JOJO’S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN

  • 集英社 (2011年12月16日発売)
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Dioが遺した手記。
Dio視点での1~3部回想でもあります。

普通の子供であった幼年時代、
家族を取り巻く劣悪な環境が齎す生活難、人間関係、
そして母に対する想いが赤裸々に綴られています。

ディオ・ブランドーでも、
ディオ・ジョースターでもなく、「Dio」。
Dioになって以降の人格、思考、心の機微を自己分析します。
他人を認め、友を求める感情が有る事に驚き、また、
人で無くなって以降も、心の内側に依然在り続ける母親の存在と、
彼女の宗教観念が、自分の人生を生涯に渡り左右し続けた事から、
Dioを形作った原点が母親にあったこと、
過去に捕らわれ、ある意味過去に生きていること、を知ります。
そして人であるかどうか、という事はさして重要ではなく、
Dioという一人の男が、その人生に於いて何を思いどう実践して来たか、
自分は何処へ向かうのが相応しいのか、
その部分に注目し突き詰めた持論が「天国へ行く方法」でした。

圧倒的なカリスマ性を持つDioの、それまで私が想像していた人物像は、
国家や民族を率いて理想に向かい、やがて壊れて行く歴史上の偉人でした。
しかしこのノートを読むに連れ、それが大きな誤解である事に気付かされました。

自分をDioと呼称し、実際に人間以外の生き物に成りはしたものの、
幼少期から連綿と続く自己形成とその変化を観るに、それらは正に人間のものでした。
私はそう感じました。多くの人の成長と何ら変わらないと。
ディオ・ブランドーは生れついての悪ではなく、
人の世のあらゆる悪や悪意に対し、向き合う姿勢が余りにも素直過ぎた為に、
自分の経験則では咀嚼し切れないものを、取捨選択すら叶わずに取り込み、
その結果として、ある意味周囲の人々が求める「悪の権化の衣を纏ったDio」
という存在に成ってしまったのだと思います。
スタンドを擁するほど精神力は強いのに、精神の成長そのものは遅かった。
心の在り様をそのままに受け止め、先の分岐を自然に超える力を自覚出来たのは、
Dioと成って以降であり、彼を取り巻く特殊な状況下ではもう既に遅かったのですね。

6部でプッチ神父がしくじった時点で、Dioの「死」が確定したわけですので、
果たして彼は「天国」に辿り着けたのでしょうか?
それとも、
やはり永遠の命を以って、時間の特異点にて転生を繰り返し、
今も並行世界の何処かで「天国に行く方法」を模索しているのでしょうか?

文中の句読点の打ち方がおかしいのは、作者の意図か、或いはDioの癖か。
読み手にそんな疑問を抱かせたら、このノートは成功を収めたと言えますよね。
満足の☆4つです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 冒険
感想投稿日 : 2019年5月26日
読了日 : 2019年5月26日
本棚登録日 : 2019年5月13日

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