センセイの鞄

著者 :
  • 平凡社 (2001年6月1日発売)
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「今年いっぱいはまだ三十七」の主人公の「わたし」と、「歳は三十と少し離れている(すなわち60代後半ということ)」「センセイ」の恋物語。センセイはわたしの高校時代の国語の教師であり、卒業から20年近く経ってから、偶然、再会したのだ。
恋愛のテンポは驚くほどゆったりしている。「センセイと再会してから、二年。センセイ言うところの"正式なおつきあい"を始めてからは、三年。それだけの時間を共に過ごした」とある。この物語は、主に、わたしがセンセイと再会してから、「正式なおつきあい」を始めるまでの二年間の出来事が綴られている。特に劇的な出来事があって、2人がつき合うようになるわけではない。物語の初めから、わたしはセンセイに、センセイはわたしに好意を抱いているのは明らかだ。そして、何度も居酒屋でお酒を一緒に呑み、市(いち)やキノコ狩やパチンコや旅行に一緒に行ったりし、センセイが「石野先生」と仲良くすることに嫉妬し自分は「小島孝」と良い雰囲気になったりしても、決定的なことは何も起こらない。かなりじれったい展開が、「再会してから、二年」続くわけである。
わたしの方は、「わたしが近づこうと思っても、センセイは近づかせてくれない、空気の壁があるみたいだ。いっけん柔らかでつかみどころがないのに、圧縮されると何ものをもはねかえしてしまう、空気の壁」を感じている。そしてセンセイの方は、「ワタクシはいったいあと、どのくらい生きられるでしょうか」と考えたり、「長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」「ワタクシは、ちょっと不安」を感じていたりして、一歩を踏み出せない。そして、わたしも、先生がそのような不安を抱えて一歩を踏み出せないことを分かっている。誠にじれったい展開だ。
しかし、月が満ちるように、二人は結ばれる。再会してから二年が経過した後で、そして、お互いに好意を持っていることを分かっていながら、ついにセンセイは「ワタクシと、恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」と告白する。わたしは、ずっと「すっかりセンセイと恋愛をしている気持ちに」既になっているのに、と思いながら、「センセイにかじりつ」く。
この後の二人の様子の描写が好きだ。
「闇がわたしたちをとりまき、わたしたちはぼわぼわと話しつづける。からすも鳩も、巣へ帰っていったらしい。センセイの乾いてあたたかな腕に包まれて、わたしは、笑いたいような泣きたいような気持ちだった。けれど笑いもせず泣きもしなかった。わたしはただひっそりと、センセイの腕の中におさまっていた。
センセイの鼓動が、上着越しにかすかに伝わってくる。闇の中で、わたしたちは、静かに座りつづけていた。」
このような瞬間のために人生があるのだと思わせてくれるような美しい場面だ。

そして、この小説には、静かに、しかし胸を揺さぶるような場面がもう一つある。小説の最後の場面だ。「正式なおつきあい」を始めてから三年で、センセイは亡くなる。そして、センセイの息子さんから形見として、センセイの鞄をわたしはもらう。「センセイが書き残しておいてくれた」のだ。この鞄は、センセイがわたしと再会してから、センセイと共に、色々な場面に登場し、色々な場所に一緒に出掛けたものである。わたしはセンセイと過ごした日々を時々思い返す。
「そんな夜には、センセイの鞄を開けて、中を覗いてみる。鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである」と小説は結ばれている。「儚々」という言葉は、初めて見かけた。「ぼうぼう」と読むらしい。「儚」は、「はかない」という言葉なので、意味は分かる。
センセイのことを思い出してみるが、それは、「からっぽ」で「はかない」ということ。「わたし」の淋しさは、如何ばかりかと思う。

美しい物語と美しい描写・言葉遣いがされている、しかし、儚い小説だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年12月15日
読了日 : 2023年12月15日
本棚登録日 : 2023年12月10日

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