むらさきのスカートの女

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2019年6月7日発売)
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本棚登録 : 9388
感想 : 1130
4

今村夏子の持ち味が最高度に発揮された力作と言えましょう。
彼女の作品は全て読んできた私が言うのですから、間違いありません(全てって言っても5冊ですが)。
では、彼女の持ち味とは何か。
私は「書かないことで多くを書く」ことこそ彼女の持ち味だと思います。
彼女の作品は、濃淡はありますが、大事なことがしばしば書かれていません(特に「あひる」がそう)。
大事なことが書かれていないから、そこは読者が想像で埋めるしかない。
そして、その想像には、狂気や恐怖が常に尾を引いているのです。
しかし、ここで言う狂気や恐怖は、非日常のおぞましいものでは決してありません。
彼女が読者に呼び起こす狂気や恐怖は、本当に身近にある(だからこそ怖い)類の狂気や恐怖なのです。
と、ここまで丁寧に噛んで含めるように書いても、「え、でも、大事なことを書かなきゃいいんでしょ?」なんて、タピオカドリンクを飲みながら冷めた口調で言っているあなた。
あなたはてっぺんから間違っています。
だって、書きたいのが作家なんですから(特に、凡百の作家は書いてしまうのです)。
それに、何を書いて、何を書かないかは、極めて難しい問題です。
もっとも、謎解きメーンのミステリーなら、作者は緻密にプロットを作り、ここで何を書いて何を書かないかを注意深くハンドリングしているはず。
ただ、それはあくまで物語の展開上の話です(それだって凄いことですが)。
今村夏子が「大事なことを書かない」ことでしようとしているのは、感情とか感覚とか捉えどころのないものに働き掛けるということです。
それをほぼ完璧に成してしまうのですから脱帽するほかありません。
本作の主人公「わたし」は近所に住む、ちょっと変わり者の「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと念願します。
それで一計を案じて、まんまと自分の働くホテルにむらさきのスカートの女を働かせることに成功します。
作中、一貫して、この「わたし」の単視点でむらさきのスカートの女を眺めているのですが、読者は途中から「異常だ」と思うはずです。
「わたし」はホテルで働いているはずなのに、スカートの女のほぼ一挙手一投足を眺めているからです。
少なくとも傍目にはそう映る。
そして、そのストーカーとも言える執着度は物語が進行するにしたがって増してくる。
この「わたし」って、そもそも何者なのか?
読み進むにつれて、気になって気になって仕方がなくなってしまいます。
これがぐいぐいと読者を引っ張る牽引力になっています。
ラストも素晴らしい。
やや無難な気はしますが、何度考えても、この終わり方しかない気がします。
で、本作の何がすごいって、本を閉じた後。
読了して2日経った今も、不意に「わたし」について考える瞬間が何度も来るのです。
それだけ、この「わたし」は謎めいています。
何かのメタファー? とか。
いや、やっぱり、今村夏子はすごい。
☆4つは、単に「こちらあみ子」と「あひる」の方が好きだから。
それに、「こちらあみ子」で芥川賞を取らせるべきだったと、今でも根に持っているのも理由。
デビュー作だから見送ったんでしょうけど、あの作品の文学的な価値を理解してもらわないと、ホントやってらんない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2019年8月5日
読了日 : 2019年8月5日
本棚登録日 : 2019年8月5日

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