のなかに写りこむことがある。このときに写真に生命が宿るという。バルトはこれを、誰が撮ったかもわからない、母の少女時代の写真に見出します。
趣味で写真を撮影・鑑賞する身として、写真の本質は偶発性・個別性だというバルトの言にはとても共感でき、ある種の写真を見るときに湧き上がってくる感情を良く言い当てているなあと感じました。
レンズが解像すればするほど、画像が美しくなればなるほど、対象の本質をとらえるのが難しくなる気がしてしまいます。SNSでバズる写真なんて個別性とは真逆の方向をいっているし。
どうすれば写真に生命を宿せるかというのは難しいけれど、一回性こそが写真の本質ならば、とにかく目の前にあるものを撮らねばらならない、という気持ちになりました。
https://indoor-continent.blogspot.com/2021/09/blog-post.html
- 感想投稿日 : 2021年9月11日
- 読了日 : 2021年9月6日
- 本棚登録日 : 2021年9月6日
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