あすなろ物語 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1958年12月2日発売)
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本棚登録 : 1881
感想 : 175
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実家に置いてあったのを見つけ、持ち帰ったもの。
本書は、6つの連作の短編で構成されている。主人公の梶鮎太の少年時代から始まって、青年期~壮年期まで、異なる時期について順番に描かれている。主人公はもとよりその他の登場人物も共通しているので、それより前の物語を踏まえて再登場するから、連作短編というより、6つの章といってもいいのかもしれない。
それぞれの物語の枠組みは、単純に言ってしまうと、ある出会いと別れ、ということになると思う。特に、ある女性との出会い、別れ、が大きな比重を占めていると思った。シンプル過ぎるのでは、と感じる人もいるかもしれない。例えば、出会いと別れのパターンに気が付けば、「別れ」の方には当然、死や失恋が予想されるのではないか。
しかし、個人的には、オーソドックスな展開の物語であっても、またそうであるからこそ、読了後にしみじみとした余韻が残ったようにも感じた。著者の作品はほかに「氷壁」しか読んだことはないが、長編にしては登場人物も決して多くなかったと感じたし、波乱や起伏に富んで、話を広げるというよりも、人物同士の交流の仕方や語り手の内面を丁寧に、時に熱を込めて表現していると思ったし、本書にもそれと同様の印象を持った。
また、6つの物語のそれぞれの内容が、次々に鮎太の人生の断片になっていき、彼を形成していったのだというように思ったが、この点、物語が6つに分かれていることにも意味があるのではないかとも考えた。もちろん1つの出会いと別れだけが、その人に決定的な影響を与えるものではないと思うが、例えば、冴子との出会いと別れは、1つ目の「深い深い雪の下で」の結末では峻烈な印象を鮎太に与えたが、一度少なくとも形式上、その物語は終わることになる。そして、6つ目の最後の「星の植民地」では、冴子のことには触れられはしないが、当然、ここでの鮎太は、冴子の死を経験している彼だということになる。うまく言い表せないけれど、生きていくうえで、思い出せなくなっているが、無数の出会いと別れを繰り返して、それらの反映に成り立っているということが、どこか、なぜか実感できたように思った。
時々、詩的な表現があることも、本書の良いところの一つだと感じた。私には、井上靖氏の文体は過不足なく、引き締まった美しい文だと感じる。奇をてらった物語である必要は全くない。読んでいて心地が良い。
実際、著者は詩作もしており、そこには小説作品の萌芽というか、原風景のようなものが胚胎していたという。確かに、本作もそれぞれの短編で、富士や、雪景色、狐火、戦後の焼野原と、印象的な場面の移り変わりがあった。
井上靖氏の作品で、新潮文庫では最も売れているのが本書だ、との情報がどこかにあったように思う。巻末の解説にもあるように、この本は悪人が登場しない、詩的に美しい物語だと思う。それを物足りないと思う人もいるかもしれないが、決して鮎太の人生が順風満帆という風に描かれているわけでもない。作中に、「あすなろ」ですらないでしょう、とか、何をやっても中途半端だとか、言われてしまう場面もある。そのような、劣等感が1つの重要なテーマになっていて、結局何物にもなれていないし、なろうとさえできていない、そういう感覚は、どんな人にもあるし、しかもそれを著者は悪いものとはとらえていないということが伝わってくる作品だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年2月3日
読了日 : 2022年1月23日
本棚登録日 : 2022年2月3日

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