昔、実家で犬を飼っていた。
母親が動物嫌いで、ずっと外飼いだった。
一度、その犬が逃げてしまって、不安で、寂しくて、悲しくて、何をしていても落ち着かなかった。
シロ、今どこにいるのかな。
そんなことを思いながら、「ちょっとトイレに」と、廊下を通ったその時!
なんと!
シロが!
窓の外、座って、尻尾を振って、こちらを見つめているではないか!
おかえり、シロ…!
帰ってきてくれてありがとう。
シロが亡くなってからも、他の犬を飼ったけれど、やっぱり死に立ち会うのはしんどくて。あまりにも犬の死を悲しむわたしに、近所の人が「子犬が産まれたんだけど、どう?」と訪ねてきたのを、家族がこっそり「あの子が悲しむのを見ていられないの」と、そっと断った。部屋から出て階段を降りようとした時、思いがけず聞いてしまった。
それ以来、わたしはペットを飼っていない。今でもやはり、失った悲しみの方を先に考えてしまって、ペットを飼うことには躊躇いがある。
長谷川家に迎えられたサクラは、家族みんなから、愛されている。
ヒーローでイケメンの兄ちゃん、誰もが振り返る美人で、ぶっとんだ行動をする妹のミキ、その真ん中に挟まれた次男坊の僕、薫。どんどん太っていく母と、どんどん細く小さくなっていく父、そして愛犬のサクラ。
サクラは、彼らに、猛烈に愛されている。
家族はとにかく幸せだった。この幸せがずっと続くものだと思っていた。
ああ、神様。
神様が投げるボールはもともと決まっているのでしょうか。
あの時、あんなことをしなければ、ここで変化球を投げてくることなんてなかったのでしょうか。
それとも、もとからこのタイミングで、変化球を投げるつもりだったのでしょうか。
もしくは、いつだって投げるボールは直球で、それをわたしたちが、時に変化球のように感じてしまうだけなのでしょうか。
そして、一番教えてほしいのは。
なぜ、その「変化球もどき」は、こんなにも幸せな家族を直撃したのでしょうか。
西加奈子さんの作品は、人間の醜い部分も、美しい部分も、全てを丸ごと包み込んでくれる。そして、この作品の中で、その役割を果たしているのが、愛犬のサクラだ。サクラにとっては、神様から投げられるボールは、直球も変化球も、全て軽やかに跳ねるおもちゃ。そんなサクラと共に、家族は年を越す。
生きているとたくさんの幸せも悲しみもあるってこととか、遺伝子レベルで刻み込まれた人との違いとか、それを打ち明ける人がいることといないこととか、好きな人に好きだよって伝えることの大切さとか、そういうことをぎゅうーーっと詰め込んで、全部包み込んでくれる。そんな、とてつもない愛にあふれた一作。
2020年秋、映画化されます。
- 感想投稿日 : 2020年9月20日
- 読了日 : 2020年9月19日
- 本棚登録日 : 2020年9月20日
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