バカの壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社 (2003年4月10日発売)
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結局、われわれは自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的につき当たる壁は自分の脳だ。
かって数学にも、簿記にも、一見どうやって解いたらいいのかわからないような問題がならんでいた。が、習い、問いを解くうちに理解ができるようになっていく。つまり、壁とは、自分ではどうやってもこうやっても理解ができないことのことを言っている。
むしろ、わかっているつもりになっているがほんとうはわかっていないもののほうが怖いのです。
自分自身で知りたくないことについて自主的に情報を遮断してしまう。そういったものをまとめて、「バカの壁」といっています。
わかっていないのに、自分ではわかっている。外から説明されたかって、結局わかっていない。そしてそれを自分自身でも気がついていない。これが「バカの壁」です。

答えがないものに、答えを求める。「客観的事実が存在する」というのは、最終的には信仰の領域であって、突き詰めていけば誰にも確かめられないから。
科学というのは絶対的なものではない。なぜならそれは1つの仮説だから。数学のように、絶対的事実であるものや、科学的推論にすぎないものを科学という言葉でひとまとめにしてはいけない。

個性が大事というが、それはウソなんです。なぜなら、個性が大事といいながら、実際にはよその人の顔色を窺ってばかり。常識的な行動から逸脱してれば、それは個性でも独創的でもない
スポーツ選手が身体的に本人でないとどうしてもできないもの、そういうものこそ、個性と呼べる、それ以外は個性ではないんです。

オウムに限らず、身体を用いた修業というものは、どこか危険を孕んでいます。古来より、仏教の荒行等の修行が人里離れて行われることには、昔の人間の知恵だったのかもしれません。
基本的に人間は、学習するロボットであること、それも、外部出力をする学習であるということです

何かの能力に秀でている人の場合、別の何かが欠如している、ということは日常生活でもよく見受けられます。

教育のあやしさ 若い人をまともに教育するのなら、まず人のことがわかるようにしなさいと、当たり前のことから教えていくべきだ、ということです
反面教師になってもいい、嫌われてもいい、という信念が先生にはない。教師ではなくサラリーマンになってしまっているのです。サラリーマンとは、給料の出どころに忠実な人であって、仕事に忠実な人ではありません。
そもそも、教育というのは、本来、自分自身が生きていることに夢をもっている教師じゃないとできないはずです。突き詰めて言えば、「おまえたち、俺を見習え」という話なのですから。

もともと日本は八百万の神の国でした。方丈記のゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、というのは一元論ではない。我が国には、単純な一元論はなかった。ところが近代になって意識しないうちに、一元論が主流になっている。大した根拠やそこにつながる文化がないにもかかわらずである。

<結論>
安易にわかる、話せばわかる、絶対の真実がある、などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのはすぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見楽なことです。しかし向う側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然話は通じなくなるのです。

目次

まえがき
第1章 「バカの壁」とは何か
第2章 脳の中の係数
第3章 「個性を伸ばせ」という欺瞞
第4章 万物流転、情報不変
第5章 無意識・身体・共同体
第6章 バカの脳
第7章 教育の怪しさ
第8章 一元論を超えて

ISBN:9784106100031
出版社:新潮社
判型:新書
ページ数:208ページ
定価:780円(本体)
発売日:2003年06月05日 5刷

読書状況:いま読んでる 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年7月4日
本棚登録日 : 2023年7月1日

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