本書は、ウルフのエッセイ14篇と短編2篇で構成されている。
目次は以下の通りである。
✳︎エッセイ
「伝記という芸術」
「我が父レズリー・スティーヴン」
「いかに読書すべきか」
「『源氏物語』を読んで」
「病むことについて」
「なぜですか?」
「女性にとっての職業」
「E・Mフォースターの小説」
「『オローラ・リー』」
「エレン・テリー」
「斜塔」
✳︎短編
「遺贈品」
「雑種犬ジプシー」
本書を読んでウルフのエッセイは幅広い分野について書かれていることが分かる。
「我が父レズリー・スティーヴン」ではウルフの幼き日の思い出に浸っている。父ウルフ父が残した偉大な言葉を少し紹介する。
・本の読み方について
「好きなものを好きだから読み、感心しないものに感心したふりをしないこと。」P22
・ものを書く方法について
「できるだけ少ない語数で、できるだけ明晰に、自分の意味するところを正確に書くこと。」P22-23
この2点は私も心に留めておきたいと思った。
このエッセイからはウルフの父の人物像が、娘の視点で鋭く描き出されている。
「いかに読書すべきか?」では女流作家とひて、評論家としてのウルフの視点から読書について書かれている。少し引用し紹介する。
“作家がしていることの諸要素を理解するもっとも早い方法は、読むことではなく書くことなのです。言葉の危険性と、むずかしさを自分で試してみることです。”P27
“伝記や回想録は日常の仕事をこなして、骨折って働き、失敗し、成功し、食べ、憎み、愛し、そして最後に死んでいく人々を見せてくれます。”P30
作家として、評論家として活動しているからこその視点は、私に新鮮な感覚を与えてくれる。伝記については本書のエッセイでも「伝記という芸術」で語られている。
「病むことについて」このエッセイが本書のタイトルになっている。病気がいかにありふれたものであるか。病気のもたらす精神的変化がいかに大きいか。病気になった時の心象、精神と肉体について描かれている。病んでいる時の受け取る言葉の性質については、神秘性が備わっていると語られているが、心当たりがある方も多いだろう。ウルフも精神的な病と戦いながら生きているということもあり、彼女の言葉は重く受け止められる。
「女性にとっての職業」では、ウルフが作家として筆をとってから経験したことを語られている。この時代の女性の立場での肩身の狭さなどひしひしと伝わってくる。
“女性のいく手には、私が思うに、たくさんの幻や障害が立ちはだかっているのです。そうした幻や生涯について話し合い、それらをはっきりさせることは、とても価値のある重要なことだと思います。”P111
以上のように、ウルフが実際に幻や障害に向き合った様子などをこのエッセイでは語られている。
エッセイの中で印象的であったのは「蛾の死」。誰も気にしないような小さな生命の煌めきに目を向けて観察するウルフのまなざしが愛おしく思える。生命と死の不思議を伝えてくれた。
ウルフのエッセイのところどころに出てくる彼女の鮮やかな情景とともに現れる比喩に、私の想像力が追いつかないのが悔しい。
また、私が読んだことのない本を取り上げて、それを例えに出して書かれていたりするので、そのような知識が足りない中で本書を読み進めるには気力が必要であった。
エッセイに比べて短編は比較的読みやすかった。
短編の「遺贈品」は無くした妻の遺贈品の日記と向き合う話。日記に出てくるB・Mという男性。読み進めていく中で正体が明らかになる。結末を迎えて私は空いた口が塞がらなかった。こんなに短い短編で、ここまで余韻を残させるなんて。
もう一つの短編「雑種犬ジプシー」は未発表原稿とのことだ。ある夜更けに2組の夫婦が暖炉を囲みながら、昔馴染みの友人たちのことを話している。その中で出てくるジプシーという雑種犬について語られている。人と動物は分かり合えない。分かり合えないからこそ、動物も人も、分かろうとする。しかし、それでも喋ることが出来ないから本当のことが分からない。最後に残る余韻は何なのだろう。
本書を通して、ウルフの抜きん出た着想や気ままに綴るような書き方、比喩の多彩さ、鋭利な本心などは、読み手の私の心に刻まれた。
他のウルフの作品にも触れていきたいと思う。
- 感想投稿日 : 2021年7月15日
- 読了日 : 2021年7月15日
- 本棚登録日 : 2021年6月9日
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