「日本近代文学」が、歴史上に「起源」を有しており、それによって私たちの「文学」をめぐる認識が可能になっている一つの「制度」であることを明らかにする試み。
著者は「文学」という制度を考察するに当たって、ヨーロッパにおける「風景」についての認識の成立を参照している。風景画によって描かれる「外的自然」は、内面を持つ「自己」(self)が発見されることで初めて認識されるようになった。著者は「文学」においてもこれと同様の出来事があったと主張する。近代文学におけるロマン主義とリアリズムは、内的自己の発見と外的自然の発見が同時であったのと同様、表裏一体をなしている。
私たちは「風景」の発見以前の風景を語るとき、「風景」が歴史的な起源を持つことを忘れている。「文学」においても同様である。私たちは「文学史」という枠組みを用いて「文学」の形成以前の文学を論じることを当たり前のように考えている。「文学」という人間の普遍性に関わる営みは、みずからが歴史の中に「起源」を有することを隠蔽することによって、初めて成立する。著者は、日本における「文学」の成立とその隠蔽とを白日のもとにさらそうと試みている。
本書が取り上げるテーマの一つに、明治における言文一致運動がある。明治以前の文人たちにとっては、実際の風景よりも「詩歌美文の排列」こそが重要だった。言文一致の確立によって、自己の意識にとって透明な言葉を作り出されることで、「風景」をあるがままに「写生」することが初めて可能になったのである。だが容易に見て取られるように、ここで起こっているのは、言文一致体という新しいエクリチュールの確立によって、「内面の声を聞く」という音声中心主義的な自己意識が形成されるという出来事にほかならない。
このほか、「告白」という制度と自然主義文学の関係を論じた論考や、坪内逍遥と森鷗外の間で交わされた「没理想論争」、芥川龍之介と谷崎潤一郎の間で交わされた「小説の筋論争」を手がかりに、非西洋の日本に「文学」という制度が確立されるプロセスを解明する論考が収められている。
- 感想投稿日 : 2013年2月5日
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- 本棚登録日 : 2013年2月5日
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