壁 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1969年5月20日発売)
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再読。
中学の時に読書感想文を書いて以来。だいぶ背伸びをしすぎた。もしも過去に行けるなら、やめとけ、と止める。
きっと難しい語彙に溺れそうになりながら読んだのだろうけど、今回再読してみて、本作の空間に広がる広漠たる砂漠のような場所をだいぶ見晴らせるようにはなったものの、当時と近い感触をおぼえた。
ほとんど成長してないんじゃないかとうすうす感じているがそれは見ないことにして。

さて本作は3部構成。序文はあの石川淳。
第1部 S・カルマ氏の犯罪
第2部 バベルの塔の狸
第3部 赤い繭
(芥川賞受賞時は、第1部だけだったらしい。)

読みながらの印象は、ジョルジョ・デ・キリコの絵みたいだった。じっさい作中でも何度かシュルレアリスムについて言及されていた。顔を持たないつるつるとした人間が作品内をしっちゃかめっちゃかに動き回っている感じ。
カフカとゴーゴリとサルトルとブルトンを足して4で割ったような小説でもあった。

「S・カルマ氏の犯罪」は「ぼく」が名前を失う話。というか、名前とともに名刺が逃げていく。
「バベルの塔の狸」は詩人の「ぼく」がとらぬ狸に影を盗まれる話。
「赤い繭」は、4つの短編が束ねられている(これがいちばん読みやすいかな)。

本作でも華麗な詭弁と皮肉が炸裂する。とくに第1部は、最初の名前を失うというアイデアが詭弁だけの運動で動いていくような小説。正直、第2部、3部と比べてさして面白くなかったが、まだアンドレ・ブルトンも生きていた1951年当時としては、こうした偶然性で動いていくような、自動書記や悪夢やを装ったような作品が必要とされたのかもしれない。

(個人的には第2部のほうがもっと壊れていて好き。途中、積分記号のついたごつい数式が現れるが、これはまったく意味をなさないものらしい。
第3部はわりと端正な短編ばかりだ。)

理不尽な裁判のシーンなんてもろにカフカを思い出さざるをえなかった。だからちょっと古いと思ってしまったのかも。それにしてもカフカと比べると安部公房のほうは何て健康的な社会風刺だろう。やっぱり、カフカのような不穏な論理のねじれや瘤がないから、とても見晴らしがよく感じる。なんというか、ニュートン的な等質な空間みたいなイメージ。だから支離滅裂な会話の応酬はは面白いんだけど時々飽きる。

3つの部は一見無関係に見えるけれども、それらを縫い合わせているのはこういう発想だと思う。

つまり、あるものが存在する「結果」ついてくる属性などが失われることによって、その存在そのものの実在が足元から揺るがされる。
それは名前であったり、影であったり、魔法のチョークが描く絵であったりする。最後の短編の人肉ソーセージを入れてもいいかもしれない。これは夢が現実を凌駕するシュルレアリスム的発想といってもいいと思う。

いったい「壁」ってなんだろうと中学生の自分は考えながら読んでさっぱり五里霧中、今回もそうだった。が、ひとまずの結論。
(あとがきを書いている評論家は壁と砂漠を関連づけて論じているが、ちょっと納得がいかなかった)
たぶん、上で書いた因果の逆転のことを言っているのだろう。自分が生み出したものでありながら、そちらのほうが肥大化してしまい、自分の生存にとって障碍となるもの。本末転倒が必然として流れていく。

いま思い当たったけど、ひょっとして養老孟司の「バカの壁」にすごく近いのでは!?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・詩
感想投稿日 : 2022年6月1日
読了日 : 2022年6月1日
本棚登録日 : 2022年6月1日

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