レクサスとオリーブの木 下: グローバリゼーションの正体

  • 草思社 (2000年2月1日発売)
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感想 : 18

賞味期限切れ本読破計画でやっと下巻を読破。
著者が指し示したメタファーとしてのレクサスとオリーブの木というのは結構的を得ていて非常に興味深かった。この本が書かれてから約20年、そこまでの揺り戻しが起きてはいないかもしれないが、日本なんかは進むことを止めちゃったのかなという気がしなくもない。。。

P.10
フランスの哲学者モンテスキューは、十八世期に、国際貿易は国際的な”大共和国”を生み出す、と記した。この共和国は、あらゆる商人や貿易国を国境を越えて結びつけ、間違いなく、より平和な世界を確立する。また、『法の精神』のなかでは、こう書いている。「互いに通称を行う二国は、相互依存することになる。片方が買うことに利益を有し、もう一方が売ることに利益を有するなら、双方の結びつきは互いの必要性に基づいているのだ」そして、”商業はいかにしてヨーロッパの野蛮性を打ち破ったか”という題の章で、彼自身のビッグマック理論を唱えている。「人は、劇場にかられて邪悪になりがちだが、それにもかかわらず慈悲深く高潔であることが自己の利益になるような状況に置かれているなら、その人は幸せである」(中略)
トゥキュディデスは、ペロポネソス戦争の歴史を綴ったなかで、国々は、名誉、恐怖、利害の三つの理由のどれかによって戦争に向かう、とのべた。そしてグローバル化は、名誉、恐怖、利害を理由に戦争を始めるときの代価を引き上げるとはいえ、これらの本能のどれひとつとして退化させる意図も能力もない。(中略)
「単に、違う言語を話すのが大変だという理由だけではない」と、一九九九年八月六日号の「エコノミスト」詩に掲載された、地政学に関するエッセイは述べている。「ほとんどの人は、自分が根を張っている場所や、”われわれ”が”彼ら”にまじわって暮らすのをためらう理由について、はっきりした認識を持っている。逆に”われわれ”はあまり多くの”彼ら”が、自分たちにまじって暮らすのを望まない」(中略)
グローバル化にもかかわらず、人々はまだ、それぞれの文化、言語、そして祖国と呼べる場所に愛着を抱いている。祖国のために歌い、祖国のために泣き、祖国のために戦い、祖国のために死ぬ。だからこそ、グローバル化は、地政学の教義に終止符を打たないのだ。(中略)
”グローバル化は、地政学の競技に終止符を打たない”。

P.54
モンサントのロバート・シャピロが、よくこう言っている。「人口に、中流階級の生活をしたいという人類の熱望に乗じて、現行の技術手段一式で除してみると、地球上の生命を維持する生態系に、支えきれないほどの圧力を加えていることになる。湖畔に住む三人の人間が、湖にごみを投げ入れても、たいして影響はない。三万人が投げ入れるなら、そんなごみを出さない方法か、ごみを処理する方法か、ごみを出す人間を減らす方法を考えるべきだーーそうしないと、湖がなくなってしまう」

P.72
思うに、最も重要なフィルターは、”グローカル化”能力だ。わたしが定義する健全なグローカル化とは、ある文化がほかの強力な文化に遭遇した際、自分の文化に自然になじんで豊かにしてくれるような影響は吸収して、まったく異質なものは阻み、異質だが異質なものとして楽しみ味わえるものを選り分ける、という能力だ。グローカル化の目的は、グローバル化のいろいろな側面を、自分たちの国や文化を打ちのめさない方法、これらを成長させたり、より多様化させたりするような方法で、取り入れることにほかならない。
グローカル化は実際はきわめて古い手法で、古代にまで、例えば、地方の文化がヘレニズム文化の広がりに遭遇し、それに打ちのめされずにできるだけ多くのものを吸収しようとした時代にまで遡る。ユダヤ教は、核となるアイデンティティをけっして失うことなく、何世代にもわたって、さまざまな国から影響を受けてきた宗教文化の典型例だ。わたしの恩師で律法学者のツヴィ・マルクスは、次のように述べた。「ユダヤ人が紀元前四世紀にはじめてギリシャ文化に遭遇したとき、ほぼ完全にゆだやの思考を吸収したものは、ギリシャ人の論理学だけであり、これは当時の聖書やラビの競技に融合された。
ギリシャ人の論理学の吸収は、比較的たやすかった。なぜなら、当時のラビや聖書学者が行っていたことに、すなわち真実の修得に、構造的な連関があったからだ。健全な九州とは、社会が外部から何かを取り込んだとき、それを自分のものとして受け入れ、自己の基準枠に適応させたのち、外部から来たという事実を忘れ去れることを言う。これが怒るのは、吸収される外部の力が、自分の文化に潜在しているが完全に発達していないものに刺激を与える場合であり、このような外部刺激との遭遇が、潜在物を真に豊かにして、反映させる場合だ」

P.175
北京大学の国際関係論教授の袁明は、中国におけるアメリカ研究の第一人者だ。以前、彼女が語ってくれた話からすると、中国は、アメリカのグローバルな傲慢に対抗する唯一の方法は、自分自身も傲慢になって接することだと考えているらしい。「中国の政府首脳は、公の発言で”グローバル化”という語は使いません。”現代化”という語を使っています。これは、文化的な理由があるんですよ。前世紀、中国が砲艦にいよって無理やり国際社会に組み込まれてしまったという歴史上の教訓はいまだに中国人の心になまなましく残っています。グローバル化が象徴するのは、中国が求めていないのに、西側すなわちアメリカが押しつけてくるものです。これに対して、現代化は、自分たちが制御できるものです。国営テレビのチャンネルに、新年恒例のテレビ番組があって、これは一年のうちで最大級のテレビの催し物なんです。十億人近い人がこの番組を観ます。いつもは歌手やコメディアンが出てくるだけですが、三年前[一九九五年]、農村の両親がアメリカで学んでいる息子に電話をかけるという寸劇がありました。正月に、元気でやっているかと尋ねられた息子は、元気だと答え、アメリカで博士号を取ったら故郷に戻るつもりだと言います。両親はそれを聞いて喜びます。でも、一番記憶に残っているせりふは、両親が息子に、中国は多くの点でアメリカに劣らないほどよくなっている、と語るくだりです。両親は『おまえはアメリカ人に皿洗いなどをしてやった。今度はわたしたちがアメリカ人に来てもらって、皿洗いをしてもらう番だ』と言ったのです」

P.263
イリノイ大学名誉教授で、二十世期の世界史の権威、ポール・シュローダーは、以前こう話してくれた。
「歴史をひもとくと、比較的平和な時期に、耐久力があって安定したまあまあの盟主が、調整を行い、ゲームに最小限必要な規範と規則を維持している。そして、その盟主はつねに、共通の費用について不釣り合いに大きな割合を支払い、征服の機会をむざむざ手放すなど、いろいろな方法でみずから抑制さえして、他社が憤りを暮らせずに、システムを許容できる状態でいられるようにする」(中略)
「温和な覇権勢力が、システムを安定させ続けてる責任を負っていながら、そのために不釣り合いな費用を支払えないか、その意思がない場合、または、その覇権国が温和でなくなって自制を失い、略奪を行う場合、または、かなりの数の活動家が覇権国の規則に背き、覇権国に利益をもたらさない、これまでとは違うシステムを主張する場合に、問題が起こる」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月17日
読了日 : 2020年4月17日
本棚登録日 : 2020年4月17日

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